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ラグビーワールドカップが残したもの その2

日本でワールドカップが開催されるということ

 筆者は、ワールドカップスコットランドアイルランド戦が横浜国際競技場で行われる日、偶然、新宿から横浜方面の電車に乗りました。試合観戦にちょうど良い時間らしく、緑色と紺色のジャージに包まれた大柄の外国人たちが、新宿駅のホームに溢れ、私が乗った湘南新宿ラインにも乗り込んで来たのです。

 面白いのは、緑色のアイルランドジャージの人たちは大声で明るく話すのに、紺色のジャージを来たスコットランドの人たちは、あまり大きな声を出さず表情もどちらかと言えば暗い印象です。隣り合った国(地域)にも関わらず、これが国民性、民族性の違いなのか、たまたま私が乗り合わせた人たちがそうだったのか。横浜まで約30分間、国際感覚を味わいました。競技場などではなく、このように私たちの生活の中に入ってくるのが、国際大会が日本で開催されるということなのでしょう。

 2002年にサッカーのワールドカップが日本で開催された時のことを思い出そうとしましたが、筆者は仕事で大会に自体に近いところにいたために、逆にほとんど外を出歩くことも無かったので、こうした体験をした記憶はありません。

 むしろ、近年のインバウンドの急激な増加で、普段から都内でも海外から観光客であろう人たちの姿を日常に見ることがとても多くなり、時には、英語だけでなく全く理解不能な外国語で話しかけられることもあります。そんな時に日本の国際化を実感してきました。そうした中で開催された今回のラグビーワールドカップは、その傾向を顕著化させただけだったのかもしれません。

 もちろん、良いことだけではありません。酒に酔った外国人たちが街で暴れるといった事件も報道されています。幸い、怪我人や死者の話は聞いていませんが、運が良かっただけだったのかもしれません。

 来年に向けてさらに、観光客が増えることを想定して、このラグビーワールドカップが来年のオリンピック期間中のリハーサル的だという報道も多くありますが、実際にはそうなるとは限りません。

 2012年のロンドン大会の際には、大会の前後を含めて観光客が減少し、ロンドン中心部が閑散としていたという報告があります。さらに2004年のアテネ大会では年間を通じて観光客が減少したデータが残っています。オリンピック開催による宿泊費や移動コストの高騰、さらには大会による喧騒が敬遠され、観光客の足が遠のいたという分析がされています。

 東京大会でも期間中の都内のホテルが通常の4倍から5倍の料金であることが報告されていることから、インバウンドの急激な増加は今年がピークになる可能性もあります。一方で、元々日本のホテル代は欧米から見ると通貨レートも手伝ってかなり割安なので、彼らがどのように捉えるかは蓋を開けてみないとわかりません。

 ただ、今回のラグビーワールドカップで分かったことは、ヨーロッパや南半球の人々にとっても、世界で最も東にある極東のこの国は、もはやそれほど遠い国ではないということです。

rugby-rp.com

日本代表の多様性が日本人のダイバーシティの考え方を変える?

 ラグビーワールドカップは、二つのダイバーシティ(多様性)の可能性をもたらしました。一つ目は日本代表の国籍です。

 最近はネットで頻繁に取り上げらえるテレビ朝日の玉川徹氏は、レギュラーで出演するモーニングショーの番組の中で、ラグビーの日本代表の姿が将来の日本のあるべき姿だと説きました。

 ラグビーの代表には、その国の国籍を持っていなくても、原則として他の国の代表になったことがない、両親または祖父母のうち一人がその国の出身、その国で連続して3年以上の居住している、などの条件にあてはまれば代表になることができます。比較的国籍によるしばりが明確なオリンピック競技との差は明確です。但し、それは多重国籍を認めていない日本のような国の場合で、実際には多重国籍を認めている国の方が多く、特にヨーロッパの国々にとっては、移民問題が現在のように深刻化する以前であれば、出生国以外の国籍の取得自体が難しいことではなかったのです。だからオリンピックの競技でも、生まれた国以外の代表選手として出場するハードルは決して高くはありませんでした。上にあげた両親または祖父母のうち一人がその国の出身であることや3年以上の連続して居住していること等のラグビー協会の代表選出の規定自体が、一部のヨーロッパの国々の国籍取得の際の条件に一致しています。

 話は日本代表に戻します。ラグビーの国籍に対する緩やかな規定のために、日本代表にはとても多くの国の出身選手がいました。今回のラグビーワールドカップに登録された日本代表31人の内、日本出身の選手は15人。他の16選手は日本以外で生まれた選手たちで、トンガ、ニュージーランドの5人ずつを最多に実に6カ国から集まっています。その中にはすでに日本に帰化した選手が9人もいます。

 日本代表になるためには日本でプレーしている必要がありますが、来日の理由は、母国に比べて日本が豊かであること、ラグビーのプレー環境に恵まれていること、親の出身国であること、母国では得られないであろう代表のチャンスが日本でなら可能であること、など様々です。

 そうしたそれぞれの目的を持って集まった多国籍の人々が、お互いを理解し合い、力を合わせて、試合の勝利というひとつの目標に向かうことが、少子高齢化労働人口の不足に見舞われ、他国からの労働力が必要となる日本にとって不可欠だというのが、くだんの玉川氏の説です。

 ラグビー日本代表の積極的な強化が始まって2007年に、最初に招かれた外国人ヘッドコーチ、現役時代ラグビー史に残るスーパースターの一人だったニュージーランド出身のジョン・カーワンの時代から、海外出身の選手が日本代表に選ばれるようになりました。「なぜ日本代表なのに外国人がいるんだ」「外国人ばかりで日本代表として応援する気になれない」という批判的な声がその頃から聞こえていました。特に2大会連続でワールドカップを指揮したカーワンの時代には、結果を出せなかっただけにその声をおどんどん大きくなりました。

 その後を継いだエディー・ジョーンズは、海外出身の選手にも日本出身選手同様に厳しい態度に臨み、その結果20 15年イングランド大会では南アフリカに勝利して、ベスト8に後一歩に迫りました。そうした結果を出すことで、海外出身選手を選ぶことに対する風当たりはかなり弱くなりました。今回のワールドカップの前にも批判的な意見がなかったわけではありませんが、多くの人が想像する以上の結果と盛り上がりに、そうした声は吹き飛んだと言っていいでしょう。選手たちの真摯な姿勢やコメントの効果の部分も大きな理由だと考えられますが、何よりも、若い年代ほど国籍や肌の色に対する抵抗が少ないということが原因にあるだろうと思わます。

www.bbc.com

 日本代表が見せてくれた国籍や出身国を超えた力の結集の姿が、ダイバーシティに向けて大きなヒントをくれたことは間違いありません。ダイバーシティを大きなテーマに掲げている来年のオリンピック東京大会が、これを超えるメッセージを発信することができるか? メダルの数を数えることより大切なことがそこにはあります。それは私たち一人一人にとっても同様です。

未知の国の国歌を歌うことはダイバーシティへの第一歩

 もう一つのダイバーシティのヒントは、何度もネット上でも話題になった、試合前に国歌などアンセムを歌う際に、日本人が他国のアンセムを歌うという話です。

 他国のチームをエスコートして入場した子供が、国歌斉唱の際にその国の国歌をそらで歌い上げたシーンが中継放送で流されたり、スタンドの日本人の観客がスマホで出した歌詞を見ながら他国の国家を歌っていたシーンがネット動画で流されて、世界的に注目を集めました。日本人から見るとそれほど稀有ではないように思いますが、海外の人たちにとっては、他国の国家を歌う国民はとても珍しいようです。

www.tokyo-np.co.jp

 この行動は、結果的には相手の国や他国を知るということに繋がります。歌詞を見て例えばカタカナで覚えて歌っているか、歌詞の意味まで理解しているかは定かでありませんが、少なくともその国や民族の何かを知るという、国民や民族の間のダイバーシティの第一歩となる行動ができているのです。

 来年の東京オリンピックダイバーシティ=多様性を大きなテーマに掲げていますが、現実にはそうした姿勢があまり見えてこないように思います。

 2002年に日本と韓国で開催されたサッカーのワールドカップでは、キャンプ地として世界各国の代表チームを受け入れた日本の自治体が、受け入れる国に文化や歴史を学び、親交、交流を深めることに力を入れました。特に有名になったのが、カメルーン代表を受け入れた大分県中津江村です。僅か人口1400人の高齢化が進む山村は、日本人に馴染みがほとんどないアフリカの国との交流を深めることに成功しました。その交流は今も続き、昨年5月には駐日カメルーン大使も出席するカメルーン建国記念祝賀会が現在の日田市中津江で開催されたそうです。(中津江村は2005年に隣接する日田市に編入され日田市中津江をなっています)

 1998年に長野で開催された冬季オリンピックの際にも、長野市内の小学校では「一国一校運動」と称して、小学校ごとに対象となる国を定めてその国について勉強し、子供たちがその国の選手団や観光客と交流する取り組みを行ったそうです。今でも相手国と交流が続いている学校があると聞きます。

東京オリンピックではダイバーシティのプログラムができていない

 来年の東京大会に向けても、自治体によっては長野オリンピックの時の一国一校運動になぞらえたアクションを、学校単位で行なっているところもあるようですが、組織委員会、東京都、国のレベルでは、まるで逆の発想と言っていい取り組みが行われています。それが特に顕著なのが、IOCの定めによって競技と並行して行われる「文化プログラム」です。「文化プログラム」を主導する組織の一つである文化庁が昨年1月に発表した「2020年以降へのレガシー創出に向けた文化プログラムの推進について」というドキュメントの中で、文化プログラムの基本的なアプローチを示す文章が掲載されています。

大会はスポーツの祭典のみならず文化の祭典でもある。日本には、伝統的な芸術から現代舞台芸術、最先端技術を用いた各種アート、 デザイン、クールジャパンとして世界中が注目するコンテンツ、メディア芸術、ファッション、地域性豊かな和食・日本酒その他の食文化、祭り、 伝統的工芸品、和装、花、さらには、木材・石材・畳等を活用した日本らしい建築など、多様な日本文化がある。 文化プログラムの推進も含め、こうした多様な文化を通じて日本全国で大会の開催に向けた機運を醸成し、東京におけるショーウィンドウ 機能を活用しつつ、日本文化の魅力を世界に発信するとともに、地方創生、地域活性化につなげる。

文化庁2020年以降へのレガシー創出に向けた文化プログラムの推進について」

http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/todofuken_shiteitoshi/pdf/r1401522_10.pdf

 これは2015年に定められた「2020東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会の準備及び運営に関する施策の推進を図るための基本方針2015」からの引用ですが、文化プログラムを日本の優れた部分を発信するという視点に固執してることがよくわかります。キーワードである「多様性」が、日本の文化を発信することと勘違いしている、またはすり替えられています。

 今回の東京大会の文化プログラムを、高く評価された2012年ロンドン大会と比較する記事等がたびたび見受けられますが、既に東京大会の文化プログラムはロンドン大会の比較できるレベルにはなり得ません。まず、ロンドン大会ではオリンピヤードと言われる大会までの4年間を使って、様々なプログラムが準備され実施されました。東京大会では「あれやろうか、これやろうか」を繰り返している間に大会まで1年を切ってしまい、未だの稼働しているプログラムはごく僅かです。また、ボトムダウン方式ではなくボトムアップ方式でイギリス全体で多様性豊かなプログラムが実施されたことも大きいポイントですし、その結果アーティストの自由な発想が奇想天外でダイナミックな表現として様々パフォーマンスや展示が行われたことも大きな特徴です。既成の歴史や文化に縛られていません。何より多様性の根本を理解し、自国のお国自慢にしなかったことが最も重要なポイントです。

 例えば、世界37カ国からシェークスピアを演じている劇団をロンドンに招いて公演するプログラムがありました。このプログラムでは、それぞれの国のシェークスピアの演じられ方を通してそれぞれの国の言葉や文化的な背景などを、シェークスピアの本場であるイギリスの人々が受け入れることになります。

 長い歴史を持つ植民地統治や近年の移民受け入れ政策から、多くの民族が暮らすイギリスの民族的な多様性を再確認するために、イギリス国籍を持つ全ての民族の肖像写真を掲示するという写真展も行われました。これは同時に、イギリスの人々が世界との繋がりを再発見するきっかけになったはずです。

 1964年東京大会の組織委員会で国旗の担当された吹浦忠正さんという方のお話を聞く機会がありました。多くの著書があり、現在も精力的に講演などをされている方なのでご存じの方も多いと思います。その吹浦さんは1964年大会の文化プログラムについて「残念ながら日本の文化を発信しているだけでしたね」とお話をされていました。前回の東京オリンピックから半世紀以上が経っても、日本はその「残念」から成長できていないのです。

 ダイバーシティは、自分を主張する、自分の国の自慢をすることでなく、未知の相手を理解しようとすることから始まります。お互いが相手を知ろうとすれば、お互いに自分を知ってもらおうとするエネルギーは少なくてすみます。例えば、知らない国の国歌を知ること、歌えるようにするようなことから始まるかもしれません。来年の東京オリンピックがより多くの日本人にとって、そのことを気づかせてくれるきっかけになってくれたらいいなあと私は思います。

 政府や組織委員会ができない、やらないからと言って、何もできないわけではありません。ラグビーのワールドカップで起こったことも自然発生的に起こったことです。来年はどんなことが起こるのか。その担い手は、お国自慢などには毛頭関係ない若者たちである可能性が高いでしょう。

 

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ラグビーワールドカップが残したもの その1