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「いだてん」の放送が終わりました。

大河ドラマで視聴率を稼げない2つの理由

 12月15日で今年のNHK大河ドラマ「いだてん〜東京オリンピック噺」の放送が終わりました。前回の東京オリンピックの前年、1963年に大河ドラマが始まって以来の視聴率の低さが1年を通して話題となったこのドラマは、最終的に大河初の年間を通した平均視聴率で一桁で終わったドラマになったそうです。

 テレビ離れという時代的な背景に加えて、大河ドラマの従来の視聴者層とのミスマッチと、2つのストーリーが並行したり、回想シーンが繰り返される複雑な構成が分かりづらかったことが視聴率が伸びなかった理由としてあげられてきましたが、終盤になって内容的な評価が高くなっていました。

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 元々、大河ドラマは、明治以前の歴史上の偉人や定番ストーリーを得意にしてきました。例えば織田信長を筆頭に戦国時代の大名や坂本龍馬を代表格とする明治維新の志士が登場するものです。また、忠臣蔵のような江戸時代から語り継がれるお話も人気があるようです。司馬遼太郎をはじめとする人気の高い歴史小説の世界観がいかに再現できるかも大きなポイントです。例えば司馬遼太郎が作り上げた坂本龍馬の人物像が日本人の中には浸透していて、司馬の作品を基準に、ドラマの中の歴史感の正誤が語られるようにまでなっていました。

 一方で市井の人物を取り上げたり、原作がないオリジナル作品は苦戦を強いられてきています。最近では、同志社大学創始者の新島穣の妻、新島八重綾瀬はるかが演じた「八重の桜」、井上真央吉田松陰の妹、久坂美和を演じた「花燃ゆ」は、いずれも偉人ではない主人公にしたオリジナルストーリーと、大河ドラマで苦戦する二大要因を持っていて、そのルール通りに視聴率は伸び悩みました。

「いだてん」は、日本初のオリンピック選手で箱根駅伝の創設した金栗四三と1964年東京オリンピックの招致の立役者となった田畑政治の二人を主人公にした人物ストーリーで、日本が初めてオリンピックに出場する20世紀冒頭から、前回の東京オリンピックが開催された1964年までの激動の近代日本を舞台にしたオリジナル作品です。人気脚本家の宮藤官九郎の作品とは言え、「八重の桜」や「花燃ゆ」同様に大河ドラマで苦戦する二大要因を持ってスタートしたドラマでした。

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スポーツと平和の価値を伝える描写と魅力的な人物像

 2度目の開催となる東京オリンピックの来年に控え、日本のオリンピックの歴史とオリンピック自国開催までのストーリーを知るのにうってつけの作品でした。主人公の二人以外にも人見絹枝(1928年アムステルダム大会)、前畑秀子(1936年ベルリン大会金メダル)などの年配の方であればご存知のアスリートたちが魅力的な人物像として描かれています。前畑が日本の女子選手として初めての金メダルと獲得した1936年ベルリン大会で、日本代表としてマラソンでメダルをとった韓国出身の孫基禎と南昇竜の思いにも触れていました。

 また、選手たちをサポートしたり、開催に尽力した多くの裏方の人たちにもスポットが当てられていました。柔道の創始者として世界に知られる嘉納治五郎が、オリンピックへの日本選手の派遣やオリンピックの日本開催に尽くした中心人物だったことをこのドラマで初めて知った人も少なくなかったのではないでしょうか。この嘉納治五郎の思いが現実になるかと思われた1940年東京オリンピック開催は、第二次世界大戦のために幻になってしまってしまうわけですが、その実現のために奮闘した登場人物たちのエネルギー感が見事なものでした。

 そして、その戦争のために未達となったエネルギーが、このドラマの後半の主人公である田畑たちを中心に、1964年大会実現に向けて大きな力となったことが終盤のストーリーです。スポーツが政治的に利用され、多くの若者たちの命を失われた戦争への憤懣と悔悟がオリンピック自国開催への思いをより強くしていました。

1964年大会に向けて失われた平和へのメッセージとこの大会の意義

 しかし1月のドラマスタート時から、多くの登場人物たちが自問自答するかのように繰り返していた「スポーツと平和の祭典」というオリンピックの意義を中心にストーリーを進めてきたにも関わらず、1964年大会の開催に近づくにつれてそうしたメッセージ性が少なくなり、主人公個人の思いと組織内の勢力争いにばかり目が向けられるようになっていきました。スポーツの政治利用に対する反発とも取れますが、筆者には主人公の思いに固執し過ぎるあまりに、全体のテーマを見失ってしまったようにしか見えませんでした。

 近代オリンピックの理念と、世界中を戦禍に巻き込んだ第二次世界大戦から20年も経たないあのタイミングで東京でオリンピックが開催されることの意義、そして、当時と現在の世界情勢を考えれば、1964年大会が発信した平和のメッセージをもっともっと取り上げて時間を割いた方がよかったと思います。このドラマの前半、ストックホルムオリンピックに出場するまでや、また1930年ロサンジェルスオリンピックにまつわるエピソードにかけた時間や内容から比べれば、田畑の思いだけにこだわり過ぎた終盤のストーリーはあまりに陳腐でした。

 例えば、ドラマでは準備も実施についても駆け足でわずかな時間でしか触れなかった、第二次世界大戦で戦火を交えたアジアを駆け抜けた聖火ランナーについて、もっと時間をかけて丁寧に表現すれば、1964年の大会の価値を高めることができたでしょう。

 1964年大会の閉会式で各国選手団が入り混じって会場に入場をしたことが評価され、以降の大会での閉会式の定番となります。このドラマでは選手村を各国の選手たちのコミュニケーションの場にした組織委員会の思いが、閉会式でそうした形に結実したかのように表現されていますが、実際には思い思いに入場した各国の選手たちの最後尾で、日本選手団だけが整列をして入場した事実から考えれば、組織委員会にそうした狙いがなかったことは明白です。主人公たちの思いにこだわるあまりに、こうした不都合に蓋をしてしまったことも非常に残念です。

 1964年大会は日本にとってハードの転換期になったという評価が多くありますが、ソフト的な価値も数多くあります。そのひとつが前述した平和国家としての世界への宣言です。アジアや沖縄を駆け抜けた聖火ランナーや原爆が投下された1945年8月8日に広島で生まれた最終ランナーが内外に強いメッセージを送りました。

 東京オリンピックの開催をきっかけに東京都内は下水道の整備が始まり、ごみ収集が定期的に行われるようになって、人々も収集に合わせてゴミを出すようになりました。川やドブにゴミを捨てる行為も禁止されるようになりました。それが徐々に全国に広がっていったのです。それまで、糞尿まみれ、ゴミだらけの街だった東京がオリンピックを機会に生まれ変わり、それが日本人の精神構造も変えていったのです。そうした事実はドラマだからこそ強く伝えることが可能だったように思います。

 今、世界から賞賛されている試合後のスタジアムを清掃して帰る日本人のメンタリティは、約半世紀前の東京オリンピックをきっかけに生まれ、そこから育まれたものなのです。

どうしても理解できないサイドストーリーの存在

 時代背景など半ドキュメントとしてだけでなく、単純にドラマとしてだけ見た時にも筆者がどうしても理解ができなかったのが、東京オリンピックのリアルストーリーと並行して語られたビートたけしが演じる五代目古今亭志ん生にまつわる落語話のフィクションの存在です。戦時中に若き志ん生が慰問のために大陸を訪れた時のエピソードと弟子の「五輪」の出生が、わずかにメインのストーリーとリンクしますが、それ以外にほとんど絡むことがない。別のストーリーを並行して進める必要性が見つかりません。19世紀終わりに生まれ、このオリンピックのストーリーと同じ激動の時代と彼自身の浮き沈みの激しい人生を投影するだけで、ただただ強引なシーン展開と時間調整の道具になっています。そして、このサイドストーリーの存在がこのドラマ全体を分かりづらくした主犯です。この志ん生絡みのストーリーに使った時間や予算を本線のストーリーに使っていれば、さらに質の高いドラマになったはずなのに残念で仕方がありません。

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 12月30日には恒例となっている総集編が放送されます。1年間50回に近い作品は多くの作り手にとって荷が思いらしく、総集編の方が密度が高まり質の高いドラマになっていることが多いので、これまでご覧になっていなかった方もぜひご覧になってみてください。なにより来年のオリンピックを迎える前の予習にはうってつけのドラマになると思います。

 

総集編 放送決定!| NHK大河ドラマ『いだてん 〜東京オリムピック噺(ばなし)〜』