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なぜ日本のメーカーから厚底シューズが生れなかったのか?

かつて日本の企業は先進性と伝統的な技術で世界と競い合った

 今の30代前半より若い人はご存知ないと思いますが、日本には「ウォークマン」という素晴らしい発明がありました。小さなカセットプレーヤー(これも死語)にワイヤードのヘッドホンだけをつけたもの。それまでラジカセとは違って、携帯性に優れ、音楽を屋外に持ち出すことができた最初の製品で、それがその後のipadスマホの音楽再生に繋がります。この商品で世界を席巻したSONYはこれ1つで「世界のSONY」になったと言っても過言ではありません。その後もSONYは、ビデオテープのベータマックスの技術力で、世界スタンダートとなっていたVHSと戦いました。パーソナルコンピューターの世界では、VAIOというブランドでアップルとの間で先進性とデザイン性で競い合っていました。1997年に誕生した VAIO NOTE505というノートPCは、あのスティーブ・ジョブスに世界で最も美しいノートPCと言わして、世界の目標になりました。

 SONY以外にも1970年代から90年代の日本には、世界に先進性を誇る企業がいくつもありました。コンピュターをビジネス用のマシン(IBM=インターナショナルビジネスマシーン)からPC(=パーソナルコンピューター)に変えたNECもその1つです。パソコンの世界スタンダードとなるPC8800とPC9800を送り出し、バブル当時、時価総額で世界ナンバー2の規模を誇る企業でした。

 その一方で、日本独特の伝統的な緻密な技術で世界に挑んだ企業も数多くありました。その例としてあげられるのが、スポーツメーカーのミズノやアシックスです。1991年東京で開催された世界陸上で、9秒86の当時の男子100m走の世界記録を塗り替えたカール・ルイスのためにミズノが作った奇跡のシューズはあまりにも有名です。彼の足型や走法から徹底的にカスタマイズし、素材を吟味して片足190gあった彼のシューズを110gまで軽量化しました。これによって、ミズノをはじめとした日本製のスポーツシューズは世界のアスリートにとって一般的な存在になったのです。

 個人のためにカスタマイズすることも日本のメーカーの特徴だったようです。Jリーグが始まった1990年代前半、ミズノやアシックスは契約した選手の希望を聞いてカスタマイズしたシューズを提供していましたが、ナイキやアディダスは希望するサイズに近い複数のサイズの複数の製品をまとめて送りつけて、「気に入ったの履いてください」というレベルだったと、フランスワールドカップでも日本代表の一員として活躍したナイキユーザーの選手から聞いたことがあります。彼は足首が故障がちだったので、チームメイトで同じような選手のためにカスタマイズしたシューズを用意してくれる日本のメーカーが羨ましかったようです。

 野球の世界では、メジャーリーグで活躍した松井秀喜氏やイチロー氏のバットを作り続けた職人の方もミズノにはいました。

 その後、アディダスでもサッカースパイクの対応に変化が現われます。日本はヨーロッパに比べて硬い土のグランドが多いため、ヨーロッパで企画されたスパイクが日本のマーケットに合わないところから始まります。特にジュニア向けは磨耗が激しく、親にとって経済的な負担が大きさにも繋がります。そこで硬いグランドでもショックが少なく、また磨耗も少ない日本オリジナルのシューズを開発したところ、これが本国でも高く評価されて、その後2000年代半ばには日本規格のスパイクが新製品として世界に送り出されたそうです。また同じ時期にアディダスではシューズをカスタマイズを受け付けるセンターも開設されましたが、これも日本発だったそうです。

 アディダスもナイキも、現在はランニングシューズのカスタマイズオーダーを行なっていますが、ここが原点かもしれません。

 こうした問題解決型の変化は今世紀の日本企業もまだまだ可能な一方で、バット職人のような職人技を持った方々が少なくなり、日本の製造業の独自性が失われつつあるようです。

 さらに、かつてソニーが手がけたウォークマンのような全く新しい視点で時代に変化をもたらす製品が作ることができないのが日本の産業界の現状です。

プリウスは世界的に見れば凋落する日本の製造業の象徴

 トヨタプリウスという車をご存知の方も多いと思います。ガソリンエンジンと電気モーターの良いとこどりで走るハイブリット車の草分けとして1997年に誕生し、モデルチェンジを重ねて今も日本の多くの街角で見ることができます。

 今の前のモデルが発売した時だったと思います。当時の開発責任者が「これが最後のプリウスになると思う」とインタビューで話をしたことを印象的に覚えています。つまり、ハイブリット車はこの代で終わり次世代に移行するので、その象徴であるプリウスも終焉を迎えるはずだという意味でした。

 それからちょうど10年。トヨタは乗用車のほぼ全ての車種でハイブリット車を用意し、他の国内メーカーを併せて日本はハイブリット車全盛を迎えています。この状況はこれからも5年以上続きそうです。しかし世界的に見ればハイブリット車はすでに時代遅れです。中国、ヨーロッパを中心に、開発の中心はハイブリットを飛び越えて電気自動車に移り、その開発競争の中で日本のほとんどのメーカーが遅れをとっています。

 この世界的な競争に唯一生き残っているのが、15年以上にわたってゴーン氏が辣腕を発揮した日産自動車であるということは、単なる偶然ではありません。

 ハイブリット車は、ガソリンエンジンと電気モーターの両方を搭載するので、これまで長年培ったエンジンのノウハウを活かすことができます。また、材料や部品メーカーもこれまで同様に付き合うことができた上で、新たに電気モーターという自動車メーカーにとって全く新しいジャンルにもトライすることができる、なんとも都合のよい製品だったのです。しかもハイブリットという価値観から高値に設定できる美味しさがあります。だから、国内メーカーの多くは、ハイブリットというジャンルに時間とコストをかけ、ハイブリット車が生み出す目先の利益を優先し、その結果、その先にある電気自動車の開発で後手に回ったのです。

 一方、日産自動車は、コストカッターだったゴーン氏が指揮を執り、それまでのガソリンエンジンで培った技術やノウハウ、部品を納品する子会社や部品メーカーを全てに切り捨てる覚悟があったからこそ、電気自動車の本格的な開発にいち早く乗り出すことが可能だったはずです。

 今だに古い経営体制から抜けることができない他の国産メーカーは、早晩世界の自動車製造の表舞台から消える運命になりそうです。

厚底シューズを産んだのはイノベーションだ  

 ナイキの厚底シューズ(ヴェイパー・フライ)が登場するまでは、長距離ランナー用のシューズには一定の規則がありました。タイムが遅くあまり長距離が走れないランナー用ほど靴底が厚く幅も広く、タイム的に早く長く走れるランナーほど、底が薄く幅も狭い、つまり軽いというものです。大きなスポーツショップではそうした順番に靴が並べられ、お店によって推奨タイムなども書かれていたはずです。

 そうしたルールを常識化したのが、ミズノでありアシックスだったのではないでしょうか。そして、ナイキの厚底シューズの投入は、この常識に真っ向から対抗したものと言えるでしょう。

 3万円オーバーというランニングシューズとしては高額の商品ですが、おそらく、特許の部分を除けば、ミズノやアシックスなどの他メーカーが作れないほど高いレベルの技術が投入されているというわけではないはずです。トップランナーには出来るだけ軽く、底の薄いシューズだという固定観念を外してしまえば、ソールを厚くして、その中に反発力を高める素材を入れることは、多くメーカーで十分に開発可能なものだったはずです。

 さらに、このシューズの登場はマラソンの走法にも変化を与えました。このシューズを開発をしたナイキの技術者とこのシューズは、それまでのアフリカ出身以外のトップランナーで主流の走法だったミッドフット走法に代えて、つま先から着地するフォアフット走法を、このシューズを履くトップランナーに求めたのです。 

 元々、フォアフット走法は多くの長距離ランナーにとって理想的な走り方ではありましたが、シューズがランナーに走法の変更を要求するという発想は、日本の企業にも技術者にもないはずです。しかし、世界のマーケット、ランナーたちは1秒でも早く走れるシューズを求めていたのです。そのためには自らの走法を変更することも厭いません。ハイブリット車に固執する国内自動車メーカー同様、日本のスポーツメーカーも世界のマーケットが要求している新しいフェーズに進むことができなかったのです。これがイノベーションによる違いです。

 現に、アシックスが2月から投入する新製品は、フォアフット走法が理想ではあるが、初心者や日本人に多いヒールストライク走法のランナーにも対応するという、万能性を特徴にうたっています。ナイキとの差別化の1つの方法ではありますが、このあたりのマーケティングの曖昧さが、現在の日本の製造業の特徴であり、限界なのかもしれません。

 日本では、年末年始、各種駅伝をはじめとして多くのランナーがナイキの厚底シューズを履いて走るシーンをテレビを見る機会がありました。フォアフット走法に慣れていない日本人に難しい走法で、フルマラソンをこの走法で走りきれるランナーは数多くいるわけではありませんが、駅伝のようにひとり10キロ以下のレースでは、他のシューズのランナーに比べて、厚底シューズのランナーが最後まで明らかに躍動感のある走り方をする様子を見ることができました。ソールや内在する素材の影響で反発力が高まることも明らかになっていますが、それ以上に走り方の違いに注目したいところです。

 大阪国際女子マラソンで優勝してオリンピック出場の可能性をたぐり寄せた松田瑞生選手は、ニューバランスのカスタマイズシューズを履いていたようですが、もし彼女がナイキを履いていたら、もっと違った走り方をしたのだろうと思います。その結果彼女はどんなタイムを出したのだろうと思わずにはいられません。

ワールドアスレチックスはビジネス的な成功を求める

 昨年10月にはイギリスのBBCから、ナイキの厚底シューズの禁止の可能性が報じられましたが、昨日1月28日には同じイギリスのガーディアンから、全く逆の可能性が報じられました。  

 このガーディアンの記事通りであれば、ナイキのシューズは認められた上に、あとを追う各メーカーの技術開発には、制限をかけるということになります。つまり、現在のナイキの独占的なシュアとマーケティング的な優位性を積極的に認めることになります。

 このことは本来、予想されたはずです。記事では多額の賠償の可能性のある法廷闘争に持ち込みたくないということが理由として書かれていますが、そもそも商業主義化を突き進むワールドアスレティックス(旧国際陸連)が、世界最大のスポーツメーカーのヒット商品にケチをつけることはしないでしょう。お互いのビジネスにとってウィンウィンのシステムの構築を目指するのは当然のことです。

 この厚底シューズと10年前の高速水着レーザーレーサー」との違いを書く記事が数多くありましたが、筆者が違いをあげるとすれば、開発、販売するのが世界一のスポーツメーカーのナイキであるか、水着メーカーとして大手ではあるがナイキほどの企業力のないスピードであるか、その違いだけだと考えます。

 明日、31日にはワールドアスレティックスが公式見解を出すと言われています。どんな答えが待っているでしょうか。

www.theguardian.com