スポーツについて考えよう!

日々、発信されるスポーツの情報について考えよう

テラハとスポーツの共通性を考えます。

プロレスラー・木村花さんの死亡の理由

 今回はフジテレビのテラスハウスという番組に出演していたプロレスラー、木村花さんが亡くなった件に関連して、少し書いてみようと思います。

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 現実のものとして放送されるこの番組のストーリーの中で、彼女がとった言動に対して、SNS上で炎上し、誹謗中傷を苦に彼女が自殺した可能性が高いとして報道されていて、高市総務大臣は、ネット上の無記名による個人に対する攻撃に対して、発信者を明らかにできる法改正を目指すことを表明しています。

 SNS上の誹謗中傷については、筆者自身も絶対反対ですが、それに関する具体的な意見は他の方に譲って、別の視点からこの出来事について考えてみたいと思います。

テラスハウスではカメラに撮られるために出演者が自らを演出する

 テラスハウスは、ドキュメンタリーではなくリアリティショーに分類されて番組です。リアルに見せているがショーである、つまり作り物であるということです。今回の事件に関連しても、実は番組には台本があったとか、出演者は制作側の指示で動いていたという指摘もあったりしますが、筆者は最低限のストーリーボードはあるだろうと思います。さらに重要なシーンでは、振り付けやカット割りが行われたはずです。黙って素人の出演者の気まぐれに振り回され、ありのままを撮影していては、番組として成立しないからです。目に見えて誰にも分かることをあげれば、もし、ありのままに撮影した場合には、多くのシーンでスタッフが映り込むはずです。

 しかし、それがあろうがなかろうが、出演者がカメラに撮られていることを意識している時点で、本当の意味では普段とは別の行動をとります。

 例えば、普段、家では平気でオナラをする女性がいたとしても、家の中にカメラがあるとわかっていれば、それを控えるでしょう。家では裸同然で暮らしている人でも、カメラがあると分かっていれば、見られても構わないように服を着るはずです。

 このテラスハウスのように半ば素人が出演者の場合でも、彼らが意識的にテレビ受けを狙って行動します。テラスハウスにいても何もしなければ、テレビに映らないという可能性もあり、出演者たちはそれを十分に理解しているはずです。素人でも受けを狙うことはテレビマンであれば誰もが知っていることで、しかも、複数人いた場合には、受けを狙う行動が徐々に過激になっていくことも承知のことで、それを制作側も期待しているでしょう。

 制作側の指示がなくても、出演者同士で話し合って、恋愛関係や別れ話を演出したりすることもあるはずです。プロのタレントと違ってキャラ設定がないだけに、素人の方が抑制が効かない場合もあるでしょう。

 スタジオでタレントのコメントを入れるのは、こうした出演者の行動を煽る狙いもあるように思います。出演者たちは、タレントたちの期待に応えたり、意識的にそれに反する行動をとることで、受けを狙うからです。

 プロレスラーの木村花さんのような人気商売を本業に持つ出演者の場合は、その本業を意識した行動をするはずです。この番組を通して、自分やプロレス団体の人気を高めようとする彼女は、プライベートとして設定されているシーンでも、ヒール役(悪役)レスラーの木村花を演じて、言動をしていた可能性があると思います。

 ちなみに、ここまで出演者が原則素人である前提で書いていますが、実は全てタレントやタレント予備軍である可能性があることも書き加えておきます。そして、プロフィールを書き換え、無名のタレントを素人として出演させていたとしても、テレビ局は演出の範囲と考えます。

 

 こうしたことは、テラスハウスの前身で現在NETFLIXで配信されている「あいのり」でも全く同じことが言えるでしょう。

 

 一方で、番組自体が、SNS上での炎上を狙った可能性もあります。プロレスラーの木村さんがヒールだったことは好都合で、そうした演出もしやすいでしょう。3月にNETFLIXで配信して既にSNS上で炎上していた回を、今月フジテレビで放送しています。通常であれば、テレビ局として放送を避けるのが一般的ですが、それをあえて放送したとすれば、番組担当だけでなく局の中枢とも言える編成も含めて、事態に加担していた可能性があるかもしれません。さらにフジテレビは、SNS上での炎上=誹謗中傷に番組スタッフが直接関わったかどうかを調査し、明らかにすべきだと思います。

 

 一方で、最も大切なことは、テレビやネット配信の中で行われていることの多くは、様々な意味で演出された制作物であり、決して現実ではないということを多くの人が知るべきです。

 

テレビの中では視聴者が想像する以上の演出が行われている

 スタジオトーク番組もリアリティショーの1つです。

 今世紀に入った頃だったと思います。筆者はNHKのスタジオトーク番組を外注ディレクターとして演出をしていました。まだ、NHKが外部に番組を任せることなど滅多に無かった時代です。

 ある有名なお笑い芸人をゲストに迎えるにあたって、その芸人の師匠にある大御所から彼への手紙を書いてもらってそれをゲストに読んでもらうことになりました。いわゆるドッキリです。

 当時、NHKのこの手のドッキリは、本当に出演者に伝えずに行なっていることが多かったと思いますが、この手の「無茶振り」は業界的には極めて評判が悪かったこともあり、実際には出演者と手紙を送る側で連絡ができていて、本当の意味でのドッキリはほとんど無かったと思われます。

 局としての方針は上記の通りですが、民放の経験が長い私はその方針に従わず、私が担当する番組では、少なくともマネージャーに伝えることにしていました。

 今回ご紹介するケースも、芸人のマネージャーに了解を取った上で、その大御所のマネージャーに電話をしました。大御所のマネージャーをする人は、当然、マネージャー自身が業界では名の通った大物マネージャーです。

 筆者から企画の内容を聞いた大物マネージャーから、芸人本人が知っているかを聞かれたので、筆者がマネージャーには伝えてあると答えると、できるだけ早く本人から大御所本人にお願いをすることと、筆者が手紙を書いて、事務所に送ることを指示しました。筆者が書いた手紙の内容に問題なければ、それにサインを入れて、そのまま番組で使用するためです。

 今、昔も、テレビで行われているドッキリとは、NHK以外では、だいたい、そんな感じです。

 

 あるドキュメント系の生放送の情報番組では、出演者が幻の天然大ウナギをしかけで採ったシーンを撮影するために、事前に地元の漁師さんにお願いして、あらかじめ大ウナギを捕獲してもらって、撮影まで生簀で飼ってもらうことがありました。この手の演出は、局を問わずどこでも日常的にやっているはずです。

 

 筆者の世代では、有吉弘行さんがいたお笑いコンビ猿岩石がアジアを旅をした「進め!電波少年」が有名です。演出としては面白いですが、決して放送内容がリアルだったはずはありません。そのことを有吉さん自身がのちに言及しています。

 この番組のシリーズでは、タレントが突然拉致され、突然海外の見ず知らずの場所から旅をスタートさせられる演出がされますが、大前提として世界のほとんどの国で、本人の顔や身分の確認されることなく、目的地も知らずに、出入国ができるはずはありません。しかも番組収録は観光ではありませんから、就労ビザが必要なはずです。ビザ申請では大使館に代理出頭が可能な国もありますが、少なくとも自筆のサインは必要です。アジアや中南米、アフリカへの渡航には、事前の予防注射が義務付けらえている国も少なくありません。また観光ビザではない場合、第3国から第3国への出入国にも、事前の手続きが必要な国が多いはずです。

 ですから、出演者が現地まで目隠しをして、それを取るまで、どこにいるか分からないという状況が存在するはずはないのです。

 中学生くらいまでにならまだしも、大人になったらそうしたことに疑問を持つ必要はあるはずです。

 

 最近では、バスや電車を乗り継いだり、バイクに乗ったりのロードムービー系の番組が数多くのありますが、本当に飛び込みなのか、仕込みで成立している番組なのか、色々なパターンがありそうです。もちろん、仕込み番組の中でもリアリティ感を増すために本当の偶然も織り込んだり、本当の飛び込みばかりでは番組が成立しなくて、仕込みを混ぜている場合もあるでしょう。

 それでも、面白いは番組はあるので、筆者は仕込み前提で見させてもらっています。

 繰り返しになりますが、テレビ、そして今回のテラスハウスのようにネットフリックスのようなネットで配信された映像がその多くが真実ではないということを、見る側が知っておく必要があります。

テレビの演出とスポーツの中での共通性

 実は、同様のことはスポーツの世界でも少なからず起こっています。

 テレビカメラの前でのアスリートが語る長時間のインタビューでは、先に紹介したテラスハウスの場合と同様に、出演者であるアスリートがカメラを意識して、どのように答えるのがテレビ受けがいいのか考えて答えたり、表情やポーズを作ったりします。一般には、新聞や雑誌、WEBの文字のインタビュー記事に比べて、映像の方が事実だと思われがちですが、決してそうとは言い切れません。

 試合直後の囲み取材のようなシーンでも、映像、文字問わず、聞き手の受けを狙った返事をするアスリートが増えていることも事実です。その理由は、今の日本のスポーツ報道では、聞き手の意に沿った答えを提供しないと、使ってもらえないからです。言い方を変えれば、いくら自分の意見を言っても、テレビには放送されないし、新聞や雑誌に掲載されないのです。筆者が現場で取材していた時代でも、はっきりとそうしたことを指摘するアスリートがいました。

 

「今日の試合は、○○のプレーが分かれ目でしたが、A選手はどう思いますか?」

<○○のプレーが試合の分けれ目>であるのはこの記者なりインタビューの意見に過ぎないのですが、こういった聞き方をする聞き手が数多くいます。そういう聞き手は、アスリートが完全に否定でもしない限り、<○○のプレーが試合の分けれ目>という意見がこのアスリートの意見だと加工して世に送り出します。海外出身のアスリートの多くは自分の考えに合わない投げかけに対しては、必ずはっきりと否定しますが、日本人アスリートの多くは、それが分かっていても、明確に否定をしないのは現実です。

 試合後の会場の取材では、順番に記者やインタビュアーの間を選手が回って行くのですが、最初に<○○のプレーが試合の分けれ目>という取材を受けた選手は、<○○のプレーが試合の分けれ目>だと言うとメディア受けが良いと考えて、その後の取材には、<○○のプレーが試合の分けれ目>だと自分から話をするようになるのです。彼自身の意見は関係ありません。

 これが複数の選手で行われると、この試合の分かれ目が既成事実化されるのです。 

 

 テレビを含めたメディアの受けを狙って、自ら積極的に行動したり発言したりするアスリートも少なからずいます。プロアスリートも人気商売であるし、そうした行動も含めてそのアスリートの人格だという考え方もありですが、そういうアスリートの発信に限ってメディア受けがよく、頻繁にメディアに登場するのも事実で、さらにメディアの手によってそのアスリートの人となりや行動がより見栄え良く加工されていきます。

 情報を発信するメディアの方も、アスリートが目立つことでビジネスのチャンスが発生しますので、持ちつ持たれつの関係と言えるのでしょう。

 もうすでにピークを過ぎたアスリートが、まるで現役バリバリかのように扱われるのもこうした理由があります。

 

 アスリートの活躍や過去の実績が過度に誇張され大げさに表現されることは、最近のメディアではよく見受けられます。特にテレビでの試合中継の際の、選手紹介のVTRによく見られる手法です。また、ネットでは海外でプレーするアスリートの情報を中心に、誇張や演出が多く見られます。テレビもネットも選手の価値を高く見せることで、見てもらうことができるのです。

 

 私たちは、多くのテレビ番組と同様、メディアによって作られフィルターを通してスポーツを見ているのです。

 

 さて、私たちが、映像を通して見ているスポーツの試合は、リアルなのかリアリティなのか。筆者は時として疑問に思うシーンに出くわすことがありました。