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東京武蔵野シティFCはなぜJリーグ昇格を断念したのか? 第1章

Jリーグ昇格断念を突然発表した東京武蔵野シティFC
そのなぜについて推察する

 9月15日、Jリーグから今シーズンJFLに加盟している下記の6つのクラブに、来シーズンに向けてのJ3ライセンスが交付されたことが発表されました。

 交付されたクラブは、ラインメール青森いわきFCヴィアティン三重奈良クラブFC大阪テゲバジャーロ宮崎の6つのクラブです。

 J3クラブライセンスとは、来シーズンJ3に参加するための基本的な資格で、JFLの今シーズン終了時点で、順位が上位4位以内、営業収入が1.5億円を超えた場合、J3昇格が認められます。例年はこれに観客動員1試合平均2000人以上の条件がありましたが、今シーズンは、新型コロナウイルス感染対策で無観客や観客数を制限して開催しているために、今シーズンに限り全クラブが免除になっています。

2021シーズンJ3クラブライセンス判定結果について (J3入会を希望するクラブ)

 さて、その一方で、昨年この発表で名前がありながら、今年名前が消えたクラブがあります。1つは無事にJ3に昇格したFC今治、もう1つは東京都武蔵野市をホームタウンとする東京武蔵野シティフットボールクラブ(東京武蔵野シティFC)です。その東京武蔵野シティFCは、8月3日、運営法人であるNPO法人武蔵野スポーツクラブの理事長の名前で、Jリーグ昇格の断念とチームの移管を発表しました。

【お知らせ】東京武蔵野シティフットボールクラブ運営法人の変更について | 東京武蔵野シティフットボールクラブ

 同じ日にJリーグからもこのクラブの百年構想クラブの脱退がリリースされています。

東京武蔵野シティFCのJリーグ百年構想クラブからの脱退について:Jリーグ.jp

 東京武蔵野シティFCの昇格断念について、スポーツ新聞はおろかサッカー専門サイトでもほとんど報じられることがなかったので、サッカーに詳しい方でもご存知なかった方も多いかもしれません。クラブの公式ホームページに掲載されている発表を筆者なりにまとめてみると下記の通りになります。

・地域に根ざし社会に貢献するサッカークラブという原点に立ち返った結果Jリーグ昇格を断念する
Jリーグ参入断念に伴い、現状の経営体制を一新し、このクラブのメインスポンサーでもある横河電機が設立した一般社団法人横河武蔵野スポーツクラブに、東京武蔵野シティFCの事業を移管する。

 おそらく、このクラブを応援する多くの方々にとっては、なぜJリーグ昇格断念にすることになったのかが重要だと思いますが、残念ながら発表された内容には、Jリーグ昇格断念に至った具体的な理由や経緯についての記載はありません。

 そこで、東京武蔵野シティFCが、Jリーグ昇格断念に至った理由を、筆者なりに推察してまとめてみました。内容は次の3章です。

 第1章 東京武蔵野シティFCはどこを目指していたのか?
 第2章 東京武蔵野シティFCが昇格を断念したわけを推察する
 第3章 東京武蔵野シティFCに他の可能性はあったのか?

第1章 東京武蔵野シティFCはどこを目指していたのか?

2019年の東京武蔵野シティFCJリーグ昇格まであと一歩のところに迫っていた

 昨年、東京武蔵野シティFCは、Jリーグが昇格にあたり条件として定めているホームスタジアムの基準の不足部分を一時的に免除される「例外適用申請」という手続きを行うことによって、2020年シーズンに向けてJ3クラブライセンスが承認されました。

 しかしこの「例外適用申請」が承認されて昇格すると、新たに「フットボール(専用)スタジアム」であることなどJリーグが理想と考えるスタジアムを、3年以内に具体的な建設計画書を提出し、5年以内に完成することが必要になるのです。

(最大では5年以内に着工、9年目のシーズン当初にホームグラウンドとして使用可能)

 それでも初のJ3クラブライセンス取得の効果は大きく、シーズン終盤には、東京武蔵野シティFCにとっては、スタジアムの条件に次いで大きな課題だと思われていた観客動員数でも、1試合で5000人以上の観客を集めるなど昇格の基準の年間30000人に後一歩に迫っていました。しかも、最終順位でも4位になり、今シーズンこそ、J3昇格が期待されていました。それだけに、この発表が残念だったのは筆者だけではないはずです。

東京武蔵野シティFCのこれまでのあゆみ

 東京武蔵野シティFCの歴史は古く、前身の横河電機サッカー部の創立は1939年まで遡ります。以来、社内同好会で活動したきたこのクラブは、1998年にアマチュアチームの頂点と言えるJFL初昇格し、2003年には組織を社外に出して任意団体になって横河武蔵野FCとして活動を始めました。さらに2007年には、武蔵野スポーツクラブというNPO法人を立ち上げ、その法人をチームの運営母体にしました。

 NPO化当時、目的は大きく言って2つあったと聞いています。任意団体では協賛金の受け取りが難しくなりつつあり、また収支でプラスが生じていたために長期的に見ると税務的にも問題が発生する可能性があったこと。2つ目は、横河電機の色が強かった組織を、地域に根ざしたより公共性の高いスポーツ団体の形にして、地元から支援を受けやすくするためだったと聞いています。

 しかし、この頃の理事会の方々とお話をする機会がありましたが、皆さん一様にJリーグ昇格を意識していることは間違いありませんでしたし、中にはそのために法人化したと明言されていた方もいたと記憶しています。

 では、なぜチーム名は任意団体の時のまま「横河武蔵野フットボールクラブ」、つまり企業名である「横河」を付けたままだったのでしょう。チーム名に企業名がついたままではJリーグ昇格が認められないのは、周知のことです。組織内にJリーグ昇格に異論がありひとつにまとめられなかったのか、それとも引き続き横河電機の支援を得るためにそれが条件だったのか? おそらく、その両方だったのではないでしょうか。

 結局、チーム名から「横河」の名前を外すまで10年近くの時間を必要としたことになります。

NPO法人になっても変わらなかった横河電機への高い依存性

 2007年にNPOとして法人化はしましたが、クラブとしての環境は大きく変化したわけではありません。多くの部分で引き続き横河電機に依存していました。横河電機が現在も含めて収入の大きな部分を占める大口スポンサーであることは十分想像できますし、NPO設立当時は選手の大半が横河電機の社員で、監督、コーチも同様です。社員選手は、その後徐々に減り現在は数人にまで減っています。監督は2013年から2017年まで元Jリーガーの吉田康弘氏が指揮を執りましたが、2018年からはまた横河電機社員の池上寿之氏が指揮をとっています。

 また、現在の理事長の井草直人氏をはじめ、理事の多くが横河電機社員かそのOBであることも依存性の高さを物語っています。

 何よりも大きいのは、練習グラウンドとクラブハウスを横河電機の施設を使用してることです。同社のラグビーなどと共有しているので占有とは行きませんが、中央線三鷹駅北口の一等地を拠点にできることは、このクラブのストロングポイントになっています。これまで横河電機との間でどのような条件で使用してきたかはわかりませんが、もし正規にお金を払って使用していたとしたら、年間1億円でも到底足りないはずです。なにより、おそらく都内のこれだけアクセスのいい場所で、練習施設やクラブハウスを手にすることは、いくらお金を払ったとしても非常に難しいと思います。

 このようにこのクラブが、横河電機に依存する状況では、チーム名から「横河」の名前を外すことができなかったのは致し方がない判断だったのかもしれません。

 そして、スポーツ組織の特定の企業への依存は、Jリーグの多くのクラブをはじめ日本のプロスポーツでは、珍しいことではありません。特に近年のJリーグではむしろ積極的にクラブの企業への依存を推進しています。

こうして東京武蔵野シティFCは「例外適用申請」でJ3を目指した

 2015年このクラブはようやく重い腰をあげて、Jリーグ百年構想クラブに申請し、J3を目指すことを正式に表明します。2016年シーズンからはチーム名から「横河」を外し、現在の東京武蔵野シティフットボールクラブになります。

 2016年には百年構想クラブへの加盟が許されて、名実共にJリーグを目指すクラブになります。しかし、2016年と2017年に行ったJ3クラブライセンスの申請(Jリーグの資格審査のようなもの)では、主にホームスタジアムの武蔵野陸上競技場Jリーグが求める条件に満されずに承認されていません。その後、武蔵野市が大規模な改修を行ったものの、それでも改修が必要とされた全てを解決することができず、2018年にはクラブライセンスの申請をしていません。申請しても承認されないことはわかっていたからでしょう。

 しかし2019年に懸案だったこのスタジアムについて「例外適用申請」という新しい規則ができて、その新しい規約を利用して、J3クラブライセンスの申請を行い承認されたのです。

2020シーズン J3クラブライセンス判定結果について (J3入会を希望するクラブ)【Jリーグ】:Jリーグ.jp (2019年9月24日J3クラブライセンス承認時のリリース)

東京武蔵野シティFCはなぜJリーグを目指したのか?

 2014年のJ3創設の段階では希望したクラブがほぼ無条件に昇格できたにも関わらず、当時の横河武蔵野FCは手をあげることをせず、自らJFLに残ることを選びました。NPO法人立ち上げ当時、関係者からJリーグ昇格を念頭に法人化したと聞いていた筆者は不思議でなりませんでした。

 そして、J3創設の翌年の2015年には段階で早くも昇格を目指すことを表明しているのです。その理由としては、J3創設をきっかけに、優秀な選手が集まらなくなり、JFLを維持することにも危機感を持ったためだと、クラブ関係者から聞きました。

 本当にJFLを維持できるかどうかの瀬戸際に追い詰められるかは別にして、J3の創設によるこうした影響は十分に予測できたはずで、僅か1年程度での路線変更には疑問が残ります。

 さらに重要なことは、この言葉通りであれば、高いビジョンを掲げ積極的にJリーグを目指したというよりは、クラブの存続のために、致し方がなくJリーグ昇格を目指したことになります。

 果たして、このクラブは何を目的にして活動をしていたのでしょうか。存続を目的にした活動、存続のための存続になっていたのではないでしょうか。もしそうだったとすれば、そうした組織の姿勢は、応援する人々や支援する企業の期待に応えるに相応しいものだったのでしょうか。

 

第2章に続く

>>第2章  東京武蔵野シティFCが昇格を断念したわけを推察する