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IOCバッハ会長が語るオリンピックの価値と現実との矛盾【大幅改訂版】 後編

後編 IOCの理想との矛盾と表現の自由に消極的な理由

バッハ会長はIOCを積極的に政治問題に導いている

 10月28日に国際オリンピック委員会(IOC)の公式サイトに掲載された文章で、トーマス・バッハ会長は、オリンピックは政治との無縁であり、オリンピックの持つ恒久的なメッセージの重要性を主張しました。

Sport and politics: my experiences as an athlete - Olympic News

 しかし、実際の行動はその言葉とは裏腹で、バッハ体制のIOCは決して政治的な活動や主張と無縁ではありません。むしろ積極的に政治的な課題に関わろうとしているようにさえ見えます。

 2018年平昌冬季オリンピックでは、朝鮮半島の「南北統一」という第二次世界大戦朝鮮戦争から続く、かつての東西冷戦も絡んだ世界的な政治問題にIOC自ら身を投じました。南北統一チームの競技への出場や開会式や閉会式での統一チームの行進を認めました。そこで選手たちやスタンドの南北朝鮮国民が打ち振る半島が描かれた旗は、日本をはじめ近隣諸国から見れば明らかな政治的な主張そのものです。

 日本では、バッハ会長はこのアクションでノーベル平和賞を狙っているという噂がありましたが、あながち外れていないかもしれません。

 もし、来年、東京オリンピックパラリンピックが開催されて、平昌冬季オリンピックと同様に統一チームが出場し、会場で朝鮮半島の旗がうち振られれば、日本では激しい政治的な論争が巻き起こり、世界に向けて発信されることになります。

 2016年のリオ・デ・ジャネイロオリンピックで初めて結成された難民選手団も、政治とは無縁ではありません。国籍や身上に捉われず、より多くのアスリートに参加できる機会を提供するという意味では、オリンピック憲章に沿ったアクションだと言えますが、アスリートが難民になった背景や、その原因を作った統治者の立場から見れば事情は明らかに異なります。難民がオリンピックという華々しい国際舞台でスポットライトを浴びることは、単に難民の保護や彼らの人権の擁護とは違った、明らかな政治的な意味を持ちます。

 難民選手団に選ばれたアスリートは、大会終了後帰国の道を閉ざされたり、母国の家族が辛い目に合わされる可能性もあるでしょう。筆者の視点では、彼らはIOCの政治的なパフォーマンスに駆り出された犠牲者にもなり得ると考えています。

現存するスポーツ界の差別、格差にIOCは何もしていない

 全米オープンの前哨戦となる大会の準決勝をボイコットした大坂なおみ選手が、テニス界を白人中心の世界と語ったように、多くの競技団体で人種や宗教の違いによる格差や差別は解消されていません。

 IOCは、オリンピック憲章の「オリンピックの根本原則」(Fundamental Principles of Olympism)で下記のようにうたっていながら、現実にスポーツ界に存在する格差、差別に対して手を拱いてきました。

オリンピックの根本原則

4. スポーツをすることは人権の 1 つである。 すべての個人はいかなる種類の差別も受けること なく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない。 オリンピッ ク精神においては友情、 連帯、 フェアプレーの精神とともに相互理解が求められる。

6. このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、 政治的またはその他の意見、 国あるいは社会的な出身、 財産、 出自やその他の身分など の理由による、 いかなる種類の差別も受けることなく、 確実に享受されなければならない。

 オリンピック憲章 Olympic Charter 2020年版・英和対訳|日本オリンピック委員会

 オリンピック本番だけで、全てのアスリートにとって平等にスポーツをする機会を提供しているかのように演出をしても、それぞれの代表を決める国レベルの予選やそもそもの裾野の競技環境で、格差や差別が無くならなければ、スポーツが平等な権利とは言えず、オリンピック憲章はただのお題目に過ぎないのです。

BLM運動が創った時代の変化にIOCはどのように応えるのか? 

 1968年のメキシコシティオリンピックでは、男子200m走で表彰台に上がった3選手、優勝のトミー・スミス(アメリカ)、2位のピーター・ノーマン(オーストリア)、3位のジョン・カーロス(アメリカ)が、当時アメリカで盛り上っていた黒人差別撤廃運動「公民権運動」に賛同し拳を突き上げるなどのポーズをして、この大会や自国の競技団体から追放されました。ブラックパワーサリュートと称され、オリンピック会場で行われた最も象徴的な政治的活動として、オリンピックの歴史に刻まれています。

 スミスとカーロスの二人の黒人選手は、2019年に全米オリンピック・パラリンピック委員会から殿堂入りが認められて復権を果たしましたが、二人に賛同して「人権を求めるオリンピックプロジェクト」のワッペンを貼って表彰式の望んだ、オーストラリア人のノーマン氏は亡くなるまで不遇の時を過ごしたそうです。

 スミス、カーロス両氏の復権もBlack Lives Matter運動の盛り上がりを受けてのものに間違いありません。彼らの行動は、50年近く経った現在では勇気ある行動として賞賛されるまでになっています。

 そのほかにもアメリカでは多くの競技で、アスリートが人種差別への抗議活動に参加したり、競技場でパフォーマンスをすることを認めるようになりました。そうした動きは大きなうねりとなってオリンピック、パラリンピックにも迫るでことしょう。

 さらに、バッハ会長や従来からのIOCの考えでは「人種的プロパガンダ」を政治的な活動、主張の一環として扱ってきていますが、アメリカでは、例えば大坂なおみ選手が行なったような差別解消への主張は、政治的な行動ではなく、全ての人に共通する基本的な人権の一部であり、保証される「表現の自由」だという意見が強くなっています。

 IOCは、アメリカのプロスポーツを中心に見られる、試合前の国歌の演奏中に片膝をつく行為を禁止する指針を今年の1月に出しています。しかし、この指針を修正することも含めて新しい指針作りをしているとも言われています。50条の改正を求められていることも最初に書いた通りです。

 そうした新しいルールの有無に関係なく、来年東京オリンピックパラリンピックが開催された場合には、片膝をつくポーズや大坂なおみ選手のようなメッセージを発信するアスリートは、必ず現れると言っていいと思います。

 その時、IOCはどのような態度でそのアスリートに望むのでしょうか? 少なくとも1968年のメキシコシティオリンピックと同様の対応をすれば、アメリカを中心に世界の世論が許さないでしょう。アメリカ企業を中心にスポンサーも黙っているとは思えません。

 そもそも、もしかすると、現状のルールのまま開催されるオリンピックでは、現実的には差別を認めているとして、大会をボイコットするアスリートが現れるかもしれません。

IOCはなぜ「表現の自由」の承認に消極的なのか?

 IOCでは、アスリート委員会の要望の応えて、規約改正への道筋を作っていると伝えられてます。

五輪表現の自由、3月までに提言 IOC選手委員会 - 一般スポーツ,テニス,バスケット,ラグビー,アメフット,格闘技,陸上:朝日新聞デジタル

 一方で、今回のバッハ会長の文章は、それと反する意思表示に読めます。

 IOCが今後も、オリンピックの舞台でのアスリートの「表現の自由」に対して消極だととすれば、それには大きく2つの理由が考えられます。

 その1つ目は、IOCという組織が持つ本質です。

 現在のIOCは、オリンピック憲章で定められた最大115人の委員とその中から選ばれた、会長、副会長を含む15人の理事で運営されています。

 現在の委員会のメンバーは104人で、IOCの公式ホームページで、母国、スポーツ歴やオリンピックの出場歴、学歴、キャリアなどの一人一人のプロフィールが写真入りで見ることができます。

IOC Members List - International Olympic Committee

 そのホームページの情報を元に筆者がまとめた大陸別の構成は次の通りです。

委員(104名)

※トルコとイスラエルは、スポーツではヨーロッパオリンピック委員会に加盟していますので、ヨーロッパとしてカウントしています。

理事会(会長1名、副会長4名を含む)

 委員のメンバーの構成を見て驚くことは、ヨーロッパの委員の数の圧倒的な多さです。現在、IOCの委員のメンバーは、15名の現役アスリート、国際競技団体からの推薦15名、各国のオリンピック委員会からの推薦15名のほか、最大70名が個人の資格で委員に選ばれています。

 100年以上前、フランスの貴族が集まって設立されたIOCの委員は、その後、公募や公正な選挙を行わず、既存のメンバーや近しい人の推薦とメンバー内の承認を繰り返し、引き継がれながらその数を増やしているので、現在もヨーロッパの出身の委員が多いのは当然の流れと言えます。しかも、このヨーロッパ枠は当然のことながら原則白人が対象になるでしょう。

  さらにヨーロッパの多くの国々は原則、階級社会です。18世紀末にフランス革命があったフランスも、その後も事実上貴族階級は存在しています。近代オリンピックの創始者として知られるピエール・ド・クーベルタンもその一人で男爵の爵位を持っています。そのほか、イギリスをはじめ多くの国で事実上の階級社会が現在も存在しています。

 ロシア、東欧を除くヨーロッパ、特にラテン諸国で、アフリカ系の人々が多く住んでいる理由は、アフリカやアジア、中南米にあったかつての植民地から、労働力として多くの移民を受け入れたからです。長く移民を受け入れていなかったイギリスでも、1980年代高齢化による労働人口の不足で大量の移民を受け入れました。近年サッカーやラグビーイングランド代表にアフリカ系の選手が増えているのはこうした背景があります。

 移民とその子孫の多くは、現在も労働階級として、それぞれの国々の生産とサービスを支える立場にいて、滅多なことではネイティブの白人を頂点とする階級の階段を登っていくことはできず、それを登るための数少ない手段がスポーツだと言えます。

 近年はシリア内戦やISの影響で、大量の難民をヨーロッパ諸国を流入しています。彼らがその国に定住した場合、旧移民の下にこの難民たちが定着して、新しい最底辺の階級が生まれることが予想されています。

 IOC委員がアフリカ系であるかどうかは、ホームページのプロフィールに掲載された写真から判断するしかありませんが、写真で見る限りヨーロッパ各国の42人の委員の中に少なくともアフリカ系はいません。東欧や旧ソビエト圏、ロシアも含まれますので、西ヨーロッパの白人とは民族的には明らかに異なりますが、アフリカ系や私たち黄色人種との対比では、その存在はほとんど変わりはないでしょう。

 この傾向は、ヨーロッパ発祥のほぼ全ての国際競技団体(IF)に共通していて、白人主導の「統治」がまかり通っています。

 総じて、言えることは、IOCは支配階級側にあり、差別する側と差別される側のいずれかに属するとすれば、差別する側の組織だということです。

 IOCは人権問題で中国非難の場にしたくない

 IOCがオリンピック会場での表現の自由に対して消極的なもう1つの理由として、中国政府への配慮が考えられます。中国政府は、ウイグル族への人権弾圧に対して、人権を重要視する国の政府や世界中の人権団体から厳しい非難を浴びていて、IOCは世界の160を超える人権団体から2022年冬季オリンピックの北京開催を見直すように要求されています。さらにイギリス政府は同じ理由でこの大会のボイコットを示唆しています。

英外相、北京冬季五輪ボイコットの可能性否定せず-ウイグル人権巡り - Bloomberg

 北京でのオリンピック開催に反対するNGOの中には、他国へボイコットを呼びかける団体もあります。ボイコットの輪が広がるかどうかは分かりませんが、オリンピック会場での表現の自由を許した場合、北京冬季オリンピックはもとより来年開催される東京オリンピックも、現在の中国政府と、中国で大会を開催しようするIOCへの批判の場になる可能性が高いでしょう。しかもそうした非難の対象は香港やチベットの人権侵害にも広がるでしょう。

 IOCはなんとしてもこの状況を避けたいはずです。なぜなら、中国は、世界最大の人口をかかえ、GDPなどの経済的な数字でも早晩1位のアメリカを追い抜く可能性が高いと言われています。IOCにとっては、スポンサーや放送権料などマーケティング的に最大の上客になりえる存在で、その中国の機嫌を損ねることだけは避けたいはずです。巨大市場である中国との軋轢は、現在のスポンサーにも良い影響を与えないでしょう。これは、バッハ会長が掲げる政治的からを距離を置く独立性のためではなく、営業的、経営的な理由です。

 人権擁護団体や一部の政府だけでなく、トップアスリートの中にも、同様の意見を持つアスリートが現れて不思議はありません。

 そうした中で、現在のままアスリートの「表現の自由」を制限し、アスリートは黙ってスポーツだけに専念すればよいという姿勢を見せ続ければ、オリンピック自体の価値を貶める可能性もあります。

 IOCはどのような判断を下すのか? バッハ会長は、まさにBlack Lives Matter運動と時代の要求のうねりの中で難しい舵取りを迫られているのです。

 

この文章には下記の前編があります。

前編 バッハ会長が理想として掲げる政治から独立したIOC