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なぜ人々はアスリートにオリンピック辞退を求めるのか?

アスリートに行動を求めるメッセージは否か?

 池江璃花子選手をはじめオリンピックに出場が予定されているアスリートをターゲットに、オリンピックの出場辞退を求める声がSNSを中心にあがっていて、SNSを通してアスリートたちに直接メッセージを送る人もいるようです。

 これに対して、アスリートには責任を問うのは筋違いだという意見が少なくありません。この意見には、筆者は積極的に同意することはできません。

池江璃花子の“叫び”に為末大さんが有森裕子さんが野口健さんが - 水泳 - 東京オリンピック2020 : 日刊スポーツ

 オリンピックが開催されることを前提に、その準備として競技に一心に取り組むのは当然のことで、その出場資格に得るために大会に出場することも、その一環として認められるべきことです。

 しかし、彼らもオリンピックを目指すアスリートである前に、社会の構成員です。新型コロナウイルスという病気が蔓延し、多くの人の通常の生活が損なわれ、人命も失われています。日本国内での死者は累計で1万人を超え、終息には程遠い状況です。全世界で見れば累計で340万人以上、現在も1日に1万人以上の人が亡くなって、こちらも終息の見込みはありません。そうした現実を、アスリートたちも直視すべきでしょう。

 多くのトップアスリートが大同小異次のようなメッセージを発信しています。

「大会が開催されることを感謝している」

「色々考えたけど自分たちができることはスポーツだけ」

「オリンピックで活躍することがそうした人々に勇気を与える」

 実際に彼らがどのような思いにいるかは分かりませんし、一人一人に違いがあるとは思います。中には悩みに悩んだ末に、競技に取り組むしかないアスリートもいることでしょう。

 しかし、結局は自分たちの恵まれたトレーニングの環境さえ守られれば、何も無いかのように競技だけに専念しようとする姿勢は、あまりに社会性に乏しく、社会の一員としてあまりに無責任と言えるのでは無いでしょうか?

 オリンピックだけでなく、現在のトップアスリートの活動には多くの社会からの理解と支援によって成り立っています。実際に多くの税金も投入されています。そうした支援を受けているトップアスリートたちは、病気に苦しむ人たちやその親族、命をかけて治療に取り組む医療関係者の存在を、もっと積極的に意識すべきではないでしょうか?

オリパラ参加者への優先摂取はオリパラの価値を損ない孤立させる

 5月7日にはIOCが製薬会社との協定によって、大会に参加するアスリートと関係者にワクチンが提供されることが発表されました。アメリカのアスリートの中には、これを歓迎する声も上がっているようですが、残念ながらアスリート以外の多くの人たちには決して歓迎されることではありません。

新型コロナ: ファイザー、東京五輪選手団にワクチン供与 IOCと合意: 日本経済新聞

 日本のワクチンの接種状況は、世界の先進国でも最低レベルで、アフリカの国々と大差はありません。病気に対して抵抗力が低い高齢者や治療の従事する医療関係者など、本来優先的に接種されるべき人たちの接種も進んでいません。政府はオリンピックが始まる7月中に高齢者の接種を終えることを目標にしていますが、実際に接種を行う自治体からは難しいという声が上がっているようです。

 それどころか、オリンピック開催によって医療資源が割かれた場合、さらに接種を遅れる可能性があります。それはあたかもオリンピック開催によって震災復興が遅れたのと同様です。

 抵抗力のあるアスリートたちより接種を優先すべき人たちの接種が行われずに開会式を迎えるのは日本国内だけでなく、世界的にも同様です。世界を見渡せば出場選手や大会関係者より接種を必要とする人たちは日本以上に多く残されているはずです。

 それでも、オリンピック出場選手や関係者にワクチンを優先的に摂取することは、IOCやバッハ会長が、オリンピックさえ安全に開催されば良いというオリンピックファースト、ビジネスファーストのアクションに他なりません。

 筆者から見れば、こうしたIOCのアクションに異を唱えるアスリートがいても良いはずです。アスリートたちがそうした姿勢を見せることが出来なければ、より一層、オリンピックの社会的な存在意義は失われ、アスリートたちの活動は社会の厳しい目に晒されることになるでしょう。

五輪目指す選手「別枠」ワクチン優先接種に葛藤「国民の方々を優先してほしい」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

オリンピックやパラリンピックの開催の是非を論じる時、アスリートは当事者である

 新型コロナウイルスの蔓延とオリンピックの開催の是非について論じる時、大会に出場するアスリートたちは間違いなく当事者です。開催の有無に関われようが関われなかろうが、開催によって最も利益を得るのがアスリートだからです。こうしたアスリートに、辞退を迫ることは適切とは思えませんが、そういう行為が行われる原因の一つは、アスリートたちの当事者意識の不足にあるように思います。少なくとも日本のアスリートの多くが当事者に相応しい発信をしているように思えません。

 普段から自らの意見などを発信していないアスリートは、仕方がない面はありますが、普段からSNSなどで発信をしているアスリートは、この問題についてもしっかりと向き合って当事者に相応しい発信をすべきではないでしょうか。

 当事者であるアスリート自身が真剣に考え、議論し、発信することが必要なはずです。それによって、スポーツの社会的な価値が高まり、またオリンピックの価値をも高めることが可能かもしれません。

 

 オリンピックを平和の祭典と言う人がいますが、オリンピックやスポーツには世の中を平和にするほどの力はありません。もちろん、新型コロナウイルスの感染を抑えることも、それに苦しんでいる人たちを救う力もありません。そのことは多くの人が知っています。そして、アスリートたちの多くもそのことは知っているはずです。

 オリンピックやパラリンピックは世界が平和だからこそ開催することに意義のあるイベントです。世界の多くの人に安心が訪れ、開催を喜び、日本の私たちも心から歓迎できる時に開催すべきイベントであるはずです。

 逆の言い方をすれば、応援されないオリンピック、歓迎されないオリンピックが開催され、それに出場することがどんな価値を持つのか。そこで得た金メダルでも輝きは変わらないのか。アスリートにみなさんには是非真剣に考えて欲しいと思います