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北京冬季オリンピック雑感1(2/5)〜そして北京冬季オリンピックが始まった〜

「いつの間にか北京冬季オリンピックが始まっていた」

 日本に住む多くの人がそういう印象を持っているのではないでしょうか。

 

 2月3日にはカーリング、4日にはモーグルとアイスホッケー女子の予選、5日からのフィグアスケート団体の予選などが始まっています。

 そして、日本時間の4日21時からは、2008年夏季大会でもメイン会場として使われた通称「鳥の巣」で開会式が行われました。

 日本ではNHKがライブで放送しましたが、日本ではどれくらいの人がご覧になったのでしょうか。そして、どんな風に感じたでしょうか。

 筆者はその独創性豊かで巨大スタジアムの大きな空間を一体にする演出力に圧倒されました。

北京五輪開会式〜目を見張るほどのビジョンと工夫されて小道具〜

 驚くべきは競技場のグランド全体に広がるビジョン=スクリーンでしょう。さらにそのグランドレベルからバックスタンドの屋根まで届くビジョンも巨大です。もしかすると世界的に見ても最大級の大きさかもしれません。その巨大なビジョンを存分に生かした、ストーリー性が高く美しい演出は見事としか言いようがありませんでした。

 多くの出演者と彼らが手にする小道具にも工夫があります。スタジアム全体から見れば小さなものですが、それぞれがボリューム感のあるサイズなので、東京大会の開閉会式の時のようなチープさは微塵もありません。さらにそれを生かした統一感のある演出が小道具から強いメッセージを発信させています。

北京五輪開会式〜陸上競技場の呪縛から解かれた入場ゲート〜

 開会式のもうひとつの特徴は選手が入場してくるゲートの位置です。オリンピックの開閉会式では、セレモニーの途中から各国の選手団が入場してきます。陸上競技場をメイン会場とした場合、選手入場はどうしても各コーナーにあるマラソンゲートに限定されます。しかし、今回の開会式では、会場が陸上競技場であるにも関わらず、バックスタンドにゲートを開けてそこから選手が入場しています。これによって、今までと違った演出が可能になっています。

 これは、大会開催中に陸上競技場として使用されず、マラソンゲートが必要なかったからこそ可能だったのかもしれません。

北京五輪開会式〜固定観念を完全に捨て去った斬新な聖火台〜

 何よりこれまでと違っていたのは、聖火の点火です。中国出身のオリンピアン、アスリートによって場内を引き継がれた聖火んトーチは、中国出身謂わゆる漢民族と人権弾圧が問題視されている新疆ウイグル自治区出身のアスリート二人によって中央に運ばれ、巨大な雪の結晶の中央にある台の上にそのトーチのまま置かれました。

 聖火台が点火されるのではなく、トーチがそのまま聖火台になるという演出だったのです。聖火台は巨大なものであるという固定概念を打ち破る演出です。

北京五輪開会式〜感染対策のために短くなった開会式〜

 近年のオリンピックの開会式は3時間〜4時間かかるのが通常でしたが、新型コロナの感染対策の意味もあって従来よりも短い2時間20分で終わりました。開会式の内、参加すべての国と地域の選手入場は、他の大会同様どうしても間延びはしてしまいますが、それ以外の部分ではこれまでにない演出で十分に楽しめたのではないでしょうか。

 一方で、東京大会の開会式で14分を超えるスピーチをして批判を浴びたIOCバッハ会長は、ここでも10分を超える時間を使い、やはり空気を読めない存在となりました。

 東京オリンピックでは、IOCが大切にするアメリカでの開会式の視聴率が振るわず、東京大会では会を短縮することを認めなかったIOCも、この大会では大幅の短縮を認めたと思われます。

 2008年の夏季大会の開会式では、会場の外で打ち上がるように見えた花火が、実は放送映像だけで見えるCGだったことがわかり、非難の対象となりました。それだけに今回はそうしてトリックは使わずに、本来のあるべき演出に注力してきたはずです。

北京五輪開会式〜現在の中国とは矛盾する強いメッセージ性が高いコンテンツ〜

 この開会式が発信するメッセージとして見た時にも、オリンピックのスローガンである「より速く、より高く、より強く、共に」が十分に生かされたストーリーで、ジョン・レノンのイマジンも流されるなど、国境がない平和の世界を理想とするメッセージも分かりやすく伝えられました。

 聖火の最終ランナーに新疆ウイグル自治区出資のアスリートを選んだことも、厳しい国際世論に対応したものだと思われます。

 中国の政治理念との矛盾は感じずにはいられませんが、このイベントが発信するメッセージとしては十分なものだったでしょう。

 半年前の東京大会を振り返った時に、あの時の陳腐で伝えたいことが意味不明の演出とは雲泥の差。少なくともこの開会式を見る限り、中国は文化的にもすでに我々のはるか先に行っているかもしれないと思わずにいられませんでした。

 

 昨年9月以来の更新です。

 北京冬季オリンピックを通して、オリンピックの意義、スポーツの価値を改めて考えていきます。