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北京オリンピック雑感9(2/20)〜羽生結弦考・アスリートにとっての言葉の力〜

「努力は報われない」羽生結弦

 2月14日に北京オリンピックのメディアセンター内で開かれた記者会見で、羽生結弦選手は決勝の前日の練習で、右足首を捻挫し、歩くにも痛いほどで他の大会であれば棄権したであろう、ドクターストップがかかるほどの状態だったことを明らかにしました。

 オリンピック3連覇を目指して臨んだこの大会の羽生選手は、ショートプログラムの冒頭でジャンプを失敗し8位。フリースケーティングでは、まだ誰も公式戦で成功したことがない4回転半ジャンプで逆転を目指しましたが、このジャンプを含む二つのジャンプを失敗し、4位に終わり金メダルを逸しました。

 さて、その羽生選手は、4位で終えたフリーの直後のインタビューの冒頭で、「努力は報われないんだなあ」と呟いています。

 彼の自然に溢れるように出たその言葉は、この数年の間、世界で最も偉大なアスリートの一人として讃えられてきた彼の言葉としては意外なものでした。怪我の時も不調の時も、明るく前向きな言葉で、世界に語り続けてきたのが羽生選手だったのです。そうした彼の姿勢に感銘を受けて、彼を応援してきた人も数多くいるはずです。

 オリンピック連覇や世界選手権優勝などの結果を残し、世界のフィギュアスケーターの頂点に君臨し、多くの栄冠を手にしてきた彼は、自らの努力が報われた瞬間を他のフィギュアスケーターの誰よりも多く経験してきたはずです。それだけ、3連覇にかけた思いが強かったということでしょうか。

 しかし、インタビューなどを聞くと、彼にとっての報われなかった望みとは、オリンピック3連覇よりも、4回転半ジャンプだったようです。最近の報道で、彼は4回転半ジャンプに、前回のオリンピックの以前から4年以上トライしてきたことが分かりました。

「努力は必ず報われる」池江璃花子

 筆者が羽生選手の「努力は報われない」という言葉に注目したのは、昨年4月、白血病を克服し東京オリンピック代表に選ばれた池江璃花子選手が発した「努力は必ず報われる」という言葉があったからです。

 競技生命を脅かす大病を克服して、いったんは諦めたであろう東京オリンピックの舞台に戻ることができた自分に対して発したこの言葉に、多くの共感の声があった一方で、批判の声も少なくありませんでした。

 それは報われた彼女の努力の陰で、報われなかった努力が数限りなくあるからです。池江選手と同様に東京オリンピック出場を目指していた選手たちは、池江選手の出場によってその道が閉ざされたのです。その数限りない報われなかった努力が、池江選手に比べて劣っていたとは限りません。

 池江選手は、おそらく、メンタルトレーナーなどから、「努力すれば必ず報われる」等と言われ、その言葉をインプットし続けて、厳しいリハビリを乗り越えたのだとは思います。そうした言葉を素直に受け止めて、ポジティブに行動ができるのがトップアスリートの特性でもあります。

 しかし、少なくとも国内の選手選考の場に相応しい言葉ではなかったでしょう。できれば、自分の心にとどめて、その後も自分自身を鼓舞するためにだけ使うべきだったと思います。

 本来世界一を目指すはずの彼女に自身にとっても、この言葉をこの段階で言葉として発してしまったことはマイナスに作用するかもしれません。例え病気の克服という特殊な事情があったとは言え、世界一にいても尚「努力は報われない」と嘆く羽生選手と、日本代表に選ばれた段階で「動力は報われる」と口にしてしまった池江選手との差は歴然としています。

 もちろん、池江選手と同様の病に苦しむ人たちにとって、池江選手の言葉は力強い励ましになったことでしょう。

言葉の力の重みを体現したカーリング女子の活躍

 羽生選手や池江選手のようなトップアスリートが発する言葉が、人々に与える影響が大きいと同時に、彼ら自身にとっても言葉の力は大きいようです。

 カーリング女子で、今大会で準優勝だった日本代表=ロコソラーレは、昨年9月に行われた北海道銀行との代表決定戦で、0勝2敗で1敗もできない危機を迎えました。

 その時彼女らは「自分たちは運が悪いから、運を変えよう」と言ってメンタルのモードを切り替え、その後の3連勝で日本代表の座を射止めました。その様子はNHKでも特番で取り上げられるなど注目を集めました。ネット上にはこの番組の内容を起こしたコラムがいくつも存在しています。

 その内容を見ると、ここでもまたトップアスリートにとって、ポジティブ思考の大切さが再認識されます。と同時に、その前向きな気持ちを言葉にして発してコミニュケーションすることで、切り替えに成功しているように見えます。

 夏冬通したすべての競技の中で、カーリングほど選手のコミュニケーション力が重要視され、競技中の彼らの会話が注目される競技はないようです。日本では今回の大会で特にその点が注目されました。

 一投ごとに変化する氷上にあるストーンのレイアウトから生まれる様々な選択肢を、チームで的確に取捨選択していくには、高いコミュニケーション能力が問われるだろうことは誰の目にも明らかです。

 その中でも、周囲にお構いなく、笑顔を交えて大声でコミニュケーションを続ける日本代表は、今回のオリンピックでも際立っていました。彼女ら自身もそれが自分たちの持ち味であり、自分たちストロングポイントだと認識しているのです。

 中継の映像でも、選手たちの言葉がつぶさに聞くことができますが、イギリスに破れた決勝戦を見ると、日本代表の選手たちの声はそれまでの試合に比べて勢いがなく、話し合って戦術を決める際も守りに入っている印象がありました。また、ピンチのシーンでの鼓舞する言葉も少なく、劣勢をアップセットする力強い言葉も聞こえてこなかったようです。

 イギリスのショットがこれまでの試合以上に高い精度を示したのに対して、日本の精度はこれまでの試合に比べてもかなり落ちていたようです。技術的に分析をすれば、イギリスに比べて氷の状況が掴めておらず、ミスに繋がったというのが敗戦の原因として分析されると思います。しかし、メンタルの要素も大きいこの競技では、コミュニケーションの差、言葉の差も大きかったのではないでしょうか。

 そして、その差を産んだのが、オリンピックの決勝という舞台だったのかもしれません。

言葉によって自分が進む道を作る

 カーリング女子代表の選手たちは、運を呼び寄せようと声を掛け合ってオリンピックの舞台に立つことができましたが、その世界最高峰の舞台では、アスリート自身ではどうすることができない不運に突き当たることがあります。

 その一つが、冒頭にあげた羽生選手のショートプログラムのジャンプの失敗です。予定していたジャンプが飛べなかったシーンについて羽生選手は、「氷に嫌われた」と直後に言ったそうです。これもまた、羽生選手流の切り替え方ではないでしょうか。

 氷の表面に開いた穴にはまるという自分にはどうすることもできない状況を、「氷に嫌われる」と表現することで、諦めと切り替えを自らに促したように思います。

 残念ながら、羽生選手はその後のフリースケーティングでも4回転半ジャンプに失敗して、4位に終わりました。これで大会前から囁かれてきた羽生選手の引退がさらに現実味が帯びてきたように思えましたが、14日の記者会見では「また滑ってみたい気持ちもあります」と、含みを残しています。公言してきた4回転半ジャンプをわずかな差で成功できていないということも、彼の現役続行に対してモチベーションになっているようです。

 

 羽生選手は、この世代の他の日本のトップアスリートたちと同様に、これまで有言実行で結果を残してきました。虚言も混じる少し前の世代とは違って、冷静に自分の実力などを分析した上で、その最大限、最大値を目標として公言するのがこの世代の特徴です。そして、その公言した目標に到達するために必要な道のりを一歩一歩確実に歩んでいきます。もう一人、このスタイルに該当する代表的な選手の名前をあげるとすれば、メジャーリーグ大谷翔平選手です。

 今後の羽生選手も、自分が発した言葉が自らを奮い立たせ、今回体験したような運の悪さをも乗り越えて、挑戦を続けていくのかもしれません。