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高校野球をめぐる2本の記事

高校野球のあり方を問う

 4月5日、高校野球について気になる記事が2本アップされました。いずれもyahooのトップページにもリンクされた記事です。

 いずれの記事も、週刊誌系やゴシップ系のサイトでなく、ひとつは伝統のある総合スポーツ誌のウェブ版であり、もう一つはスポーツ専門誌を発行する出版社が運営している野球専門サイトであることは見逃してはなりません。

 両方の記事ともに、高校野球の全国大会としてのあり方、教育の一環である高校野球あり方を問いかけています。

足を引きずる投手が投げ続けることがまともなスポーツの姿なのか?

“まともに走れない投手”が激投の高校野球…“小学年代の全国大会廃止”の柔道に何を思う? 14年前、センバツ優勝した監督の後悔「選手の能力を潰していた」 - 高校野球 - Number Web - ナンバー

 今年のセンバツ高校野球では、京都国際高校がチーム内のクラスター発生によって大会3日前に出場を辞退し、急遽繰り上げで出場した近江高校があれよあれよと言う間に勝ち進んで決勝まで駒を進めました。その立役者が、1回戦長崎日大戦の延長13回、準決勝浦和学院戦の延長11回を含めて準決勝まで全試合、全イニングを投げ抜いたエースの山田陽翔投手です。

 準決勝の浦和学院戦で4回に2点失点を許した山田投手は、5回の打席で左足かかとにデッドボールを受けます。その痛みのために満足に歩けないほどです。にも関わらず、山田投手はその後もマウンドに上がり続け、この試合を延長11回の最後まで投げ切った上に、翌日の決勝戦も初回からマウンドにあがったのです。

 もちろん、マウンドに上がらせたのは多賀章仁監督です。彼は登板させた理由を山田投手が自ら「行ける」と言ったからだと試合後に話をしたそうです。

 その決勝戦で山田投手は、3回途中4失点で降板します。この時も、マウンド上の山田投手が自分でベンチに交代の合図を送っています。

 投げるのも山田投手の意思、降板するのも彼の意思。監督の指導者としての判断は存在していないかようです。監督の大人としての意思も介在しないかようです。

 そして、山田投手はボロボロになるまで投げ続けた。しかし、彼が自分の意思で投げるようにしたのは、監督も含めた周囲の思惑であり、意図でしょう。

 こうした状況でも、ほとんどのメディアが多賀監督の采配に肯定的です。傷ついても立ち上がる姿や気概、監督と選手の信頼関係の美談が、日本人の好物であることをメディアもそれをよく知っているのです。だから、日本の高校野球だけでなく、育成年代のスポーツでこうしたことがこれまでも繰り返されてきたし、今後も続いていくのです。

 例えばこんな記事のように。

“投手分業制”で強豪に育てた監督の信念すら…近江・山田陽翔は“賛否とは別次元の男”「『エースで4番でキャプテン』だと自覚している」 - 高校野球 - Number Web - ナンバー

 この記事を客観的に読むと、山田投手の才能と気概に甘え、それにすがってのみ自分に与えられたタスクを達成しようと指導者の姿がはっきりと見えてきます。そして、多賀監督の言うのが「エースで4番でキャプテン」の姿ならば、高校野球のチームは決して「エースで4番でキャプテン」を作ってはいけないと言うことになるでしょう。

 さらに言えば、本当のチームなら、本当のアスリートの集まりなら、結果に関係なく、「俺に投げさせてくれ」と言う選手が現れなくてはいけませんし、監督はそうした選手の不在とそういう選手を育てられない自分の指導を嘆くべきです。

エースの登板回避が非難の対象となる日本の野球界は正常なのか

 今回の山田投手の場合とは逆に、絶対的なエースの登板回避して多くの非難を浴びた監督がいます。現在ロッテにいる佐々木朗希投手の大船渡高校時代の登板回避は、記憶に新しいところです。

 2019年夏の岩手県予選。大谷翔平選手を超える逸材とも言われて注目されていた佐々木投手を擁して県優勝候補だった大船渡高校の國保陽平監督は、この大会の県大会決勝で佐々木投手の故障を心配して彼の登板を回避し、その結果2対12の大差で破れて甲子園に出場することはできませんでした。

 この監督の判断に対してプロ野球のOBや解説者、高校野球の指導者を巻き込んでの大論争になりました。概して、國保陽平監督の判断に賛成するのはプロ野球の若いOBで、同じプロ野球でもベテランのOBは完全に否定的な見解ばかりで、高校野球の強豪校の指導者も大方が否定的な意見でした。

 約1年後、次のような國保監督のインタビュー記事が出ました。この記事の筆者は当時の國保監督の判断に否定的なようです。しかし、だからこそ、このインタビュー記事で初めて明らかになったことがいくつかありましたが、筆者は特に下記の2点に注目しました。

佐々木朗希「衝撃の登板回避」 大船渡・國保監督が真相初告白|NEWSポストセブン

「歩き方を含めた彼の様子を見て、決めました。高校3年間で一番、ケガのリスクがあるな、と。球が速い彼の場合、肩やヒジだけでなく、身体のどこに故障が出てもおかしくないですから」

「事前に、本人に相談したら、『投げたいです』と言うのは明らかだった。野手に伝えたら、『僕らが朗希をサポートするので、投げさせてやってください』と言うに決まっています。一言でも彼らに相談したら、(佐々木の登板を)止められなくなると思いました。」

 この記事に書かれてる國保監督の言葉を信じるならば、どちらも、彼の判断は監督であり指導者の本来あるべき行動だったはずです。

 日常から見ている選手の姿と比較して故障の可能性を感じ取り、大切な試合でも登板させなかった点。佐々木選手本人も含めて、選手たちと話をしたらどのような結果になるかを見通している点。

 近江高校の多賀監督はこれと正反対の判断をしたことになります。投げさせることによって、将来を棒に振るかもしれないと感じていたはずにも関わらず山田投手を登板させた上に、登板させた理由を本人や周りの選手が望んだから語っています。それは監督として責任逃れ以外の何物でもありません。國保監督と比較すれば、彼の言葉がいかに無責任であるかがわかるはずです。

私立高校は全国から選手を集めることができる

 もう一本の記事は、今回優勝した大阪桐蔭高校のように、一部の私立高校が野球部に県外など遠方からも生徒を集めていることに注目しています。記事では特に突出した大阪桐蔭高校のあり方を問題視しています。

王者・大阪桐蔭高の周辺が騒がしい【白球つれづれ】 | BASEBALL KING

 私立高校のいわゆる野球留学や私立高校の方が公立高校より有利であることは、だいぶ以前から指摘されていたことで、それを問題視する声が上がっては消えを繰り返していますが、具体的に対策が行われたことはありません。

 今回の選抜大会の出場校32校中、公立高校は21世紀枠の3校を含めて10校。昨年夏の大会の出場校49校中公立高校は9校です。優勝校はセンバツは2009年の清峰高校長崎県立)、夏の大会は2007年の佐賀北高校佐賀県立)まで遡らなければいけません。

 この記事が指摘しているように、私立高校は学区や自治体の境を関係なく選手を集めることができますし、そのためにお金を使うことも具体的には禁止されていません。グランドのほか練習施設や設備に関しても多額の費用をかけることが可能です。また、そのための寄付金も集めやすい環境にあります。

 さらに最近の傾向として、文科省の方針で授業内容の多様化が求められることによって、授業の一環として部活動にあてることも可能になっていて、私立の場合はより偏った授業編成が可能です。

 また公立高校は教員の定期的な転勤が求められているため、監督として優秀な教員がいても一つの高校に定着できず、指導の連続性が維持できないのに対して、私立高校では、成果を出せば何年でも継続して指導することができます。

 ただ、指導者については、公立高校も部活に専門のコーチを雇用することが可能になっているので、指導の連続性の面では改善の方向にはありますが、そのコーチが体育の授業など学校生活を生徒たちと一緒にいないことは、教員が指導する場合に比べてハンディがあります。

 こうして見ていくと、公立高校が私立高校と対等に戦うことは至難の技であり、その結果、甲子園は、事実上私立高校のお披露目会になっているのです。

 その絶対的有利であるはずの私立高校に公立高校が挑み、時には倒してしまうというドラマもまた日本人の好物です。

高校野球は私立高校の宣伝会場

 なぜ、私立高校が生徒を集め甲子園で好成績を上げること目指すかと言えば、メディアによる露出が増えて入学希望者の増加に繋がり学校経営の安定するからです。高校野球の場合、その露出のベースにあるのがNHKの全試合生放送です。

 関東の大学が競って学生を集めて強化する箱根駅伝と、それを全て生中継する日本テレビとの関係と同じです。

 では、なぜNHKは甲子園を全試合生中継するのでしょう。

 国民のニーズが多様化する中で、すべての国民世帯から集めた受信料や多額の税金で経営されているNHKが、特に高校野球に特化して、全国大会を、しかも1年に2大会も全試合生放送をすることの理由が見出せません。歴史的な経緯は関係なく、現状と公共放送として本来の役割を見据え、主催者の毎日新聞系と朝日新聞系の放送局に譲るべきです。

 NHK高校野球の中継に大義あるというのであれば、インターハイも全ての競技種目を全試合放送すべきです。むしろ、民放局が中継しようとしないインターハイこそ、 NHKが放送する大義があるはずです。

 甲子園が民放での放送になっても全試合が中継されるかは、放送することになって民放と主催者が考えることです。

 テレビ離れが進んでいるとは言え、テレビでの露出の変化があれば、私立高校の高校野球への熱も変化があるかもしれません。

高校年代に全国大会が不要な理由

 筆者は高校生以下の部活に全国大会は不要だと考えています。特に、優勝争いをするような高校では、指導者も生徒も常に結果を求められて、アスリートの育成としても、学校教育の側面でもマイナスの方が多いのではないかと考えています。部活動の目的も目標も優勝になって、それのみのための指導が行われているからです。

 筆者のような意見に対して、育成年代での高い目標設定と真剣勝負の重要性を説く方が数多くいます。

 しかし、長い人生の中での重要性はわかりませんが、アスリートにとって全国一を決める大会の有無が、その後のアスリートとしての成長に影響を与えるとは思えません。

 

 よく比較されるのがアメリカの高校スポーツの事情です。

 まず、はっきりしていることは、少なくともアメリカンフットボール、バスケットボール、野球と言ったメジャースポーツには、全国大会はありません。それぞれの州のチャンピオン止まりです。中には隣接する州のチャンピオンが集まった大会などもあるようですが、あくまでも非公式のようです。

 そして、その多くがトーナメントではなくリーグ戦方式で行われているようです。大会の目的が育成や教育であれば、出場校にできるだけ均等に試合をする機会を提供することは当然のことです。

 また競技や州によって細部は異なりますが、学校の規模、部員の人数、学校の経営方法などによって、複数のディビジョンがあり、それぞれのディビジョンごとに州チャンピオンが存在するのです。バスケットボールには6つのディビションがある州があるようです。

 日本で言えば、おそらく、私立高校と公立高校は別の大会があって、それぞれに優勝校を決めることになるでしょう。

 果たして、高校時代に全国大会のないアメリカで育ったアスリートたちは、全国大会のある日本のアスリートたちに比べて、劣っているところがあるでしょうか。実際には、日本よりはるかに多くのトップアスリートがプロとして活躍しているばかりか、一般の人たちも日本人よりも多く人がスポーツを楽しむことができているはずです。

”負けてもいい試合がアスリートを育てる”

 最初に紹介した記事の最後には、筆者の氏原英明氏は次のようなコメントが書いていました。

この世代は“負けてもいい”試合を数多く経験することにこそ意味がある。経験値を増やすことで選手たちの可能性が最大限に引き出されるようにしていくのが理想的ではないか。

高校野球 - Number Web - ナンバー

「負けてもいい試合」によって、純粋に競技に向き合い、時にはそのスポーツやゲームをチームメイトやライバルたちと楽しむことで、アスリートとしても人としても成長があるのです。しかし、勝利や優勝だけを目指している高校球児たちは、本来その年代でスポーツを通して身につけるべき大切なものを見落としているのです。

 残念ながら、今の高校野球、特に全国制覇を目指すような学校の多くでは、本来現代の育成年代のスポーツにはあってはならない常識がまかり通り、周囲もそれを応援しているようです。

 高校生一人一人のアスリートとしてや学生としての育成や成長のためよりも、むしろ学校のため、指導者のため、取り巻く人々のビジネスのために開催されている現在の高校野球のあり方は、一刻も早く見直すべきです。