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なぜ、私たちは大声をあげて応援してはいけないのか?

浦和レッズへの処分にサポーターが横断幕で抗議

 7月26日、Jリーグは7月5日の臨時実行委員会後に野々村芳和チェアマンが公表した通り、浦和レッズに対して正式に2000万円の罰金を科しました。

 主な理由は、浦和レッズのサポーターの一部が、試合会場などで新型コロナの感染対策として禁止されている声を出しての応援を行ったことですが、この件に関する処分の具体的な内容が、下記のJリーグ公式サイトに記載されていますのでご確認ください。処分に至った具体的な経緯も、細かく記載されています。

 懲罰決定について:Jリーグ.jp

 臨時実行委員会の直後に野々村チェアマンが口にしていた無観客試合等の追加処分が行われなかったことは、Jリーグの臨時実行委員会が開催されて以降、処分の対象となる声出し応援が行われていなかったということになるでしょう。

 処分が予告されたことで、サポーターの行動が抑制されたことは良かったとは思います。しかし、それができるのであれば、なぜ、浦和レッズはもっと早くサポーターの声出し応援を禁止するなどの強いメッセージを発しなかったのでしょうか。

 処分を予告することで違反行為が止められるのだとすれば、Jリーグはもっと早く厳格な態度を示せば良かったということになります。例えば、前述した村井満前チェアマン就任当初の横断幕の事件の時のようにです。それは、今年チェアマンに就任した野々村氏にとっても、彼をチェアマンに選んだJリーグにとっても本意ではないはずです。

 処分決定後、最初に行われた7月30日の川崎フロンターレ戦では、レッズサポーターの一部が、試合後、6枚の横断幕をゴール裏に掲げました。

 その横断幕を読むと、6枚ともが内容的に具体性に欠けるメッセージでしたが、浦和レッズへの処分と、声だし応援を禁止していることに対して不満があることは明らかです。さらに、その横断幕を掲げることを容認した浦和レッズもサポーターと同じ考えなのかもしれません。

浦和サポが掲げた「Jリーグに×印つけた抗議の横断幕」6枚を本誌は撮った! 「オワコン」「世界基準から逆行」「サポーターを無視」など怒りのメッセージ(サッカー批評Web) - Yahoo!ニュース

スポーツはその国のおかれた環境に成り立っている

 私たちが忘れてはいけないことは、スポーツはそれぞれの国や地域の法律や慣習や社会環境の上に成り立っていて、その上で楽しむことができるということです。ですから、サッカーのようなグローバルスポーツでも、世界の国々で、同一ルール、同一の環境で行われることが必ずしもベストとは言えません。統一されるのはあくまでの競技規則だけでいいのではないでしょうか。

 もちろん、人種、民族、宗教、国籍、肌の色、性別などによる差別など人権に関わることについては、国や政治の壁を超えてでもできるだけ早く改善し、世界的に誰もがスポーツを楽しめるような環境を作りを目指すべきでしょう。

 戦争がない平和な世界で全ての人々がスポーツを楽しめる世界を目指すことは、言うまでもありません。

 一方で、今回の新型コロナの感染拡大とその対策のような衛生や安全、健康に関わることは、国や地域によって違いがあることは当然で、プロスポーツもその国の状況の上に成り立つ以上、おかれた状況によってその運営方法に違いがあることもまた当然です。

マスク着用と声出し応援禁止は政府の方針に沿ったもの

 Jリーグで定めている声出し応援の禁止やマスクの着用は、政府が決めた基本方針を元に日本スポーツ協会が定めたガイドラインに沿ったものです。

 プロスポーツが政府や地域住民や行政の理解や支援をベースに成り立っている以上、スポーツ団体がこうしたルールを無視することはあってはならないことです。

 ヨーロッパサッカーや北アメリカのスポーツの中継映像などを見て、ほとんど規制なく応援ができることを羨ましく思うのは、浦和レッズのサポーターだけでなく、全てののスポーツファンが同様の思いなはずです。

 しかし、新型コロナ感染拡大で、日本の医療体制が、ヨーロッパや北アメリカの先進諸国と比較して、脆弱であることが明らかになり、第7波のピークを迎えた今も、他の疾病も含めて、本来受けられるべき医療が受けられてない人が数多くいるのが今の日本です。

 こうした現実があるために、日本は、他の先進国のような本格的にwithコロナの体制に移行できず、スポーツ観戦では、例えば、マスクの着用を求められたり、声だし応援が制限されているという状況が続いていると考えるべきでしょう。 

 一方で、プロスポーツの多くが、行政への経済的な依存度が高いこと、簡単に言えば、プロスポーツの運営には多額の税金が投入されていることも、こうした行政が決めたガイドラインを尊守すべき理由のひとつと言えるかもしれません。

 Jリーグで言えば、浦和レッズ埼玉スタジアムをはじめ、ほとんどのホームスタジアムが公共施設です。浦和レッズのように練習場や本部施設まで自治体に用意してもらっているクラブも少なくありません。

 こうした経営環境の中では、プロスポーツリーグやチームが地域の公共の環境や医療、福祉に配慮することは当然の責任であり、義務だと言ってもいいのではないでしょうか。

 企業が社会的意義を求められる現在の時流を考えれば、むしろ先頭に立って、自治体や地域との連携、協調の姿勢を示す必要があるはずです。

 Jリーグでは、8月15日以降、声出し応援席を設ける場合には、自治体の確認を得ることが規則化されています。

声出し応援は観客にとっての権利なのか?

 プロスポーツの観戦とは何かをもう一度考えてみましょう。

 その基本は、観客がチケットを購入し、試合の主催者やチームがその対価として観戦の機会を提供する商行為です。

 Jリーグクラブとサポーターの関係もこれがベースにあります。サポーターと呼ばれる人たちは年間でチケットを買ったり、繰り返してチケットを購入していますから、マーケティング的にはロイヤルカスタマーに分類されます。

 チケット代金を支払ったことへの対価として提供される観戦の機会は、試合を開催することと観戦するスペースを提供することが基本です。それに、例えばトイレの使用や飲食物の購入できる環境などが条件として付帯しています。

 今のJリーグのスタジアムの基準にあてはめれば、得点や時間経過を表す電光掲示板もこれに含まれます。

 では、声出し応援はどうでしょう。これは付帯条件というよりは、慣例的に競技観戦に含まれていると双方で共通理解されている項目ではないでしょうか。

 通常時の競技場観戦では、ほぼ全ての人ができて当たり前だと考える行為です。さらに、応援歌を歌ったり、声を出して応援することは、競技場ならではのもので、競技場観戦の価値の重要な要素だとも言えます。

 こうして考えると、トイレなどの付帯条件と同様、蓋然的にチケットの代金に含まれていると考えていいと思います。

 ですから、声だし応援ができない状況でチケットを販売する場合、主催者は購入者に対して丁寧な説明が必要で、チケットを販売する前に、声を出して応援ができないことを具体的に販売条件に付け加えるべきです。それがタイミング的に難しければ、入場の段階で説明をして、それでも声出し応援を希望するという場合には、入場をお断りをして返金するような対応が必要です。

 一方で、購入者=観戦者は、試合の観戦するという基本が担保されれば、法律や社会通念に反しない限り、主催者の指示を従わなければならないことも間違いありません。

 今回の声だし応援の禁止やマスク着用も、現在の国内の感染状況や医療の状況を考えれば適正な内容で、観戦者が指示に従うべき内容だったと考えられます。

背景にあるのは既に破綻している日本の医療制度

 現在、救急車を呼んで来てくれない、来ても受け入れる病院がない、本来入院すべき症状なのに空きベッドがないために入院できず命を落とすという例が、数多くあるようです。

 病床使用率が90%を超えている自治体もあり、新型コロナ以外の疾病や怪我も含めて、本来受けられるべき医療を受けることができないことが、全ての人にとっての現実になっています。

 全国民に健康保険の加入を義務付け、必要な人すべてが医療を受けることを前提としている日本の医療制度は、すでに破綻しているのです。

 その原因は、最初の新型コロナの感染拡大から既に2年以上が経過し、感染拡大を繰り返しているのも関わらず、医療体制を根本的に見直して、より多くの患者が受診、入院できる体制を作ってこなかったことにあります。

 過去2年間で、医療から独立した検査体制が、必要される規模で準備できていないことも、医療逼迫の大きな要因になっています。ヨーロッパや北アメリカの先進国の多くでは、最初の感染拡大の時点で医療と検査は分けられて、検査は医療機関に行かなくてもできることが当たり前になっています。しかし、日本では今でも医療機関での検査が主流です。

 病気の症状、感染状況に即して臨機応変に対応ができる法律の整備も行われていません。全数把握をするための作業が、医療現場に負担をかけ、医療逼迫に繋がっているという指摘がありますが、これも、本来解決してこなければならなかった制度の問題です。

 このように、具体的な対策をしてこなかった日本の医療体制は、新型コロナの感染拡大をきっかけに大きく後退したと言えるのでしょう。

行動制限を求められない中での自主性と自覚

 岸田政権は、これまでにないほどの数の感染者を確認しながらも、またその拡大が予測されながらも、国民に行動制限を求めないことを決めました。このこと自体には多くの日本人が賛成しているでしょう。

 お盆休みが終わりましたが、メディアは「行動制限のない3年ぶりのお盆休み」というフレーズを連呼してきました。

 佳境を迎えている夏の甲子園も同様です。3年ぶりにスタンドに多くの観客がつめかけています。

 政府は、国民が行動制限を課さないのであれば、事前に十分な医療体制を確率し、そのための改革をしなければなりませんでした。しかし、それは行われず、医療体制の脆弱さは、初めて新型コロナが感染拡大した時のままです。

 だからこそ、一人一人が自主的に、できる限りの感染対策をしなければなりません。それが自分や自分の家族、周囲の人を守ることにつながるのです。

 観客が戻った甲子園球場の風景を見ると、スタンドだけでなくベンチでもマスクを着用し、ブラスバンドは距離をとって演奏し、校歌や応援歌を声を出して歌うこともできません。

 両チームの入退場の際には、それぞれに距離と時間をおいて入退場するように係員が誘導する様子が、中継の映像では映し出されていました。

 声出し応援が問題になった浦和レッズの試合でも、ほとんど観客は、甲子園球場同様に決められた感染対策を行っていたはずです。おそらく、誰に強要されるわけでもなく当然すべきこととして行っていたでしょう。その中で、声出しの応援をしていた人は全体の中の極一部に過ぎないはずです。このことは浦和レッズのスタッフは忘れてはいけません。

 応援の際に感染対策をするかしないか、声出し応援をするかしないかは、チームや選手、サッカーに対する応援の熱量の大きさとは全く関係がありません。メインスタンドやバックスタンドに座り、マスクを付けて静かに試合を見つめ、時に手拍子や拍手だけで応援する人たちも、サポーターとしての高いプライドを持っているはずです。

 ヨーロッパのスタジアムと日本のスタジアムを見比べて、世界基準を要求する前に、地元の医療がどのように状況であるかを見てみましょう。浦和レッズのホームタウンさいたま市のある埼玉県は病床使用率が高い都道府県のひとつで、盛んに報道されている症状があっても入院ができないというニュースの多くが埼玉県か神奈川県です。

 特に埼玉県では、関東内陸部特有の高温による熱中症のリスクが、この危機をより深刻なものにしています。

 私たちは、今の日本では、命の危険にさらされても必要とする医療を受けられないかもしれないという現実を直視し、それにふさわしい生活をしていかなければなりません。もちろん、スポーツをしたり、スポーツを観戦したりする時にも共通します。

 どうして、私たちの日本はこうした状況になってしまったのでしょう。

 私たちが、スポーツ観戦の際に、欧米のように、思い切り声をあげて応援をできない理由は、リーグの国や自治体への忖度でも、チーム間の馴れ合いでもありません。

 日本の現在の医療体制、その現実を作った日本という国のあり方が原因です。