スポーツについて考えよう!

日々、発信されるスポーツの情報について考えよう

WBC振り返りvol.1〜WBCが教えてくれたこと

まさに日本中が熱狂したWBCが教えてくれたこと

 おそらく、「日本中を熱狂の渦に巻き込む」とは、本来こんな時に使うべき言葉ではないでしょうか。

 筆者は、アメリカとの決勝戦を自宅でテレビ観戦する幸運に恵まれましたが、春の好天の日差しに誘われて明け放たれた窓からは、同じように開け放たれているだろう両隣の家からの実況の音声が、自分の家の音声と一緒になってステレオのように聞こえ、時折、春休みに入ったばかりで家にいるのであろう子供達の歓声も聞こえてきました。

 普通の家庭にはエアコンなど滅多に無かった筆者の子供の時代、夏の夜、窓が開け放たれた家々から野球中継の音声が聞こえてきた、あの懐かしい時代の光景が思い出されました。

 一次ラウンドの時には、たまたま立ち寄った居酒屋に大画面のテレビがあり、オープン戦帰りでチームのユニホームを着た人たちと、佐々木朗希投手のピッチングに声援を送りました。気がつくと、通りすがりの人たちも窓越しにテレビの画面を見ていました。

 こちらも、デパートの入り口に置いてあったテレビを大人の人たちと一緒に取り囲み、大相撲の先代・貴乃花の優勝シーンを見た、小学生の時の記憶が思い出されました。

 筆者の昔話は、野球や大相撲が日本の娯楽の中心で、テレビが生活の中心だった時代の話です。

 野球がサッカー人気に押されているという印象が持たれている昨今ですが、おそらく、それは、メディア、特にインナーネットメディアの間違った印象操作のようなものの影響で、現実にはそうとは言えません。

 1試合の平均観客数では、コロナ前の2019年のデータで、プロ野球NPB)の平均観客動員数は、JリーグJ1のそれを1万人前後上回ります。年間の観客の総数でも、同じ2019年のデータで、プロ野球12球団の総動員数が約2,650万人なのに対して、Jリーグは、J1からJ3までの全チームを合計しても約1040万人と、プロ野球の半分にも遠く及ばないのが現実です。

 今回のWBCで、日本時間の平日の午前中に行われた決勝戦でも、世帯視聴率で40%をはるかに超える数字を叩き出し、まだまだ野球健在を証明しました。

 それと同時に、テレビというメディアの凋落が叫ばれる中で、その凋落の原因は、決してテレビの持つメディアとしての特性ではなく、コンテンツ、つまり番組の内容にあるということも、テレビと野球というネット上では「オワコン」の代表格と評されている組み合わせによる、今回のWBCの中継によって、同時に実証されたのです。

 かつては、19時からの放送が定番だった地上波のプロ野球中継も、大阪近郊や名古屋周辺以外は読売ジャイアンツ戦限定で、そのジャイアンツ一強の時代から他チームへの人気とニーズが分散し、さらに野球一強から他のスポーツや他のコンテンツへ、多様化が進行する流れの中で、人々の生活の中での野球の役割が変化し、そうしたニーズに応えて、伝える側の方法が変化した結果に過ぎないのでしょう。

 かつてのジャイアンツのみ、よくて阪神タイガース中日ドラゴンズの試合のしかテレビ中継で見ることができなかった時代から、テレビ中継がなくても、その気になれば、全チームの試合を毎試合ライブで見ることが可能になったという現在は、むしろ、人々のニーズが分散し、新しいメディアがそうした多様化したニーズに応えていると考えるべきなのです。

WBCが日本に残すもの

 一方で、現在、子供達の野球の部活離れは深刻で、全国的な中学校のデータなどを見ても、他の競技に比べると毎年その減少数が多いことは明らかです。

 野球に次いで減少が激しいのはサッカーです。どちらも、歯止めがかからない少子化と、部活をしないという選択肢も含めて、ますます多様化が進むライフスタイルの中で、元々持っていた大きなパイを、新しく生まれた選択肢に削られているだけなのです。これは、マジョリティとしての宿命だと言えるでしょう。

 しかし、近年は実際にプレーするスポーツの人気と観るスポーツとしての人気は別物の傾向が強くなっています。

 2019年に日本で開催されたラグビーワールドカップは、イベントとしての大成功と日本代表の活躍の影響で、ラグビーの国内リーグの観客は激増し、体験イベントは盛況を博したそうですが、その後、中高生のラグビーの競技人口の減少に歯止めがかかったという話は聞きません。

 近年のサッカーは、Jリーグ創設時の爆発的な人気があった頃に比べても、国際的なレベルは遥かにアップしてワールドカップの常連になりました。また、多くの選手たちがヨーロッパで活躍しています。そうした状況になっても、先ほど例にあげた中学校だけでなく、大人の社会人チームも激減していて、競技人口の減少は止まりません。

 しかし、かつてはそうではありませんでした。

 1990年代、Jリーグが開幕し、毎試合超満員となったそのチケットはなかなか手に入らないプレミアチケットとなりました。そうした影響で、80年代には試合に必要な11人を揃えることすら苦慮していた都市部の中学校のサッカー部にも、入部希望者が殺到しました。

 その爆発的なサッカー人気に危機感を感じた日本のプロ野球界は、稀代のスーパースター長嶋茂雄氏を、巨人の監督に復帰させました。

 しかし、この時期の日本のプロ野球を救ったのは、その日本のプロ野球界に背を向けて、超法規的な方法でメジャーリーグ入りした野茂英雄氏でした。

 野茂氏が海を渡った1995年は、MLB選手会が待遇改善を訴えて前年からストを強行し、開幕が1ヶ月以上遅れました。

 ファンを無視して金銭闘争をするMLBと選手たちに嫌気がさした人々も多かったと聞きます。現実に、ロックアウトが明けて行われた待ちに待った開幕戦は、多くの球場のスタンドは閑古鳥が鳴いていました。

 そのMLBの危機を救ったのが野茂氏だったと言われています。三振の山を築く彼のトルネード投法を見たさに、多くの人々が球場に足を運んだのです。そうした熱心な人たちをNOMOマニアと呼び社会現象にもなりました。

 しかし、この時、救われたのはMLBだけではありません。MLBでの野茂氏の活躍は、日本の野球と子供達に夢を与えました。

 多くの競技で日本のアスリートが国際的に活躍し、世界で最も人気があると言われているサッカーが日本で新時代に突入したこの時期、一方で、野球には閉鎖的でローカルな印象がつきまといました。特に、日本で活躍してもアメリカでプレーできないという閉鎖性と、増えない年棒は、ファンと子供たちの夢を削いでいたはずです。

 野茂氏の活躍は、そこに突風を吹かせて、野球のイメージを一新したのです。

 こうした流れによって子供たちの野球人気は衰えず、例えば、夏の甲子園の参加校数は90年代も増え続けて、そのピークは2002年、2003年の4163校でした。その後減少に転じ、コロナ前の2019年には3730校にまで減少しています。

 今回のWBCでは、大谷翔平選手、ダルビッシュ有選手というMLBでも大スタークラスの選手の参加によってもたらされた、空前のWBCフィーバー、野球日本代表の人気は、日本における野球のプレゼンスに大きな変化をもたらすことになるかもしれません。

 大谷選手は「世界の野球のために」という言葉を使っていましたが、果たして、今回のWBCという大会、優勝した日本代表、そこで活躍した日本代表選手の存在が、競技人口の減少にストップをかけるなどの劇的な影響を与えられたかは、数年後を見なければ分かりません。

 

thinksports.hatenablog.com