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北京パラリンピック雑感2〜冬季大会に象徴されるパラリンピックの課題〜

人類の二大悲劇の中での開催

 3月4日から10日間の日程で開催されてきた北京パラリンピックも最終日となりました。 1948年、第二次世界大戦傷痍軍人リハビリテーションのための大会としてロンドンで始められた大会が、1960年ローマ大会以降、パラリンピックとして開催されるようになり、今世紀になってからは、現在のように大きく言えばオリンピックとひとつの大会として開催されるようになりました。

 半世紀を超える歴史の中で常に発展を続け、障害者の地位向上や障害への理解の広がりにも貢献してきたこの大会にとって、今回の大会は最大の苦難と直面した開催となったのかもしれません。感染症の流行と戦争という、人類の歴史に何度となく立ちはだかってきた悲劇に見舞われた大会となったからです。

 多く人のサポートを必要とするパラスポーツにとっては、感染症はまさに天敵と言えるでしょう。一般のアスリート以上に厳しい中での準備が強いられ、出場を断念せざるを得ないトップアスリートもいたことでしょう。

 一方、ウインタースポーツ大国ロシアのやはり強国ウクライナへの軍事侵攻は、冬季大会にとってのダメージは計り知れず、何より日々告げられる戦火の報道が人々の心に暗い影を落としています。オリンピックやパラリンピックのような巨大スポーツイベントは平和の中で行われてこそ、その真価を発揮されるのです。

盛り上がりに欠ける北京大会

 それにしても、今回のパラリンピックは盛り上がりに欠けるなあと感じているのは、筆者だけでしょうか。日本で日々のニュースで取り上げられるのは、スキーの女王村岡桃佳選手の金三つを含む4つのメダルの獲得くらいでしょう。それに加えて川除大輝選手の金メダルの活躍ぐらいで、他の競技の報道はほとんどありません。

 ウクライナ情勢にお祭りムードを削がれた上に、その影響でニュースなどでも扱う時間が極端に短くなっていることも大きいはずです。中継をするNHKも含めて、東京大会が決まる以前に戻ったかのような印象です。やはり熱しやすく冷めやすい日本人にとっては、東京パラリンピックまでの数年は徒花だったのかもしれません。

 しかし、観る側にとって盛り上がりに乏しい根本的な理由には、総合スポーツの世界大会としては、競技数も参加人数も少な過ぎることに原因があるのではないでしょうか。今大会で行われている競技は6つで、参加選手は大国ロシアの不在もあって600人台になっています。サッカーやバスケットボール、陸上競技など単独の競技でもこれを上回る参加選手数の世界大会がたくさんあります。

 もちろん、ウインタースポーツの大会の参加国や参加人数が少ない理由には、競技ができるほど雪が積もる国が少なく、そうした国々ではスケートリンクを作るにもコストがかかるために、競技環境が整備できないというオリンピックと共通した理由もあります。

 しかし、その一方で、パラリンピック特有の理由。夏季競技、冬季競技に共通するパラリンピックが抱える、二つの大きな課題が横たわっているのです。

パラリンピックが抱える課題〜国と国との格差

 一つ目は、国と国、あるいは地域の間の格差です。

 障害のある人たちが競技を続け、世界トップを目指していくには多くのサポートが必要です。競技や種目によっては、車椅子などパラスポーツ独特の機材の面でもより高いレベルが求められ、その結果、多額の費用がかかる場合も少なくないのです。

 そのような状況にあるパラスポーツでは、個人個人やチームに、そうした支援を行い、トップレベルの競技環境が整備できる国が限られているのです。アメリカや日本のように企業や個人中心に支援が行われている国々でも、ロシアや中国のように国家レベルを中心に支援が行われてる国々でも、結局はその国の持っている経済力が左右することになります。

 もちろん、オリンピックでも同じことが言えるのですが、より多くの支援を必要とするパラリンピックでは、その傾向が強くなります。その結果、パラリンピックでは一部の国のメダルの寡占化が進んでいるのです。

 特に中国は2008年の夏季大会、ロシアは2014年の冬季大会をきっかけに国家レベルの支援体制を整えて、メダルを獲得しています。

 2008年北京夏季大会の中国は、全473の金メダルの内89個を、1431個の全メダルの内211のメダルを獲得しています。

 2014年ソチ冬季大会のロシアは、全72個の金メダルの内30個を、216個の全メダルの内80個のメダルを獲得しています。

 いずれもダントツのトップです。

 今回の北京冬季大会では、78個の金メダルと234個の全メダルの内、中国が18個の金メダル、全メダルでは61個を獲得して、2位のウクライナの金メダル11個、全メダルで29個に大差をつけています。大国ロシアが参加していない影響は大きいですが、逆を言えば、ロシアが参加していた場合には、この2カ国だけでメダルを独占した可能性が高いでしょう。

 個人のレベルで見れば、参加することだけでも価値のあるオリンピックやパラリンピックですが、国のレベルや企業による支援という点で見た時には、メダル争いができない状況では支援が控えられることに繋がります。特に手厚い支援が必要な割には注目度が低いパラリンピックではこの傾向が強いはずです。それによって、さらに一部の国のメダルの寡占化が進んでいくことになるのです。

パラリンピックが抱える課題〜トップアスリートと一般との格差

 もう一つの格差は、同じ国の中でもパラリンピックに出場できるようなトップアスリートと、一般的なパラアスリートやすべての障害者がスポーツをできる環境との間に生まれている格差です。パラリンピックの競技レベルが上がれば上がるほど、この傾向は強くなります。競技レベルがあがれば、観るスポーツとしての注目はあがるはずですが、するスポーツとしては環境整備に負担がかかり、格差が広がる皮肉な状況が生まれるのです。

 日本でも、東京大会に向けてパラリンピック候補選手に対する支援体制は整い、それまでに比べて手厚い支援が行われました。トップレベルのパラアスリートの雇用なども進んだようです。しかし、候補以外のアスリートに対する支援の体制、競技環境の整備は進んだでしょうか。

 体験型など多くのイベントが行われて、理解が広がり、門戸も広がったかもしれませんが、具体的なサポートの継続性については、まだまだこれからなはずです。

 こうした状況は、日本だけでなく、一部の福祉国家を除いて、世界共通しているです。特に冬季競技の競技は、夏季競技に比べて手厚いサポートが必要なだけに、そうした傾向はより強く、顕著に表れているのです。

 この二つの課題に関して、国際パラリンピック委員会日本障害者スポーツ協会も、パラスポーツ普及の障害となっている重要な課題として捉えています。しかし、いずれも、競技団体などだけでなく、国全体、社会全体で取り組んで行かなければ解決が難しい課題なのです。