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北京オリンピック雑感9(2/22)〜オリンピックとは何か〜

かつてNHKが報じたオリンピック開催の意義

 2016年夏、リオデジャネイロ大会直後に、NHKの「おはよう日本」と「時論公論」という二つの番組の中で、同局の刈屋富士雄解説委員が、オリンピック開催の意義として、「国威発揚」を一番にあげ、さらに「国際的な存在感」「経済効果」「都市開発・街づくり」があとに続き、「スポーツ文化の定着」が5番目に置く解説を行いました。

 国際オリンピック委員会(IOC)が、自らの行動の目標と内容、オリンピックの意義を記載したオリンピック憲章には、その掲げる理念を「オリンピズム」と称し、スポーツによる人権の尊重や人々の平等、平和などが書かれています。NHKの番組ではこうしたオリンピックの価値に全く触れなかったのです。

 当然、オリンピック関係者を中心に多くの批判があがり、各メディアも大々的に取り上げ大きな話題となりました。さらに、NHKは放送後にこの番組の内容を記載する公式サイトで、「国威発揚」を「国民を元気に」と書き換えたことで、火に油を注いだのです。

 しかし、このNHKの番組はオリンピックの本質を見事に言い当てているのではないでしょうか。

国の代表によって競い合うオリンピック

 オリンピック憲章が、既に有名無実なのは明らかで、それを拠り所にオリンピックの価値を語ること自体、無意味ではないでしょうか。そこに書かれた内容が、現実のオリンピックに即していない顕著な点のひとつが、オリンピックが「国家間の競争」をする大会になっていることです。

 オリンピック憲章では、第1章オリンピックムーブメント6項「オリンピック競技大会」でオリンピックを次のように定めています。

オリンピック競技大会は、 個人種目または団体種目での選手間の競争であり、 国家間の競争ではない。大会には NOC が選抜し、 IOC から参加登録申請を認められた選手が集う。

オリンピック憲章2021|国際オリンピック委員会・日本オリンピック委員会

 本来、オリンピックに出場する選手は、各国の競技団体に登録したアスリートの中から、競技団体の代表を選ぶもので、それを各国オリンピック委員会に承認されてオリンピックに派遣されます。ですから、例えば日本代表やアメリカ代表と呼んでいますが、実際には日本体操連盟代表だったり、全米陸上競技連盟代表なのです。

 オリンピックに出場する選手は国の代表ではなく、また国家間の競争でもないはずにも関わらず、なぜ、メダルセレモニーでは国旗が掲揚され、国家が流されるのでしょうか。

 オリンピック関係者はその理由を次のように語ります。

 選手を選考し送り出しているそれぞれのオリンピック委員会が、そのオリンピック委員会を象徴する旗と曲を大会中の掲揚に使うために提出しているのが、結果的にそれが国旗であり国歌なのであって、IOC組織委員会が指示しているものではない。

 これが詭弁であることは言うまでもありません。

 国旗や国歌であることがセレモニーの本質でないのであれば、最初から旗も掲揚する必要もないし、音楽も共通したファンファーレのようなものにすれば良いのです。

 選手たちが、はためく母国の国旗に栄誉を感じ、聞こえてくる国歌に涙するのもまた、現在のIOC、競技団体や治世者たちにねじ曲がられたオリンピックには関係なく、選手たちの勝手な思いだと言うのでしょうか。

国家を競い合わせるオリンピック

 日本のオリンピック関係者は、国同士のメダル争いは、各国のメディアなどが煽っているもので、IOCや各国のオリンピック委員会が率先して行なっているものではない。その証拠に、IOCやオリンピックの公式サイトには、国別のメダルの数を載せていないと言ってきました。しかし、今回の北京オリンピックの公式サイトにはしっかりと国別のメダル獲得数のランキングがリアルタイムで掲載されています。

 BEIJING 2022 Olympic Winter Games | IOC

 例えば、日本オリンピック委員会は、メダル獲得数を目標に掲げ、その実現に向けて競技団体や選手を鼓舞します。その強化が国の予算を使って政策として行われます。

 日本でも東京大会招致の基盤づくりのために、それまでのスポーツ振興法に代わって2011年に施行された「スポーツ基本法」で、スポーツ振興は国家戦略であると定めた上で、下記のようにオリンピックなどで好成績をあげることを国の政策の目的にすることが具体的に条文化しています。

スポーツは、我が国のスポーツ選手(プロスポーツの選手を含む。以下同じ。)が国際競技大会(オリンピック競技大会、パラリンピック競技大会その他の国際的な規模のスポーツの競技会をいう。以下同じ。)又は全国的な規模のスポーツの競技会において優秀な成績を収めることができるよう、スポーツに関する競技水準(以下「競技水準」という。)の向上に資する諸施策相互の有機的な連携を図りつつ、効果的に推進されなければならない。

スポーツ基本法第1章第1条第7項 

スポーツ基本法(平成23年法律第78号)(条文):文部科学省

 これによって日本でも、オリンピックや世界大会に出場できるトップアスリートを金銭面などで積極的に支援したり、彼らが強化に使用する施設の建設や運営を行えるようになりました。

 世界の国々では、トップアスリートの支援のために様々な政策を行なっています。平昌、北京と2大会連続でメダル数トップになったノルウェーは、彼らに国から給与を支払っています。また、多くの国々で、オリンピックでメダルなどの上位成績者に報奨金が支払われているのです。

 これもまた、オリンピックが国家間の競争であることの証と言えるでしょう。

スポーツは国威発揚の推進力になる

 1979年、旧国立競技場を中心として首都圏で、第2回ワールドユースサッカー選手権が開催されました。現在のU19またはU21の前身の大会です。優勝したアルゼンチンの中心メンバーにはのちに神の子と称されるディエゴ・マラドーナがいました。

 当時都内の高校に通っていた筆者は、サッカー部の顧問の先生から配られた観客動員用のただ券(チケット)を持って、部活終了後に学校から30分くらいの場所にある国立競技場を訪れ、おそらく、ここで開催された試合のほとんどを観戦しました。

 その中には開催国枠で出場した日本代表の試合もありました。試合前には当然、君が代が流され、日の丸が掲揚されました。それまでも、ヨーロッパの強豪クラブとの親善試合やアジア予選で、そうした光景を見てきましたが、ユース年代とは言え世界大会で聞く君が代は特別だったのを記憶しています。

 日本戦でも国立競技場のスタンドは半分も埋まっていなかったと思います。それでも、場内に流された君が代の調べに合わせて自然発生的に生まれた斉唱する声に、不思議な高揚感を感じ、自然に口ずさんでいたのです。小中高を通して学校の行事で君が代を歌ったことのない世代の筆者にとって、初めての経験だったと思います。

 1999年に国旗・国歌法で、正式に君が代が日本の国歌、日章旗(日の丸)が日本の国旗と定められる20年も前のことです。第二次世界大戦を体験をした方々の中には、当時でも日の丸や君が代に対する抵抗が少なくなかった時代です。

 その後、日本でも多くの競技で世界大会が開かれるようになり、日本選手が出場する試合の前や優勝のシーンのたびに、日の丸が掲揚され、君が代が流されました。その様子はテレビでも放送されました。

 今ほど頻繁ではありませんが、時にはJリーグプロ野球などの国内の試合でも君が代斉唱が行われることもありました。

 一時期、サッカーの日本代表戦の前の国歌独唱を誰が歌うかに注目が集まった時期がありましたが、それも日本を代表するアスリートが競うスポーツ現場だからこそで、多くの人たちが違和感なく受け入れ、またそこで歌う人もそれを誇りと思って歌うことでできたのでしょう。

 そして、時の流れの中で、君が代が国歌、日の丸が日本の国旗であることが当たり前になって久しいですが、その間にスポーツシーンが果たしてきた役割は大きかったはずです。そして、その国歌、国旗の下、選手たちは国を代表してプレーすることがオリンピックの現実になっているのです。

オリンピック開催の目的はなにか

 国家がオリンピックを開催するのはなぜでしょう。いまや開催するのは都市だということもまた詭弁であることは明らかです。東京大会でも北京大会でも、IOCバッハ会長の隣に座っていたのは菅義偉総理大臣であり、習近平国家主席でした。そもそも、開会式で開会宣言をするのは国家元首であることが慣例になっています。

 安倍晋三元首相は、2013年に自らIOC総会に出席し、世界的に危惧されていた福島の原子力発電所の放射漏れを「アンダーコントロール」と自ら明言しました。東日本大震災からわずか2年。日本で得ることのできる情報から見て、まだ「アンダーコントロール」と断言できる状況ではなかったはずです。にも関わらず、一国の首相である彼はなぜそこまでして、東京大会の招致を目指したのでしょう。

 その後、様々な政策でオリンピック開催を支援し、競技力強化を図ってきた自民公明党政権は、スポーツを通しての人権や平等、世界平和を願ってそうした政策を進めたきたのでしょうか。

 中国の習近平国家主席は、スポーツを通した人類の幸福や世界平和のために、2度の北京オリンピックを開催したと言うのでしょうか。

 冒頭に紹介したNHKが紹介した通り、「国威発揚」「国際的な存在感」「経済効果」「都市開発・街づくり」が主な目的なのです。さらに中国やロシアのような国では、政権の安定にとっても重要なツールとして利用されているでしょう。

 そして、IOCはそうした各国政府の思惑や国民の競争意識を利用し、それに乗じて一層のビジネス化を進めています。バッハ体制になってからの団体戦=国別対抗戦の種目が急激に増やされていることは、「国威発揚」「国際的な存在感」を煽って注目を高めることに目的があるのでしょう。

 過去最も成功した大会と称された2012年ロンドン大会でさえ、こうした視点で振り返ると「経済効果」「都市開発・街づくり」に重点が置かれた大会だったことがわかります。

 次回の夏季大会2024年大会は、オリンピックの第二の母国であるフランス、パリでの開催です。

 今からちょうど130年前の1892年、近代オリンピックを興したフランス人ピエール・ド・クーベルタン男爵は、オリンピック復興が決議されたパリ国際アスレチック会議の席上で、「スポーツの力を取り込んだ教育改革を地球上で展開し、これによって世界平和に貢献する」というオリンピックの開催理念を説いたと伝えられています。

 いま、自らが掲げた理念がすっかり形骸化したオリンピックの有り様をクーベルタン男爵はどのような思いで見ていることでしょう。