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IOCバッハ会長が語るオリンピックの価値と現実との矛盾【大幅改訂版】 前編

 10月24日イギリス・ガーディアン紙に掲載されたIOCバッハ会長のインタビューを元に原稿を作成し26日アップしましたが、27日IOCの公式サイトにインタビュー記事とほぼ同様の内容の文章がバッハ会長の名前で掲載されました。IOCの公式サイトに掲載されたこと自体に大きな意味があるように思いますので、大幅に加筆修正して、再度アップしました。

 13000字を超える長文になってしまいましたので、下記の前編、後編の2ページに分けてアップします。改訂前をお読みいただいた方は、後編のみ大丈夫かな?

 前編 バッハ会長が理想として掲げる政治から独立したIOC
 後編 IOCの理想との矛盾と表現の自由に消極的な理由

前編 バッハ会長が理想として掲げる政治から独立したIOC

IOC表現の自由を牽制しているのか?

 10月27日、国際オリンピック委員会は(IOC)は、トーマス・バッハ会長の名前で「SPORT AND POLITICS: MY EXPERIENCES AS AN ATHLETE」(スポーツと政治:一人のアスリートとしての私の経験)という文章を掲載しました。

Sport and politics: my experiences as an athlete - Olympic News

 すでにほぼ同じ内容のインタビュー記事が、24日付のイギリス・ガーディアン紙バッハ会長にのインタビュー記事として掲載されていて、両方にさしたる差異はありません。IOCが、バッハ会長へのインタビューと原稿制作を、事前に自社で掲載できることを条件に、ガーディアン紙に依頼したということでしょう。海外では比較的あるパターンです。

 筆者は、ガーディアン紙のインタビュー記事には、聞き手や書き手の意思のようなものが感じられず、欧米のインタビュー記事として違和感を持っていましたが、IOCの掲載で理由がわかりました。

 日本のメディアからは、この内容に対して、Black Lives Matter 運動の高まりによってIOCが求められている「表現の自由」への牽制や消極的な姿勢だと、受け取られているようです。

IOC 表現の自由を求める声をけん制 - 東京オリンピック2020 : 日刊スポーツ

改正を求めらるオリンピック憲章50条とは?

 日本では、大阪なおみ選手の試合へのボイコットや、亡くなった黒人の名前が書かれたマスクの着用などで、Black Live Matter運動が広く認知されるようになりました。この運動の世界的な高まりにつれて、オリンピックで主義主張を禁止するオリンピック憲章第50条の撤廃や修正を求める声が高まっているのです。

オリンピック憲章

50 広告、デモンストレーション、プロパガンダ 
1. IOC理事会が例外として許可する場合を除き、オリンピック用地の一部とみなされるスタジアム、競技会場、その他の競技区域内とその上空は、いかなる形態の広告、またはその他の宣伝も許可されない。スタジアム、競技会場、またはその他の競技グラウンドでは、商業目的の設備、広告標示は許可されない。
2. オリンピックの用地、競技会場、またはその他の区域では、いかなる種類のデモンストレーションも、あるいは政治的、宗教的、人種的プロパガンダも許可されない。

オリンピック憲章 Olympic Charter 2020年版・英和対訳|日本オリンピック委員会

 今回、修正が要望されているのは、この内の第2項です。「政治的、宗教的、人種的プロパガンダも許可されない」とあります。筆者は、そもそも「政治的や宗教的、人種的プロパガンダ」という表現の自由に関わることと、この第1項に書かれている商業目的のPR活動が、同じ条文の中で並列で書かれていることに大きな疑問を感じます。

 この条文を書いた人物は、多くの国で表現の自由が基本的な人権の一部として認められていて、商業的な広告とは全く別次元であることを知らなかったのでしょうか。そして、今、現在もそれが条文として残っていることが、IOCという組織の体質を明確に表していると思います。

バッハ会長の選手時代の思いが語られる

 IOCに掲載された文章は、冒頭、ガーディアン紙にはなかった次のセンテンスから始まります。

By Thomas Bach, Olympic Champion in Fencing, Montreal 1976, and President of the International Olympic Committee.

Sport and politics: my experiences as an athlete - Olympic News

1976年モントリオールのフェンシングオリンピックチャンピオンであり、国際オリンピック委員会の委員長であるトーマス・バッハによる。【筆者訳】

 彼が当時の西ドイツのフェンシングの代表で、モントリオールオリンピックの金メダリストであることは広く知られています。そのことを、この文章の冒頭で書いたことは、自分がかつて競技者であり、今もアスリートと同じ立ち位置にいるというメッセージを送りたかったのでしょう。

In the Olympic Games, we are all equal. Everyone respects the same rules, irrespective of social background, gender, race, sexual orientation, or political belief.

Sport and politics: my experiences as an athlete - Olympic News

オリンピックでは、私たちは誰もが平等です。社会的背景、性別、人種、性的指向、政治的信念に関係なく、誰もが同じルールを尊重します。

 バッハ会長が現在のオリンピック憲章にも書かれるこの理念に、最初に気づいた時として、モントリオールオリンピックの自身の体験が書かれています。

The first time I experienced this magic was at the Olympic Games Montreal 1976. From the moment I moved into the Olympic Village, I could feel the Olympic spirit come alive. Living together with my fellow athletes from all over the world, opened my eyes to the unifying power of sport. As athletes, we are competitors in sport, but in the Olympic Village, we all live peacefully together under one roof. Whenever Olympians meet, no matter where we are from or when we competed in the Games, this shared experience immediately becomes the topic of our conversations.

Sport and politics: my experiences as an athlete - Olympic News

 私がこの魔法を初めて体験したのは1976年モントリオールオリンピックでした。選手村に入った瞬間から、オリンピックの精神が生きづいているのを感じることができました。世界中の仲間のアスリートと一緒に暮らすことで、スポーツの持つひとつにする力に気づかされました。一人のアスリートとして、私たちはスポーツの競争相手ですが、オリンピック村では、私たち全員がひとつの屋根の下で平和に暮らしています。オリンピック選手と出会うたびに、私たちがどこから来たのか、いつ大会に出場したのかに関係なく、この時に共有された経験はすぐに私たちの会話の中心になります。【筆者訳】

 モントリオールオリンピックは、多額な建設費により巨額な赤字が発生し、モントリオール市民は今世紀に至るまで、その返済を続けてきました。

 と同時に、この大会はオリンピック史上初めて大規模なボイコットが行われた大会でもあります。激しい黒人差別政策アパルトヘイトに対する国際的な非難の中、ラグビー代表を南アフリカに送ったニュージーランドIOCが制裁を加えなかったことに反発したアフリカ諸国22か国が、開幕直前にボイコットを決定しました。

 この文章ではこの時のアフリカ選手たちの悲嘆やそれに対する今に至るまでのバッハ氏の思いが書かれています。

Shortly before the Opening Ceremony, I looked outside the window of our room in the Olympic Village to see a large group of African athletes with packed bags. Many of them were in tears, others hung their heads in despair. After asking what was happening, I learned they had to leave because of a last-minute decision by their governments to boycott the Games. Their devastation of having their Olympic dream shattered at the last possible moment after so many years of hard work and anticipation still haunts me today.

Sport and politics: my experiences as an athlete - Olympic News

 開会式の少し前に、選手村の部屋の窓から、荷物を詰めたバッグを持つアフリカのアスリートの大きなグループが見えました。彼らの多くが涙を流し、他の人は絶望して頭を抱えていました。私は何が起こっているのか尋ねて、彼らの国の政府がこの大会を土壇場でボイコットを決めたことで、彼らが(この場を)去らなければならないことを知りました。何年にもわたる懸命な努力と期待の後、最後の瞬間でオリンピックの夢を打ち砕かれた彼らの悲惨な姿は、今日でも私を悩ませています。【筆者訳】

 人種差別が元になった政治の介入という意味では、今、IOCが晒されている課題と原点を同じにした問題が44年の前の大会にもあったことになります。

 続く1980年のモスクワオリンピックでは、ソ連アフガニスタン侵攻に反対するアメリカを中心とする西側諸国約50ヶ国がボイコットしました。日本はもちろん、引退したバッハ氏がアスリート委員を務めていた西ドイツも当然ボイコットしています。

As the chair of the West German athletes’ commission, I strongly opposed this boycott because it punished us athletes for something that we had nothing to do with – the invasion of Afghanistan by the Soviet army. I had to realise that the sports organisations had very little political influence, if any, while on the athlete side, we had very little say. Our voices were not heard neither by the politicians nor by our sports leaders. This was a very humiliating experience.

Sport and politics: my experiences as an athlete - Olympic News

 西ドイツのアスリート委員会の委員長として、私はこのボイコットに強く反対しました。ボイコットは、ソビエト軍アフガニスタン侵攻という私たちとは関係ないことのために、私たちアスリートを罰することになるからです。アスリート側の私たちはほとんど発言していませんでしたでしたし、もし発言したとしても、私は、スポーツ組織が政治的影響力をほとんど持っていないことを認識しなければなりませんでした。私たちの声は、政治家にもスポーツ指導者にも届いていませんでした。これは非常に屈辱的な経験でした。【筆者訳】

 さらに次に行われた1984ロサンゼルスオリンピックでも、前回大会の意趣返しでソ連を中心とした東側諸国14箇国が、アメリカ軍のグレナダ侵攻に反対する理由でボイコットしています。

 バッハ氏は、その3大会にわたる政治に翻弄されたボイコット合戦を目の当たりし、IOCもアスリートも無力であることを実感してきた人物なのです。そして、その体験がバッハ会長個人としても、政治的な主張などをオリンピックから遠ざけようとするベースになっていると語っています。

These two experiences still shape my thinking today. They made it clear to me that the central mission of the Olympic Games is to bring together the world’s best athletes from 206 NOCs in a peaceful sporting competition.

Sport and politics: my experiences as an athlete - Olympic News

これらの2つの経験が今日の私の考え方を形作っています。206のNOC(国と地域のオリンピック委員会)から送り出された世界最高のアスリートを平和なスポーツ大会に集めることが、オリンピックの中心的な使命であることを明らかにしているのです。【筆者訳】

オリンピックは政治には無縁であることが価値だという主張

 さらにバッハ会長の言葉は続きます。

The Olympic Games are not about politics. The IOC, as a civil non-governmental organisation, is strictly politically neutral at all times. Neither awarding the Games, nor participating, are a political judgement regarding the host country. The Olympic Games are governed by the IOC not by governments.

Sport and politics: my experiences as an athlete - Olympic News

オリンピックは政治的とは無縁です。国際オリンピック委員会は、非政府の市民組織として、常に厳格に政治的な中立に立っています。表彰も、大会への参加することも開催国の政治的な判断とは関係がありません。オリンピックは政府ではなくIOCによって統治されています。【筆者訳】

 この長い文章の最後に、バッハ会長はオリンピックとアスリートの価値を次のように締めくくっています。

The Olympic Games cannot prevent wars and conflicts. Nor can they address all the political and social challenges in our world. But they can set an example for a world where everyone respects the same rules and one another. They can inspire us to solve problems in friendship and solidarity. They can build bridges leading to better understanding among people. In this way, they can open the door to peace.

The Olympic Games are a reaffirmation of our shared humanity and contribute to unity in all our diversity. As I learned through personal experience, ensuring that the Olympic Games can unfold this magic and unite the entire world in peace is something worth fighting for every day.

Sport and politics: my experiences as an athlete - Olympic News

 オリンピックは戦争や紛争を防ぐことはできません。また、私たちがいる世界のすべての政治的や社会的な課題に取り組むこともできません。しかし、オリンピックは誰もが同じルールを尊重し、お互いを尊重することで世界に模範を示すことができます。オリンピックは私たちに友情と連帯によって問題を解決するように促すことができます。オリンピックは人々同士が良い理解につながる橋を架けることができます。このようにして、オリンピックは平和への扉を開くことができるのです。
 オリンピックは私たちの共通の人間性の再確認することであり、私たちのすべての多様性の中でひとつになることに貢献しています。私が個人的な経験から学んだように、オリンピックがこの魔法を解き放ち、世界全体を平和な方法での団結を実現することは、毎日戦う価値のあることなのです【筆者訳】

 近年のIOCの発表やステイトメントにはgovernまたはgonernanceという言葉がよく出てきます。改めて書くまでもなく「統治」という意味で、ここでも「オリンピックはIOCが統治する」と書かれています。この統治するという意味のgovernという動詞のもう1つの名刺がgovernmentです。日本語では「政府」という意味で最もよく使われています。

 そして、最近IOCのステイトメントでよく見る気がする言葉がunityです。日本語で「統一」や「団結」です。今回の文章でも「unity in all our diversity」と使われています。

 governとunity、統治と統一。この2つの言葉を多用して外部にメッセージを発信する組織は果たしてどんな組織であるか。世界の人々はよく考えてみる必要があると筆者は考えます。

「統治」や「統一」と、民主主義では人権の一部とされる「表現の自由」が相容れないものであることは、民主主義国家に暮らす人々には理解が可能なはずです。

 

後編に続く

 後編 IOCの理想との矛盾と表現の自由に消極的な理由