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IOCバッハ会長が語るオリンピックの価値と現実との矛盾

改正を求めらるオリンピック憲章50条とは?

 10月24日、IOCトーマス・バッハ会長が、イギリスの大衆紙のガーディアンのインタビューで、Black Live Matter運動などの人種差別撤廃運動とオリンピックの規約の問題について答えています。

The Olympics are about diversity and unity, not politics and profit. Boycotts don't work | Olympic Games | The Guardian

 日本では大阪なおみ選手の試合へのボイコットや亡くなった黒人の名前が書かれたマスクの着用などで、すっかり知られたBlack Live Matter運動。この運動の世界的な高まりにつれて、オリンピックで主義主張を禁止するオリンピック憲章第50条の撤廃や修正を求める声が高まっているのです。

オリンピック憲章

50 広告、デモンストレーション、プロパガンダ 
1. IOC理事会が例外として許可する場合を除き、オリンピック用地の一部とみなされるスタジアム、競技会場、その他の競技区域内とその上空は、いかなる形態の広告、またはその他の宣伝も許可されない。スタジアム、競技会場、またはその他の競技グラウンドでは、商業目的の設備、広告標示は許可されない。
2. オリンピックの用地、競技会場、またはその他の区域では、いかなる種類のデモンストレーションも、あるいは政治的、宗教的、人種的プロパガンダも許可されない。

オリンピック憲章 Olympic Charter 2020年版・英和対訳|日本オリンピック委員会

 今回対象となっているのは、この内の第2項です。「政治的、宗教的、人種的プロパガンダも許可されない」とあります。筆者は、「政治的や宗教的、人種的プロパガンダ」という表現の自由に関わることと、第1項に書かれている商業目的のPR活動が同じ条文の中で並列で書かれていることに大きな疑問を感じます。

 この条文を書いた人物は、表現の自由が多くの国で基本的な人権の一部として認められていることを知らなかったのでしょうか。そして、今、現在もそれが条文として残っていることが、IOCという組織の体質を明確に表していると思います。

バッハ会長の選手時代の思いが語られる

 ガーディアン紙のインタビュー記事は、バッハ会長が西ドイツ代表のフェンシングの選手として、1976年モントリオールオリンピックに参加した時の思い出から始まっています。

The first time I experienced this magic was at the Olympic Games in Montreal in 1976. From the moment I moved into the Olympic Village, I could feel the Olympic spirit come alive. Living together with my fellow athletes from all over the world opened my eyes to the unifying power of sport. As athletes, we are competitors in sport, but in the Olympic Village, we all live peacefully together under one roof. Whenever Olympians meet, no matter where we are from or when we competed in the Games, this shared experience immediately becomes the topic of our conversations.

The Olympics are about diversity and unity, not politics and profit. Boycotts don't work | Olympic Games | The Guardian

【筆者訳】

「この魔法を初めて体験したのは1976年のモントリオールオリンピックでした。選手村に入った瞬間から、オリンピックの精神が息づいていることを感じました。世界中の仲間のアスリートと一緒に暮らすことで、スポーツの持つ1つにまとめる力に目を向けることができました。アスリートとして、私たちは競技中は競争相手ですが、オリンピック村では、私たち全員が1つの屋根の下で平和に暮らしています。オリンピック選手は出会うたびに、私たちがどこから来たのか、いつ大会に出場したのかに関係なく、この共有された経験はすぐに私たちの会話の中心になります。」

 モントリオールオリンピックは、巨額な建設費により巨額な赤字が発生し、モントリオール市民は今世紀に至るまで、その返済を行ってきました。

 と同時に、この大会は史上初めて大規模なボイコットが行われた大会でもあります。激しい黒人差別政策アパルトヘイトに対する国際的な非難の中、ラグビー代表を南アフリカに送ったニュージーランドIOCが制裁を加えなかったことに反発したアフリカ諸国22か国が、大会直前にボイコットを決定しました。

 バッハ会長のインタビューではこの時のアフリカ選手たちの悲嘆やそれに対する今に至るまでのバッハ氏の思いが書かれています。

Shortly before the opening ceremony, I looked outside the window of our room in the Olympic Village to see a large group of African athletes with packed bags. Many were in tears, others hung their heads in despair. After asking what was happening, I learned they had to leave because of a last-minute decision by their governments to boycott the Games. Their devastation at having their Olympic dream shattered at the last possible moment after so many years of hard work and anticipation still haunts me today.

The Olympics are about diversity and unity, not politics and profit. Boycotts don't work | Olympic Games | The Guardian

【筆者訳】

「開会式の少し前に、選手村の部屋の窓から外を見ていて、荷物を詰めたバッグを持つアフリカのアスリートの大群を見ました。多くの人が涙を流し、他の人は絶望して頭を抱えていました。何が起こっているのか尋ねると、私は、彼らの国の政府がこの大会を土壇場でボイコットを決めたことによって、彼らが(この場を)去らなければならないことを知りました。何年にもわたる懸命な努力と期待の後、最後の瞬間でオリンピックの夢を打ち砕かれた彼らの悲惨な姿は、今日でも私を悩ませています。」

 人種差別が元になった政治の介入という意味では、今、IOCが晒されている課題と原点を同じにした問題が44年の前の大会にもあったことになります。

 続く1980年のモスクワオリンピックでは、ソ連アフガニスタン侵攻に反対するアメリカを中心とする西側諸国約50ヶ国がボイコットしました。日本はもちろん、引退したバッハ氏がアスリート委員を務めていた西ドイツも当然ボイコットしています。

 さらに次に行われた1984ロサンゼルスオリンピックでも、前回大会の意趣返しでソ連を中心とした東側諸国14箇国が、アメリカ軍のグレナダ侵攻に反対する理由でボイコットしています。

 バッハ氏は、その3大会にわたる政治に翻弄されたボイコット合戦を目の当たりし、IOCもアスリートも無力であることを実感してきた人物なのです。そして、その体験がバッハ会長個人としても、政治的な主張などをオリンピックから遠ざけようとするベースになっていると語っています。

These two experiences still shape my thinking today. They made it clear to me that the central mission of the Olympic Games is to bring together the world’s best athletes from 206 NOCs in a peaceful sporting competition.

The Olympics are about diversity and unity, not politics and profit. Boycotts don't work | Olympic Games | The Guardian

【筆者訳】

「これらの2つの経験が今日の私の考え方を形作っています。206のNOC(国と地域のオリンピック委員会)から送り出された世界最高のアスリートを平和なスポーツ大会に集めることが、オリンピックの中心的な使命であることを明らかにしているのです。」

オリンピックは政治には無縁であることが価値だという主張

 さらにバッハ会長の言葉は続きます。

The Olympic Games are not about politics. The International Olympic Committee, as a civil non-governmental organisation, is strictly politically neutral at all times. Neither awarding the Games, nor participating, are a political judgment regarding the host country.

The Olympics are about diversity and unity, not politics and profit. Boycotts don't work | Olympic Games | The Guardian

【筆者訳】

「オリンピックは政治的とは無縁です。国際オリンピック委員会は、非政府の市民組織として、常に厳格に政治的な中立に立っています。表彰されることも、参加することも開催国の政治的な判断とは関係がありません。」 

 この長いインタビューの最後に、バッハ会長はオリンピックとアスリートの価値を次のように締めくくっています。

The Olympic Games cannot prevent wars and conflicts. Nor can they address all the political and social challenges in our world. But they can set an example for a world where everyone respects the same rules and one another. They can inspire us to solve problems in friendshipand solidarity. They can build bridges leading to better understanding among people. In this way, they can open the door to peace.

The Olympics are a reaffirmation of our shared humanity and contribute to unity in all our diversity. As I learned through personal experience, ensuring that the Olympic Games can unfold this magic and unite the entire world in peace is something worth fighting for every day.

The Olympics are about diversity and unity, not politics and profit. Boycotts don't work | Olympic Games | The Guardian

【筆者訳】

「オリンピックは戦争や紛争を防ぐことはできません。また、私たちがいる世界のすべての政治的や社会的な課題に取り組むこともできません。しかし、オリンピックは誰もが同じルールを尊重し、お互いを尊重することで世界に模範を示すことができます。オリンピックは私たちに友情と連帯によって問題を解決するように促すことができます。オリンピックは人々同士が良い理解につながる橋を架けることができます。このようにして、オリンピックは平和への扉を開くことができるのです。
 オリンピックは私たちの共通の人間性の再確認することであり、私たちのすべての多様性が統一することに貢献しています。私が個人的な経験から学んだように、オリンピックがこの魔法を解き放ち、世界全体を平和に団結させることは、毎日戦う価値のあることです。」

 バッハ会長は積極的に政治問題にIOCを導いている

 このようにインタビューでは、オリンピックは政治との無縁であり、オリンピックの持つ恒久的なメッセージの重要性を主張するバッハ会長ですが、実際の行動はその言葉とは裏腹です。

 バッハ体制のIOCは決して政治的な活動や主張と無縁ではありません。むしろ積極的に政治的な課題に関わろうとしているようにさえ見えます。

 2018年平昌冬季オリンピックでは、朝鮮半島の「南北統一」という第二次世界大戦朝鮮戦争から続く、かつての東西冷戦も絡んだ世界的な政治問題にIOC自ら身を投じました。南北統一チームの競技への出場や開会式や閉会式での統一チームで行進を認めました。そこで打ち振られる半島の旗は、日本をはじめ近隣諸国から見れば明らかな政治的な主張そのものです。

 日本では、バッハ会長はこのアクションでノーベル平和賞を狙っているという噂がありましたが、あながち外れていないかもしれません。

 2016年のリオ・デ・ジャネイロオリンピックで、初めて結成された難民選手団も政治とは無縁ではありません。国籍や身上に捉われず、より多くのアスリートに参加できる機会を提供するという意味では、オリンピック憲章に沿ったアクションですが、アスリートが難民になった背景や、その原因を作った統治者の立場から見れば事情は明らかに異なります。難民がオリンピックという華々しい国際舞台でスポットライトを浴びることは、単に難民の保護や擁護とは違った、明らかな政治的な意味を持ちます。

 難民選手団に選ばれたアスリートは、大会終了後帰国の道を閉ざされたり、母国の家族が辛い目に合わされる可能性もあるでしょう。筆者の視点では、彼らはIOCの政治的なパフォーマンスに駆り出された犠牲者にもなり得ると考えています。

現存するスポーツ界の差別、格差にIOCは何もしていない

 全米オープンの前哨戦で準決勝をボイコットした大坂なおみ選手が、テニス界を白人中心の世界と語ったように、多くの競技団体で人種や宗教の違いによる格差や差別は解消していません。

 IOCは、オリンピック憲章の「オリンピックの根本原則」(Fundamental Principles of Olympism)で下記のようにうたっていながら、現実に存在する格差、差別について手を拱いてきました。

オリンピックの根本原則

4. スポーツをすることは人権の 1 つである。 すべての個人はいかなる種類の差別も受けること なく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない。 オリンピッ ク精神においては友情、 連帯、 フェアプレーの精神とともに相互理解が求められる。

6. このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、 政治的またはその他の意見、 国あるいは社会的な出身、 財産、 出自やその他の身分など の理由による、 いかなる種類の差別も受けることなく、 確実に享受されなければならない。

 オリンピック憲章 Olympic Charter 2020年版・英和対訳|日本オリンピック委員会

 オリンピック本番だけが全てのアスリートにとって平等に機会を提供しているかのように演出をしても、それぞれの代表を決める国レベルの予選やそもそも裾野の競技環境で、格差や差別が無くならなければ、スポーツが平等な権利とは言えず、オリンピック憲章はただのお題目に過ぎないのです。

BLM運動が創った時代の変化にIOCはどのように応えるのか? 

 1968年のメキシコシティオリンピックでは、男子200m走で表彰台に上がった3選手、優勝のトミー・スミス(アメリカ)、2位のピーター・ノーマン(オーストリア)、3位のジョン・カーロス(アメリカ)が、当時アメリカで盛り上っていた黒人差別撤廃運動「公民権運動」に賛同し拳を突き上げるなどのポーズをして、この大会や自国の競技団体から追放されました。ブラックパワーサリュートと称され、オリンピック会場で行われた最も象徴的な政治的活動として、オリンピックの歴史に刻まれています。

 スミスとカーロスの二人の黒人選手は、2019年に全米オリンピック・パラリンピック委員会から殿堂入りが認められて復権を果たしましたが、二人に賛同して「人権を求めるオリンピックプロジェクト」のワッペンを貼って表彰式の望んだ、オーストラリア人のノーマン氏は亡くなるまで不遇の時を過ごしたそうです。

 スミス、カーロス両氏の復権もBlack Lives Matter運動の盛り上がりを受けてのものに間違いありません。彼らの行動は、50年近く経った現在では勇気ある行動として賞賛されるまでになっています。

 そのほかにもアメリカでは多くの競技で、アスリートが人種差別への抗議活動に参加したり、競技場でパフォーマンスをすることを認めるようになりました。そうした動きは大きなうねりとなってオリンピック、パラリンピックにも迫るでことしょう。

 さらに、このインタビューのバッハ会長も、従来からのIOCも「人種的プロパガンダ」を政治的な活動、主張の一環として扱ってきていますが、アメリカでは、例えば大坂なおみ選手が行なったような差別解消への主張は、政治的な行動ではなく、全ての人に共通する基本的な人権の一部だという意見が強くなっています。

 IOCは、アメリカのプロスポーツを中心に見られる、試合前の国歌の演奏中に片膝をつく行為を禁止する指針を今年の1月に出しています。しかし、この指針を修正することも含めて新しい指針作りをしているとも言われています。50条の改正を求められていることも最初に書いた通りです。

 そうした新しいルールの有無に関係なく、来年東京オリンピックパラリンピックが開催された場合には、片膝をつくポーズや大坂なおみ選手のようなメッセージを発信するアスリートは、必ず現れると言っていいと思います。

 その時、IOCはどのような態度でそのアスリートに望むのでしょうか? 少なくとも1968年のメキシコシティオリンピックと同様の対応をすれば、アメリカを中心に世界の世論が許さないでしょう。アメリカ企業を中心にスポンサーも黙っているとは思えません。

 そもそも、もしかすると、現状のルールのままオリンピックでは、現実的には差別を認めているとしてボイコットするアスリートが現れるかもしれません。

 そうした主張に対してIOCはどのような判断を下すのか? バッハ会長は、まさにBlack Lives Matter運動のうねりの中で難しい舵取りを迫られているのです。