スポーツについて考えよう!

日々、発信されるスポーツの情報について考えよう

復活したF1ホンダを応援しませんか?

バブル期、日本でもF1は人気スポーツだった

 11月17日まで開催されてた世界のモーターレースの最高峰F1(フォーミュラ1)のブラジルグランプリで、日本のホンダのエンジンを乗せた車が、1位と2位になりました。ホンダのワンツーフィニッシュは28年ぶりのことだそうです。
 
 30代以下の方はほとんどご存知ないと思いますが、日本にもF1ブームの時期がありました。そのピークは1980年代から後半から1990年代初頭。日本はバブル絶頂から、それがはじけても尚、その余韻にひたっていた時代でした。テレビや新聞でも大き取り上げられ、全レースを中継するフジテレビのテーマ曲は誰でもそれと分かるほどメジャーでした。私自身も何度か鈴鹿サーキットやヨーロッパのサーキットを訪れ圧倒的なスピードとそのエキゾノースト(排気音)に酔いしれたものです。
 当時、コース上では、プロフェッサーことアラン・プロストと音速の貴公子アイルトン・セナの二人の世界的なスターとネルソン・ピケナイジェル・マンセルら個性豊かなドライバーたちが激しいレースを繰り広げ、多くの世界的なメーカーがしのぎを削る中、その中心にいるのがエンジンメーカーとして参加していたホンダでした。ホンダパワーは圧倒的で、1988年の年間16戦中15勝を含めて6年連続でワールドチャンピオンにエンジンを供給するなど異次元とも言える速さを見せていました。
 そうした大きな流れを変えたのは、1992年のホンダエンジンの撤退と、ホンダを駆って3度の年間チャンピオン、32勝をあげたアイルトン・セナが、その2年後にレース決勝でコースサイドのウォールに激突し、帰らぬ人となったことでしょう
 
 そもそも「F1って何?」から入る人もいるかもしれません。それくらい、今のF1は日本ではマイナースポーツだと思います。知っていても、車がグルグル走っているだけで、何がおもしろいの?と言う方も多いと思います。それでも、F1は世界のモーターレースの頂点に君臨し、途方もない資金が投じられています。

今も世界的には人気のF1とホンダの苦悩 

 ワールドチャンピオンを逸した92年シーズン末に一度F1から撤退したホンダでしたが、2000年からは、エンジン供給だけでなくボディやチーム運営も手がけるオールホンダでF1に再チャレンジしました。しかし期待された結果を残せなままに2008年にまたも撤退を余儀なくされます。世界的な金融危機リーマンショックによる本業の急速な業績不振の影響だと言われています。
 そして、現在のF1での活動は、2015年に名門チーム・マクラーレンへのエンジンを供給したことから始まります。ホンダにとっては1950年代の初参加から数えて4回目の挑戦です。特に、あの80年代に6年連続でワールドチャンピオンとなった時代、その内4回がマクラーレンとのカップリングだっただけに、自ずと期待が高まりました。
 しかし、2015年からのマクラーレンとの3シーズンのホンダは、失意の中にいたと言っていいでしょう。この3年間、過去2年連続でワールドチャンピオンに輝いた実績のあるフェルナンド・アロンソをドライバーに迎えながら、一度も表彰台に登ることができず、マシントラブルによるリタイヤも多く、チームの年間順位で見ても2016年の7位が最高でした。
 この原因としてあげられたのは、ホンダエンジンのパワー不足と開発スピードの遅さでした。エースドライバーのアロンソは何度となくエンジンのパワー不足を口にし、他のチームと比べてエンジンの進化が進まないことにたびたび不満をもらしていましたし、同様の不満をマクラーレンの関係者も口にしていました。
 通常であれば、ホンダをかばう日本のメディアも、ホンダの体制や資金不足などを、結果が出ないことの原因としてあげていたのもこの頃です。私自身もホンダの資金不足が大きな原因だと考えていました。

わずか2年でホンダは自らの力を実証しました 

 マクラーレン時代に受けたパッシングが間違いであることをホンダ自身が証明するのに、2年の時も必要としませんでした。2017年シーズン終了を待たずにマクラーレンに見切りを付けられたホンダは、2018年からトロ・ロッソというイタリアのチームにエンジン供給することになりました。一方、マクラーレンはそれまでトロロッソにエンジンを供給していたルノーのエンジンを積むことになります。
 トロロッソは、2006年に生まれた比較的新しいチームで、近年ワールドチャンピオンを争い続けるレッドブルのセカンドチームの位置付けで、ドライバーが表彰台に上ったのも2008年にわずかに1回という下位のチームです。とは言っても、2017年までの3年間の成績では常にマクラーレンホンダよりも上位でした。
 それまで3年間結果を出すことが出来なかったホンダエンジンとトロロッソの組み合わせは、第2戦の4位を最高に、全10チーム中9位と結果に結びつけることはできませんでした。しかし、トロロッソの親チームにあたるレッドブルは、それまで供給を受けていたルノーを早々に見切りをつけ、夏の終わりには2019年シーズンはホンダエンジンを搭載することを明言したのです。
 F1では、昨年まで5年連続でワールドチャンピオンのメルセデスやF1の代名詞とも言えるフェラーリのように、エンジンからボディ、チームマネジメントまで全て一つの会社で行うチームと、マクラーレントロロッソレッドブルのように、チーム運営とボディの開発を自らが行い(コンストラクターズという)、他社からエンジン供給を受けるチームがあります。
 別々の企業が一つの製品を作る場合、二つの企業のマッチングにポイントがあるのは当然です。F1のようなインターナショナルスポーツでは、その企業間のマッチングはほとんどの場合、国境を越えます。マクラーレンはイギリスのチーム、トロロッソはイタリアのチーム、レッドブルオーストリアのチームで元々イギリスにあった企業を買収しているためにイギリスに開発拠点を置いてます。国や国民性で、組織づくりや意思決定の方法が違うのは当然です。もろろん、企業文化という壁もあるでしょう。
 F1のような極めて高度な技術で世界一を争い、ダイレクトに結果を求める世界では、そうした違いによる僅かな齟齬が大きな壁やヒビにつながる可能性があることが想像できます。
 ホンダとの相性を考えた時に、長い歴史のある名門マクラーレンとの関係は、お互いのプライドや国民性が邪魔をしてうまくいかなかった可能性があります。
 1980年代終盤からのマクラーレン・ホンダの黄金期は、ホンダが1986年、87年にやはり名門チームのウイリアムズとのパートナーシップで2年連続で世界チャンピオンになった後に続くもので、マクラーレンの度重なる熱烈なオファーで実現したものだったと言われていました。しかも、1970年代後半から80年代の日本経済はまさに飛ぶ鳥の勢い。GDPで首位のアメリカにあと一歩に迫り、ジャパンアズナンバーワンと言われて、日本の企業経営やモノづくりの全てが世界からリスペクトされ、世界中の企業が日本を目指した時代だったのです。そんな時代の日本の象徴とも言える企業のひとつであるホンダと、イギリス病と呼ばれた経済停滞から鉄の女サッチャー首相の手腕によってようやく回復の兆しが見えたイギリスの老舗レーシングチームとの合同チームで、どちらに主導権があったかは、推して知るべしだろうと思います。
 その後、2000年から2008年の参戦で大きな成果を残すことができず撤退し、7年ぶりの復帰となった今回のホンダとでは、マクラーレンとの力関係も大きく違い、それはチームの組織作り、意思決定にも影響したでしょう。日本のモノ作りの世界的な地位の低下も影響していたかもしれません。
 一方、トロロッソレッドブルも歴史の浅いチームです。マクラーレンとのパートナーシップとは違い契約上でも対等に車を作り上げることのできる環境の中で、昨年、トロロッソのチーム関係者からはホンダと一緒に開発していくことが楽しくて仕方がない様子がうかがえるコメントが何度となく聞かれました。そのあたりが結果を出ていないにも関わらず、レッドブルが今年からホンダエンジンの搭載することを決めた理由かもしれません。
 
 全21レースの今年のF1は12月1日のアブダビブランプリを残すのみですが、ホンダエンジンを積んだレッドブル、そしてトロロッソの活躍は期待以上のものになっています。レッドブルは最初に紹介したブラジルグランプリを含めて今シーズン3勝。年間のチーム別のランキングでは、メルセデスフェラーリに継いで3位。エースドライバーのマックス・フェルスタッペンもドライバーズランキングで3位につけています。トロロッソも、優勝こそないものの昨年の9位から6位にアップして最終戦を迎えます。

予断を許さないF1とホンダの未来

 最終戦を前に、2020年までだったレッドブルとトトロッソの契約を1年延長することがホンダから発表されました。本業の経営状況を見極めながらのある意味での自転車操業なのだろうと想像されます。 
 2021年からF1が新しいレギュレーションで運営されることになっていて、多くのチームがその変更と多額の開発費、モーターレースが置かれた厳しい状況のために2021年以降の参戦を決めていないという情報もあります。
 世界的に見るとモータースポーツ自体の地位やF1の地位が揺らぎつつあります。世界的なエネルギー問題、持続性社会の必要性が叫ばれる時流の中で風当たりが強くなっているのです。そうした時代の要求に応えて、F1を主催するFIAも2014年から電気自動車による世界選手権フォーミュラEを開催し、今季も今月から来年7月まで13戦が世界で開催されます。かつてのF1は、高い技術の争いの中で、例えば空力や耐久性などの開発を行う実験室であり、それがメーカーにとって多額の開発費の根拠になっていましたが、その役割はすでにフォーミュラEに移行したという声も多いようです。
 それは自動産業自体がエンジンからモーターへの大きな転換期を迎えたからです。この転換はそれまで自動車メーカーが持っていたテクノロジーやノウハウ、産業構造を全てゼロからやり直す必要を迫まられる大転換です。現状を見ると、イノベーションが活発なヨーロッパやアメリカや資金力に余裕がある中国メーカーが先行していて、ホンダをはじめ日本の自動車メーカーのほとんどは今後さらに厳しい経営環境に見舞われことは間違いありません。
 転換の遅れは、フォーミュラEが韓国や中国でも開催されているのにも関わらず、日本で開催されたことがない事実にも反映されています。エンジンからモーターへ。その移行が日々進んでいる中で、日本の自動車産業は大きな遅れを取っているのです。
 そんな厳しい逆風の中でのホンダの奮闘ではありますが、近年あまり明るいニュースがない日本の製造業の企業で、ホンダのがんばりを応援したくなります。ホンダがワン・ツーフィニッシュを決めたブラジルグランプリ決勝が行われた11月17日は、ホンダの創業者であり、一代でHONDAを世界の誰もが知る企業の育てた本田宗一郎氏の誕生日だったそうです。