スポーツについて考えよう!

日々、発信されるスポーツの情報について考えよう

東京パラリンピックまで1年を迎えて

東京パラリンピックまで1年を迎えて

東京パラリンピックまで1年となったパラリンピアンの現在位置

 8月24日、1年延期された東京パラリンピックの開幕まで1年になりました。このタイミングを捉えて、メディアではパラリンピック関連の多くの情報が提供されています。

 そうした中には、東京パラリンピックを目指す多くのパラアスリートたちの声も聞くことができます。

1年後の舞台へ 東京パラリンピック開幕まで1年 選手たちの思い | オリンピック・パラリンピック 競技・選手 | NHKニュース

 同じように1年延期されたオリンピアンの中には、延期のショックから今でも立ち直れていないことを明らかにしているアスリートがいるのと比べてみると、パラアスリートは概して前向きな反応が多い印象です。

 一人のアスリートとしてだけでなく、パラリンピアンの社会的な役割や障がい者である自分のシンボリックな立ち位置を普段から強く意識しているからなのでしょうか、メンタル的な強さを感じさせてくれています。

 視覚障害のある競泳の第一人者の一人である富田宇宙選手は、人生の中でもこれまで直面してきた多くの障害から比べれば、1年の延期はそれほど大きな問題ではないと語っています。健常者のスイマーと比べれば、彼らはプールに行くことですら多くの障害がある環境をパラリンピックまでのプロセスの中で経験している彼らには、そもそも障害に立ち向かう耐性みたいなものがあるということなのでしょうか。

 もちろん、パラアスリートは各々の障害もそれぞれで、進行性の疾病を伴う、もしくはそれによって生じる障害を持つアスリートの場合には、延期された1年間が競技を続ける上で大きな分岐点になる可能性があります。また免疫力を低下させるような疾患がある場合には、新型コロナウイルスの感染がそのまま命に関わる可能性もあって、トレーニングや日常生活に大きな制約が必要となっているはずです。

日本ではパラスポーツへの支援は始まったばかり

 日本でパラリンピックというスポーツ大会が一般的になったのは、2013年に東京大会が開催されることが決定されて以降だったと言っていいでしょう。東京でオリンピックが開催されれば、パラリンピックも開催されるということを、招致当時にどれくらいの人が知っていたでしょう。

 1948年、第二次世界大戦からの復興の象徴して開催されたロンドンオリンピックと同じ年、大戦で脊髄を損傷した軍人のリハビリを目的として誕生したストーク・マンデイビルスポーツ大会として、同じロンドンで始まったパラリンピックが、日本に初めて一般的に紹介されたのが、1964年に開催された前回の東京オリンピックの年でした。今回同様、オリンピックが開催された後、東京都内、代々木公園周辺の施設で開催されています。但し、現在とは違ってオリンピックとは全く別のイベントとしてです。

 一般的に見ると、パラリンピックに対する日本人の認知度や認識は、2013年までその頃からほとんど変わって来なかったのかもしれません。

 パラリンピックの社会的な評価も、2013年以降徐々に高まり、現在のようにリスペクトの対象になったのは、ここ2、3年と言ってもいいかもしれません。行政からの支援が本格的になり始めたのも5年前くらいからです。

 そうした中でも競技生活を送ってきたパラアスリートとっては、競技を続ける=数多くの障害があることは、ある意味当然だったのでしょう。

 子供の頃から、競技のみに専念して、半ば純粋培養されてきたオリンピアンとは、違うものがあるようです。

新型コロナウイルス感染拡大により資金の不足を語るパラ競技団体

 一方で、大会が1年の延期されたことによって、障がい者スポーツの多くの競技団体が強化のための資金が不足しているという記事が紹介されています。

パラ団体半数、財源不足 開幕1年前、協賛企業業績悪化 毎日新聞調査 - 毎日新聞

 新型コロナウイルスの感染拡大によって経済が停滞し、企業の業績が悪化して、企業からの支援が少なくなったことが大きな原因だそうです。果たして、その収入のマイナスがオリンピックの競技団体と比べてどうかはわかりませんが、そもそも予算規模が小さい団体が多いために、支援の減額の影響が全体に及び易いことも原因のひとつだろうと想像ができます。

 先ほども書いたように、現在のようにパラリンピックの競技団体に資金的に支援が行われ、パラリンピアンを含めたパラアスリートが積極的に雇用されたり、民間レベルでパラアスリートに競技の機会が提供されるようになったのは、ごくごく最近と言って良いと思います。

 そして、こうした企業の支援は東京パラリンピックまでの期間と定めてる企業や団体も少なからずあります。もしかすると、中には大会の延期に関わらず今年で支援を終了する企業もあるかもしれません。

 こうした企業の動向は、競技団体だけでなくアスリート一人一人に対しても同様なはずです。場合によっては、金銭的な支援だけでなく雇用を解除されるようなことも起こるかもかもしれません。

 競技団体によって東京パラリンピックが開催されると同時に現在のバブルが終わることを見越して、今もミニマムな財政状態で運営をしている団体がある一方で、少なくとも今年の3月までは現在の勢いに乗じてスタッフを増やし、様々なイベントを開催するなど拡大路線を進めて、競技の普及に積極的に取り組んできた競技団体もあります。どちらの判断が正しいのかは、来年以降になってみなければわかりません。

1年間伸びたパラリンピックバブルをどのように生かすかが将来を決める

 東京パリンピックの1年間の延期が、将来に渡って日本のパラスポーツやパラアスリート、更には東京オリンピックパラリンピックが目標に掲げてるダイバーシティ社会の実現にどのような影響を与え、何を残すのかは、時間が経ってみなければ分かりません。

 現状の企業からの支援が縮小したと言っても、2013年以前から比べればはるかに大きいはずです。もし、東京パラリンピックまでの期間がバブルだとすれば、延期された1年間はバブルの期間が1年分伸びたことにもなります。その1年間分だけ、パラスポーツが普及し、定着するチャンスが増えたことになります。

 言うまでもなく、熱し易く冷め易い国民性。今、パラスポーツやパラアスリートを取り上げているメディアの多くは、東京パラリンピックが終了以降は、パラスポーツに目を向けず、扱うこともほとんどなくなるでしょう。それでも、2013年以降の蓄積はあります。特に東京都を中心に多くの小学校では積極的にパラリンピック教育が行われて、親の世代では決して知ることがなかった出会いや体験をしています。スポーツを中心に多くのイベント会場でパラスポーツに接する機会を得た人も少なくないはずです。

 感染予防のために多くの大会の開催がままならず、国境を越えての人の行き来も制限されている中で、できることは限られてはいると思いますが、この逆境をチャンスと捉えて、2022年以降のために、パラスポーツへのより一層の理解を広げるための時間にしていくしかないのでしょう。