スポーツについて考えよう!

日々、発信されるスポーツの情報について考えよう

北京オリンピック雑感7 (2/13)〜疑惑の判定を吹き飛ばした平野歩夢の快挙〜

悔しさをバネに逆転の完璧ルーティンで金メダル

 11日、スノーボード平野歩夢選手が金メダルを手にしました。日本人としてこの競技初の快挙は、この大会で日本として二つ目の金メダルとなりました。

 彼にしかできない高難度の技を完璧に決める彼の滑りを、中継のアナウンサーが絶叫で伝えた「人類史上最高難度」という言葉が、SNS上でバズり、この競技の注目の高さを証明した形になりました。

 しかし、平野選手の金メダルも、すんなりと手に入れられたわけではありません。

 

 2014年ソチ大会で15歳でデビューした平野選手は、いきなりこの大会でいきなり銀メダル、2018年平昌大会でも絶対王者ショーン・ホワイト選手にあと一歩及ばず、銀メダルに終わりました。

 そして、23歳になった今シーズンの平野選手は絶好調。彼にしかできない「トリプルコーク1440」という技を武器にオリンピックに臨みました。常に平野選手の目標であり、高い壁となってきたホワイト選手は35歳となって、この大会を最後に引退することを発表していました。つまり、長年この競技を牽引してきた王者ホワイト選手に勝利し、平野選手が名実ともに第一人者となる最後のチャンスだったのです。

 3度行われる試技のうち、平野選手は1回目で、4回転の中に縦3回転を入れる「トリプルコーク1440」を五輪史上初めて成功させはしましたがその後の流れで失敗してしまいました。

 2度目の試技では「トリプルコーク1440」を交えた試技全てを成功させました。しかし、直前に高いレベルの試技を見せたオーストラリアのスコット・ジェームス選手の92.50点に次ぐ91.75点の2位につけました。

 ここで奮起した平野選手は、3度目の試技でさらに技の完成度を高めて96.00点をあげて、得点を伸ばすことができなかったジェームス選手を抑えて金メダルを獲得したのです。

注目された平野歩夢選手の低い得点

 この決勝では、平野選手の2度目の試技の得点の低さが世界的に問題視されました。平野選手が世界で最も高難度の試技を成功させたのにも関わらず、7人の審判の内、アメリカの審判は89点、スイスの審判は90点と標準的な試技の評価しか与えなかったのです。

 場内からは悲嘆とも思える声やため息が聞こえ、即座に世界中のメディアやSNSがこの得点に、否定的なメッセージを送りました。

 なぜ、そのような得点が出されたのか? 

 可能性の一つとして、客観的な基準がないこの種目の採点で、平野選手が3度目でさらに高度な試技を行う可能性があったために、控えめの評価をしたのではないかという指摘がありました。この種目ではあり得ることだそうですが、世界一の大会で行われた極めてレベルの高い試技に対する採点の理由には、相応しくありません。

 もう一つの可能性は、平野選手に1位になってほしくない、彼にこの種目の金メダリストになってほしくない人たちがいるということです。言い方を変えれば、日本人もしくは東洋人に王者になってほしくない人たちです。つまり人種差別です。

 日本ではほとんど語られることがありませんが、世界のスポーツ界では多くの人が認める、事実です。

そもそもオリンピックは白人貴族の大会

 例えば、冬季オリンピックの参加選手を見回してください。ロシア、スラブ系を含めた広い意味での白人以外の参加選手がどれくらいいるでしょうか。旧ソビエトだった中央アジアカザフスタンウズベキスタンを除けばほとんど中国、韓国、日本だけです。中でもほぼ全ての競技に選手を出しているのは、日本だけではないでしょうか。

 もちろん、中央アフリカなど雪や氷が無い国もありますから、そうした国でウインタースポーツが普及しないのは仕方がありません。しかし、例えばヨーロッパや北アメリカの国々には多くの黒人やヒスパニックの人たちが住んでいますが、そうした人種の選手を冬季オリンピックで見ることはほとんどありません。これが、スポーツの人種差別の実態です。

 娯楽としてのスポーツの価値観=アマチュアリズムは、元々ヨーロッパの白人貴族のものです。クーベルタン男爵が19世紀末に現在の近代オリンピックを草創した時に、彼の頭の中には、白人以外の人種や労働階級の人たちは入っていなかったでしょう。その後100年近くオリンピックに続いたアマチュアリズムは、白人貴族のスポーツに対する基本的な価値観によるものだったのです。

 一方、働かなくては生きていけない労働階級は、早くからスポーツを職業として位置付けていました。近代オリンピックが始まる少し前には、イギリスの労働階級の中から職業としてのスポーツであるプロサッカーが誕生しています。

 アメリカでは、オリンピックが始まる以前、1860年代に既に現在のMLBの元となるプロ野球が誕生し、その後1870年代には黒人によるニグロリーグも誕生します。彼らのスポーツの概念は、ヨーロッパ人の考える、貴族のスポーツ=オリンピックとは相入れませんでした。その文化的な背景の違いは今もなお続き、野球はIOCが目指すIOCを頂点とする世界的なヒエラルキーに参加していませんし、今後もその可能性は低いでしょう。

 サッカーもまた、他の多くの競技とは異なったオリンピックとの関係を、現在も維持しています。

白人スポーツの牙城とそれに挑む日本

 時は流れて、夏季オリンピックでは、多くの競技で人種を超えて様々な国の人々が、世界一を競うようになりました。中には陸上競技やバスケットボールのように、黒人に独占される競技も現れました。一方で、水泳やヨーロッパ発祥のフェンシング、馬術などまだまだ白人中心の競技はたくさん残されています。

 冬季オリンピックの競技には、さらに白人支配が数多く残されているのです。

 しかし、人種差別に対する意識に疎く、空気を読めない日本人は、図々しく夏季、冬季両方のオリンピックに早くから参加し、メダルを獲得した上に、オリンピックの開催国にまでなりました。夏季、冬季ともにヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア以外、言い換えれば白人国家以外で開催国になったのが日本が最初であることは、そうした背景と無関係ではありません。

日本人選手は差別とも戦っている

 しかし、日本人が大手を振って競技に参加し、活躍することを良くは思っていない人は少なからずいます。

 日本で有名なのは、ジャンプ競技のルール変更です。98年長野大会で船木和喜選手のラージヒルと団体で金メダルを取って以降、スキー板を短くするなど、白人に比べて体が小さく、体力の低い日本人に不利になるルール改定が行われました。

 同じノルディックスキーの複合でも、ワールドカップで3シーズン連続で年間王者になった荻原健司選手を中心とした日本チームが1992年アルベールビルと1994年リルハンメル大会の団体で連覇すると、日本が得意としたジャンプのポイントを減らすなど、日本にとって不利となるルール変更が行われました。KING OF SKIと賞されるこの競技の世界チャンピオンが、いつまでも日本人であることを許せない人たちがいたのでしょう。

 最も最近では、ジャンプ競技ソチオリンピック直前に行われたルール変更は、この年ワールドカップ13戦10勝と圧倒的な強さを誇っていた高梨沙羅選手をオリンピックで優勝させないためだったと言われています。

 こうした意見に対して、日本人の被害者意識、被害妄想だと言う方が、日本でも年配の方を中心にいますが、世界のスポーツ、特にオリンピックスポーツの競技の多くが、白人中心の差別社会であることは間違いがない事実です。

 世界を転戦する日本人アスリートの多くが、私たちが想像する以上に差別に晒されながら競技を続けているのです。もちろん、それは日本人だけでなく、多くのカラードのアスリートに共通しているはずです。

 今大会でスピードスケート女子500mで優勝したアメリカのエリン・ジャクソン選手は、黒人選手として、史上初のスピードスケート競技の金メダリストになりました。

「もっとマイノリティの人たちが冬のスポーツに挑戦するきっかけになって欲しい」とkの彼女は語っているそうです。

平野選手の長年の活躍が味方した

 では、なぜ、平野選手は金メダルを取れたのか? それは2回目の得点に腹を立てた彼が、3回目に2回目以上に完璧な試技を目指し、それをやり遂げたからです。

 そして、審判員にとって身内であるはずの白人たちの多くも平野選手を支持したからでしょう。彼はこの大会でいきなり出てきた選手ではなく、10代前半から10年に渡って世界やXゲームを舞台に活躍し、この競技のレベルの向上や人気獲得に貢献してきた選手の一人です。ショーン・ホワイト選手に「誇りに思う」とまで言わせた選手であることが大きな力となったと想像されます。

 この競技を中継していたアメリNBCの番組では、著名な解説者が平野選手の2回目の試技の得点と、89点を付けたアメリカの審判に対して罵詈雑言を浴びせ、何度もCMにいかなくてはならないほどだったそうです。

 

 スポーツの中の人種差別はこれからも無くなることはないでしょう。それを変えていくには、平野選手のように長年に渡ってトップレベルで活躍し、競技結果だけでなく、人格も含めて他の多くの競技者から尊敬される人物の存在が必要です。平野選手が開きかけた扉を誰もが通れるほどにまで開くことができるか、彼自身の今後にかかっているのでしょう。

 そして、この競技の今以上の普及、発展を考えるなら、国際スキー連盟は、フィギュアスケートのように、客観的で透明性のある採点システムを採用すべきです。それは、フリースタイルスキースノーボードの他の種目にも共通する課題です。