スポーツについて考えよう!

日々、発信されるスポーツの情報について考えよう

オリンピックの価値:スポーツとSDGs

世界の環境対策とSDGs

 ヨーロッパを中心に、世界の先進国の多くは温暖化対策などの環境保護を重要視し、その動きは今や世界的なトレンドになりつつあります。

 世界で最もエネルギーを消費し、二酸化炭素を排出しているアメリカは、トランプ政権で経済優先の政策のためにパリ議定書から離脱しましたが、バイデン政権になって復帰しました。14億人の人口を擁し二酸化炭素排出大国の中国も、ここ数年環境対策に力を入れる姿勢を見せるようになってきました。

 その一方で、実は環境対策に前向きではない国も少なくはなく、温暖化自体を否定している国があるのも事実です。

 経済対策を最優先にした安倍政権下の日本も、先進国の中では最も環境対策に後ろ向きの国のひとつだったのではないでしょうか。

 そうした世界の流れの中で、環境重視の世界的な潮流を作ったのが、2015年に国連が策定した、2030年までに達成すべき持続可能な開発目標であるSDGsです。そこに掲げられている17の目標の内、環境に直接的、間接的に関係するのは下記の6つの目標です。

目標6:すべての人々に水と衛生へのアクセスと持続可能な管理を確保する

目標11:都市と人間の居住地を包摂的、安全、レジリエントかつ持続可能にする

目標12:持続可能な消費と生産のパターンを確保する

目標13:気候変動とその影響に立ち向かうため、緊急対策を取る

目標14:海洋と海洋資源を持続可能な開発に向けて保全し、持続可能な形で利用する

目標15:陸上生態系の保護、回復および持続可能な利用の推進、森林の持続可能な管理、砂漠化への対処、土地劣化の阻止および逆転、ならびに生物多様性損失の阻止を図る

持続可能な開発のための2030アジェンダ採択 — 持続可能な開発目標ファクトシート | 国連広報センター 

 日本でも、近年、大手を中心に温暖化対策や環境保護に目を向けたに経営方針を立てたりやプロジェクトを行う企業も多くなりましたが、特にここ数年はSDGsという言葉を前面に出すことが多くなっています。大学や高校でも積極的にSDGsに沿った教育が行われるようになりました。

 政治でも、大手企業優先の経済政策一辺倒の安倍政権から、一昨年管政権に交代して以降、ようやく国際的に脱炭素社会に向けた目標を掲げるようになるなど若干の改善の兆しがみえてきましたが、その政策にもSDGsという言葉が登場するようになっています。

スポーツとSDGs

 スポーツの世界にもこのSDGsに沿った取り組みが求められています。国連は、SDGsを定めた「持続可能な開発のための2030アジェンダ宣言」の中で、スポーツの役割を次のように定義づけています。

「スポーツもまた、持続可能な開発における重要な鍵となるものである。我々は、スポーツが寛容性と尊厳を促進することによる、開発および平和への寄与、また、健康、教育、社会包摂的目標への貢献と同様、女性や若者、個人やコミュニティの能力強化に寄与することを認識する。」

Resolution adopted by the General Assembly on 25 September 2015

 その17個の目標ごとの内容が、国連広報センターのホームページの「スポーツと持続可能な開発(SDGs)」という特集ページで掲載されています。

スポーツと持続可能な開発(SDGs) | 国連広報センター

 しかし、その内容をチェックすると、ほとんどが無理やり当てはめたとしか言えない内容です。

 直接スポーツが目標に沿った活動ができるのは

「目標3:あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を推進する」

のみで、部分的に環境づくりに貢献できるのが

「目標4:すべての人々に包摂的かつ公平で質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する」

ではないでしょうか。

 特に環境問題では、スポーツが積極的な役割を果たす道筋が見えません。

 一方、 IOCも国連と連携をしてSDG’sに沿った行動や指針を示しています。

 伝統的に男女間の格差が明確なヨーロッパの貴族社会に生まれ、その支配が続いているIOCは、近年まで極めて男性に偏重した組織でしたが、国連からSDGsを元にジェンダーギャップの指摘を受けて、理事会で女性理事が占める割合を、2018年にそれまでの18%台から42、7%に増加させています。東京大会の組織委員会の女性理事の増員もこの沿線上にありました。

 オリンピックの競技でも、女性の種目や男女混合種目を増やし、東京大会では女性の参加比率を48.8%まで向上させています。

 環境対策として、アフリカの国々に35万本の木を植えることを表明しています。

 さらに、IOC自身が排出する温室効果ガスを2024年までに3割削減、30年までに5割削減を掲げていて、これに沿ってスイス・ローザンヌにあるIOC本部は、カーボンフリーの施設に改修されたそうです。

 もちろん、オリンピックの開催都市にも環境対策を求めています。

 東京大会では、競技会場や選手村では再生可能エネルギーを100%使用し、移動手段として燃料電池自動車や電気自動車を使用しました。また、選手が受け取るメダルを、一般から集めた携帯電話やパソコンから回収した金属を原料にして作成したことは目新しい取り組みでした。

 北京大会では、東京大会同様、施設での再生可能エネルギーの100%使用や電気自動車などの積極的な使用をうたったほか、2008年大会の会場の再利用やフロンガスを使用しない製氷技術をアピールしました。

 IOCは2030年以降のオリンピックを、カーボンフリーの大会にすると言っていますが、このカーボンフリーが具体的にどのようなことを指すのかは、まだわかっていません。

オリンピックと環境対策

  そもそも、IOCは、その理念となるオリンピック憲章の中で、1996年の改定から次の一文を入れています。(以降、一部変更)

14 環境問題に対し責任ある関心を持つことを奨励し支援する。またスポーツにおける持続可能な発展を奨励する。そのような観点でオリンピック競技大会が開催されることを要請する。

オリンピック憲章 第1章オリンピックムーブメント 「IOCの使命と役割」 2021 国際オリンピック委員会

  オリンピックは常に環境破壊と隣り合わせでした。特に自然の中で行う競技のある冬季大会にその傾向があるようです。

 オリンピック史上、最初に環境問題がクローズアップされたのは、1972年札幌オリンピックだったと言われています。もちろん、それ以前の大会でも環境破壊があったはずですが、それが問題視されなかったのは、世界的に環境意識が成熟していなかったからでしょう。

 その札幌大会では、支笏洞爺国立公園の中にある自然豊かな恵庭岳の尾根の木々を大規模に伐採して、アルペンスキーのコースとスタート・ゴールなどの施設が作られました。自然保護団体から激しい批判を受けて、大会後には、多額の費用を使って施設の撤去と植林が行われましたが、植林した木々が成長した現在も空撮写真などを見るとその跡は明らかです。

 その次の1976年冬季大会はアメリカ、デンバーでの開催が予定されていましたが返上されています。その理由の一つに環境問題があったと言われています。

 これを契機に、IOCは環境問題への取り組みを始めます。しかし、オリンピック憲章に環境重視の文言を入れるのに20年かかったばかりか、その内容も現在に至るまで具体性がありません。

 私たち日本人の記憶にあるところでは、1998年長野大会があります。当初白馬村で予定されていたボブスレーは、コース付近に希少種のイヌワシの営巣地があることがわかり、野沢温泉村に変更されました。

 アルペンスキーの男子ダウンヒルのスタート地点をめぐり、環境保護の観点から当時の組織委員会国際スキー連盟の間で激論が交わされましたが、今から振り返るとあまり建設的な議論ではなかったようです。

 今年の北京大会では、元々雪が降らない地域での開催だったために、雪上の競技の全ての会場が人工雪で作られましたが、それによる自然環境への負荷が危惧されています。

 その雪を作るために、自然豊かな広大な湿地帯が人工池にされたという報道もあります。

 また、アルペンスキー競技の会場となった国家アルペンスキーセンターの場所は、もともと460ヘクタールに及ぶ自然保護区でしたが、そのど真ん中をコースが横切るために、その保護区を変更してコースや付帯施設を作っています。

 しかし、こうした中国のやり方を私たち日本人は他人事だと言って、笑っていてはいけません。昨年の東京大会でも同様のことが行われました。

 旧国立競技場と外苑西通りの間には決して広くはありませんが、鬱蒼とした雑木林がありました。東京都の保護林として保護されてきた都民の貴重な緑地でしたが、東京都は国立競技場の建て替えのために、この保護を解除したのです。

 しかも、反対運動の動きを察知して、事業主体の日本スポーツ振興センターは、周囲に事前の通知することなく全てを伐採してしまいました。

 そうして、その上の建てられた現在の国立競技場が、全国から集めた木材を使ったり、コンコースに木々を植えていることは、笑い話にしか思えません。

 現在、神宮外苑の再開発により樹齢100年を超える巨木の伐採の計画が表面化していますが、このような環境をないがしろにした開発や都市環境の変更がこれからも続くと考えると驚きです。特にその事業の中心が、スタジアムの建て替えなどスポーツ施設が中心であることは、極めて嘆かわしいとしか言えませんし、それに対してアスリートやスポーツ関係者から異論が出ていないことは、彼らの環境への意識の低さを示しています。

商業化もたらすスポーツの環境負荷

 本来、一人一人の楽しみや健康のためのスポーツは、商業化されより大きな金儲けの道具になることによって、環境保護とは逆の方向に進化します。

 その一つの例は、スタジアムやアリーナなどの巨大化です。いずれも特に今世紀に入ってから巨大化の一途を辿っています。

 オリンピックの場合は、組織委員会や開催都市の意向に沿う場合もあれば、IOCや競技団体が最低収容人数などを定めている場合もあります。もちろん、大観衆がアスリートたちの最高のパフォーマンスを引き出すの大切な要素なのは間違いありませんが、必ずしも数万人という観客が必要とは言えません。

 オリンピックで開会式、閉会式が開催されるスタジアムが巨大化するのは、2万人を超えると言われるスポンサー関係者を迎える、ホスピタリティに対応するためでもあるのです。

 もう一つあげられるのは照明です。以前の水銀灯や白熱灯から最近はLEDに置き換えられるようになって、消費電力は激減しています。しかし、かつて陸上競技は、白日のもとで行われていました。それが近年はマラソン競歩などを除く多くの種目がナイターで行われます。

 その理由は、最も多額の放送権料を払っているアメリカとの時差を調整して視聴率を稼ぐためです。

 東京大会でのナイターは、暑さ対策をかねていましたが、そもそもアメリカの国内スポーツが盛んな時期を避けて、あえて開催地が猛暑の期間に開催されることも、多額の放送権料を得るためなのです。

 最近では、インドアで開催されるのが当たり前に思ってしまう水泳競技も、オリンピックでは2004年アテネ大会までは、屋外で日中で行われていました。ヨーロッパでは今も国際大会が屋外で行われれているようなので、競技としては、屋外でも差し支えがないのでしょう。

 照明以上の電力を消費するのは空調かもしれません。それも開催地がスポーツに適したコンディションの時期に、適した時間帯に行えば大幅に削減できるはずです。

 太陽光発電などによる自然エネルギーで、そうした電力を賄うことができれば良いのですが、そうした自然エネルギーも必ずしも環境への負荷がゼロではありません。例えば、太陽光発電のパネルは、使用期限が過ぎたパネルの処分による環境負荷が指摘されています。

 また、炭素系のエネルギーであろうと自然エネルギーであろうと、短期間のイベントやウイークエンドの一定時間のピークに合わせて発電施設を作ることも、必要以上に環境に負荷をかけることに繋がるのです。

 発電方法のいかんではなく、できる限り電気を使わないことが、環境対策にとって第1歩であり、最も有効な方法なのです。

オリンピックというの名の環境負荷

 そもそもオリンピックという巨大なスポーツ大会の存在自体が環境対策とは逆行した存在であることは間違いありません。

 巨大なスポーツイベントが行われれば必ず人の移動が発生します。夏季大会の場合であれば、選手だけでも10000人を超える人が移動してます。開催地によって増減はありますが、その多くが環境負荷が極めて大きい飛行機によって移動します。

 選手に加えてスタッフ、スポンサー、さらには観客の移動を考えれば、開催されなかった場合と比較すればその違いは歴然としているでしょう。

 IOCは、2020年大会の開催都市選考の段階で、従来の基準を変更して、既存の施設の積極的な使用を認めましたが、東京大会ではそれでも多くの巨大な競技施設が建設されました、本来、オリンピックが無ければ作る必要がなかったそうした施設については、建設費やその後の維持費の問題だけでなく、環境面での負荷に関しても考えなければならないのです。

 最悪の場合、2016年リオ大会のメインスタジアムだったマナカナンスタジアムやゴルフの施設のように、大会後は全く使用されず、廃墟となる場合もあるのです。

 さらに、多くの人が集まることで避けては通れない大量のゴミの発生もあります。そのゴミの元となる資源や食材が使用され、使用後は破棄されたり、中には使用されずに破棄されることもあるでしょう。

 その全ての課題は、オリンピックだけでなく、サッカーのワールドカップをはじめとする国際スポーツ大会や、世界各国で毎日のように開催されているプロスポーツでも共通の課題なのです。

 

 今世紀末に向けて、人間の営みによる地球規模の環境の悪化は明らかです。だからこそ、国連が策定したSDGsのように、その営みを持続可能に変化させる模索が続いています。

 しかし、残念ながら、人々はこれまでの経済活動を歩みを緩めようとはしません。神宮外苑の再開発の話を聞くと、日本の政治家や官僚、経済人はこれまで何を学んできたのだろうと思わずにはいられません。

 大都市での開催が続き巨大化が続くオリンピックというビジネスも同様です。

 国際サッカー連盟は、ワールドカップ本戦の参加チーム数を増やしたかと思えば、これまでの4年に1度の開催から2年に一度開催にしようとしています。世界でも最も多くの人を集め、注目されるスポーツイベントがビジネスのためにさらなる拡大を目指しているのです。

 地球規模で環境問題が叫ばれている中で、スポーツ界は様々な環境対策をうたいながらも、現実には脱炭素とは反対の方向に進み続けているのです。

ウクライナ侵攻とスポーツ

進まない世界のロシア包囲網

 ロシアのウクライナへの軍事侵攻が始まって間も無く1ヶ月が経とうとしています。世界中の停戦、沈静化の願いを裏切って、ロシア軍の侵攻は止まらず、日に日に残虐さが増しています。

 その間、アメリカ、欧州の自由主義国を中心にかつてないほどの経済制裁が行われ、日本もG7の一員としてその制裁に参加していますが、ロシアの侵攻を止めるには至ってはいません。経済制裁の影響でロシア経済が破綻し、プーチン大統領が今の職から追われることを目指していますが、今後も各国が期待するほどの効果が本当にあるのかは未知数です。

 その原因としては、巨大な国土を持ち天然資源も食料の生産量も豊富なロシアは、そもそもその気になれば自活が可能だということがあげられます。さらに、アメリカがロシア支援を非難している中国以外にも、自国経済優先でエネルギーを中心とした経済交流を止めようとしないドイツのような国もあります。

 日本も表面的には、国際社会と協調して経済封鎖や制裁を行なっているように見えますが、現在もサハリンなどでの共同事業から撤退をしていないどころか、米英の企業が撤退した穴を埋めるかのように事業の範囲を広げています。このような状況で、ロシアが本当の意味で経済的に孤立していないことがもう一つの理由です。

 日本の場合は、そうした懐柔策を続けているにも関わらず、北方四島の返還を含む平和条約締結への交渉中止をロシア側から通告されています。そもそも、現状のロシアを見る限り、交渉によって北方四島が返還されるなど想像もできないでしょう。これで自民党政権も見切りを付けてくれればよいのですが。

ロシアとの関係を絶たないIOC

 一方、スポーツ界の動きはどうでしょうか。

 国際サッカー連盟ヨーロッパサッカー連盟が、侵攻開始の僅か2日後と3日後に、ロシア国内での国際試合の中止や国名や国旗、国歌の使用禁止などの最初の制裁を発表すると、次々と他の競技団体もこれに追随しました。さらに3月1日にはこの二つのサッカー連盟は、ロシアとベラルーシの代表チームとクラブチームを国際試合から追放する決定を行いました。

 しかし、バッハ体制になって以降ロシアとの蜜月を噂されてきたIOCの動きは鈍いものでした。2月中にウクライナ侵攻によるオリンピック休戦決議違反への非難声明は行なったものの、サッカー連盟が2度目の制裁を発表した数時間後になって、ようやく各競技団体へロシア、ベラルーシの選手、役員の排除などの勧告を行いました。パラリンピック開幕のわずか3日前のこと。IOCとしては追い込まれての決断と発表だったはずです。

 さらに11日には公式サイト上でバッハ会長の名前で、ロシアへの非難声明を発表しました。

 かねてからロシアの富豪との親交が深く、母国ドイツではロシアの犬とまで揶揄されてきたバッハ会長も、周囲の圧力に屈指、ロシア離れを決意したかのように見えますが、これは誤りです。

 IOCはオリンピック以外の大会では自らが選手の参加を判断する立場ではないので、上記にあるように、あくまでも各競技団体にロシアとベラルーシの選手、役員の排除を「勧告」したに過ぎません。

 では、IOC自らができる処分を行なっているかというと実は何もしていないのです。ロシアオリピック委員会に制裁を課したわけでもなく、IOC内のロシア出身の理事や委員を処分したり、停戦に向けて行動をとるように要請したりしたという話も聞きません。つまり、各競技団体にはロシア制裁するように声をかけても、自らは何も行動をしていないのです。

 ロシアやロシア人富豪たちとの蜜月をこれからも維持するための妥協点として、調整済みなのではないでしょうか。

 きっと、戦闘が沈静化すれば、すぐにロシア選手の国際舞台復帰に向けて動き出すでしょう。その予防線としてバッハ会長は常に「アスリートや国民は戦争とは関係ない」と言い続けています。

 一般の国際社会と同様、スポーツ界にもお金のためにロシアとの関係を維持し、利益を得ようとする組織や人物はいるのです。

ロシア選手擁護が生む現実

 ロシアとベラルーシの代表チームとクラブチームを国際舞台からの排除する制裁をしている国際サッカー連盟のほか、世界陸上競技連盟、国際スケート連盟国際スキー連盟などは、この2カ国の選手個人の国際試合の出場を停止するなどの厳しい対応をしています。

 しかし、競技団体によってはそこまで厳しい対応をしない競技団体もあります。その一つが国際体操連盟でした。体操は長くロシアが強国であるがために、競技団体内でもロシアの発言力が強いことが想像されます。

 その判断が裏目に出ました。3月5日にドーハで行われていた種目別ワールドカップに出場していたロシアのイワン・クリアク選手は、3位に入った平行棒の表彰式に、胸にウクライナ侵攻のシンボルとなっている「Z」のマークの書いたウェアを着て登場しました。

 競技団体関係者は、そこまであからさまな示威行為をする選手が現れるとは想像していなかったのでしょう。きっと彼らの出場に力を注いだ関係者は頭を抱えたはずです。

 クリアク選手自身は、騒動の中で、機会があれば何度でも同じことをすると語っているそうです。

 その2日後に国際体操連盟も、全ての国際大会へのロシア、ベラルーシの選手の出場を停止しました。おそらく、対応に躊躇していた多くの競技団体も出場停止の判断に動いたはずです。

 もうひとつ、メジャーな競技団体でロシアとベラルーシの選手を出場停止にしていない団体に国際テニス連盟があります。国際テニス連盟と男女の選手協会は、すべての競技団体の中で最も選手の人権擁護に熱心なことで知られてます。今回、ロシアとベラルーシの選手の出場を認めているのも、こうした人権擁護の観点からの判断です。

 しかし、この国際テニス連盟の判断が裏目に出るかもしれません。反ロシアに最も厳しい姿勢を示すイギリス政府関係者は、6月にロンドンで開催されるウインブルドンにロシア人選手が出場する条件として、プーチン大統領の不支持を表明することを提案したというのです。

 もし、これが実施された場合には、ロシア人選手は極めて厳しい立場に立たされます。プーチン不支持を表明すれば、当然、少なくともプーチン体制の間はロシアへの帰国が難しくなるでしょうし、ロシア国内に家族がいればその安全も保証されない状態になるでしょう。逆に不支持を表明できず、この大会に出場しなければ、プーチン支持、ウクライナ侵攻賛成の立場だと非難されかねません。強制的に出場できない方が彼らにとってはずっと都合がいいはずです。

 現在、男子の世界ランキング2位はロシアのメドベージェフ選手です。

国や政府によって支えらるトップアスリートは国とは無関係か

 バッハ会長が語るように、国の政策とスポーツやアスリート個人とは無関係だと言う人は数多くいます。先に挙げたテニスの関係者も同様のようです。女子テニス協会(WTA)会長は「選手は罪のない犠牲者」と語っています。それは事実でしょうか。

 世界の多くの国々では国の施策としてスポーツ強化が行われてきました。国を代表するようなトップアスリートになればなるほど、国からの恩恵を受けています。ロシアのような国であれば、トップレベルの選手は、国が準備した環境の中で国のお金でトレーニングをし、生活をしているでしょう。そうしたことが多くの国で国家戦略となっているのです。

 なぜ国家がそうした支援をするかと言えば、アスリートたちが国の代表として国際舞台で活躍することが国威発揚に繋がり、また国際舞台でのその国の存在感に繋がるからです。アスリートたちの国際舞台での成功は、その政権の人気にも影響するかもしれません。そして、ロシアや中国のような独裁政権では、表彰台の真ん中に立つアスリートの姿と国のトップの姿をダブらせて見てる国民も少なくないはずです。

 多くの国でトップアスリートは、望むと望まざると政権のプロパガンダに協力し、その中心的な役割を果たしてきているのです。

 アスリート本人たちも当然それを自覚しているはずですし、そうした役割を果たすことを積極的に行なっているアスリートも少なくないはずです。子供の頃からそうした存在になることを目指しているかもしれません。

 トップアスリートが人々や子供たちに夢を与えることは、この現実と表裏一体です。

 

 昨年の東京オリンピックの競泳男子平泳ぎの100mと200mで金メダルを取ったロシアのエフゲニー・リロフ選手が、3月18日に行われたクルミア併合8周年のイベントに、他の複数のトップアスリート共に「Z」のマークを付けて登場したそうです。

 クルミア併合とは、今回のウクライナ侵攻と同様、ロシア軍がウクライナの領土であるクルミア半島に軍事侵攻し、一方的に自国領土とした事件です。

 リロフ選手のように東京オリンピックで金メダルを獲得して、プーチン大統領と握手をしたようなトップアスリートの中には、プーチン大統領を賞賛し、彼を支持をするアスリートは少なくないはずです。そして、今回のようにそのプロパガンダに積極的に協力しているのです。

 このような事実を見ても、政治とスポーツは無関係。アスリートは被害者だと言えるのでしょうか。

 国際水泳連盟は、ロシアとベラルーシの選手の個人での参加を容認している競技団体の一つですが、今後リロフ選手の処分を検討しているそうです。しかし、体操のリロフ選手のことを考えれば、やはり国際試合に出場させるべきではないという判断に動いても不思議はありません。水泳の国際試合のシーズンはまだ少し先なので、様子を見ている段階でしょう。

 

 元サッカー日本代表本田圭佑選手も、自身のSNSを通じて「政治とスポーツを一緒にしてはいけない」と、ロシア排除の動きに批判的な立場を表明しています。モスクワのクラブチームでプレーしていた彼には、ロシアやモスクワへの思い入れもあり、当然の反応かもしれません。

 しかし、モスクワのスタジアムで彼のプレーを応援をしていたロシアのサッカーファンたちが、武器を持ってウクライナに行き、ウクライナ国民を殺していると想像してみてください。それが現実に起こっているのです。スポーツと政治、戦争が無関係だとは決して言えないはずです。

スポーツはメッセージを発信できるのか

 特定の国のアスリートやチームを国際大会から排除することで、どんな効果が期待できるでしょう。

 一つは国威発揚の大切な機会が失われることです。スポーツシーンは、多くの国の国民が疑いもなく、自国の国旗を見つめ、国歌を聞き、時に歌う絶好の機会です。表彰式は、さらに国民としての誇りが加わるのです。

 アスリートたちが国際舞台に登場できなくなると、こうした国民が誇りを持って自国の国歌を聞き、国旗を見る機会が失われます。元々、そうした機会が少なかったスポーツが盛んではない国であれば、それほどの影響はないかもしれませんが、スポーツ大国として数多くの世界大会でメダルを獲得してきた国の場合には、少なからず影響があるはずです。

 もう一つは国民の中に芽生えるであろう違和感のような感情です。現在のロシアでは厳しい報道統制が行われていて、ウクライナ侵攻についての正しい情報を国民が知る方法は限られています。同様に国際的なスポーツの大会から排除されている理由も正しくは伝えられないでしょう。

 それでも、スポーツシーンの自国選手の活躍が伝えられないことに、国民は違和感を覚えるはずです。

 例えば、ロシアでも人気スポーツのサッカーでは、あるはずワールドカップ予選の情報が全く入って来ず、ロシア代表はワールドカップに出れるんだろうかという疑問を持ったまま、ワールドカップ本戦の時期を迎えることになるかもしれません。

 ワールドカップ予選に出場できないことを知った国民は、彼らにとってウクライナ侵攻が正義であろうがなかろうが、母国ヒーロー達がウクライナ侵攻のために、ワールドップの舞台に立つことができないことを知るのです。

 今回、スポーツ界の敏速なロシア包囲網が、ロシア批判の国際世論の短期間での形成に貢献しましたが、ロシア国内でも、徐々にではありますが、スポーツが発信するメッセージが、現状に満足できない世論を集約して、現状を変えようとする原動力になるかもしれません。

 一方で、スポーツはナショナリズムを喚起し、国威発揚の絶好のツールになり得ることを忘れてはいけません。

 1938年に行われたベルリンオリンピックでは、ヒットラー率いるナチスが、当時では空前と言える満場の巨大スタジアムで、あらん限りのプロパガンダの行いました。

 ナチスが主張していたドイツ人=アーリア人の卓越性を示すことを目的として開催されたこの大会で、そのプロパガンダのためにナチスによって考案された聖火リレーなどの様々な演出が、現在のオリンピックの基礎となっていることは、スポーツによる高揚とナショナリズムの高まりや排他主義が、深い結びつきを持っていることを示しているのです。

 スポーツの持つ諸刃の剣のどちらを輝かせるのかを政治家任せにするのではなく、アスリートら自身も考え、メッセージを発信する時が来ているのです。

北京パラリンピック雑感4〜パラスポーツにこそ多様な目的意識を〜

改めてパラリンピックとはどんな大会なのか?

 北京パラリンピックが始まるしばらく前、毎日新聞のサイトに次のような記事がアップされました。 

北京2022:「知的障害者もパラへ」 除外から20年超 「共生」願う選手 | 毎日新聞   

 毎日新聞の紙面にも掲載された記事のようですが、ようするにパラリンピックは共生をうたう障害者のための大会にも関わらず、知的障害者には門戸が閉ざされている、またはその門戸は狭いという内容の記事です。 

 元々は車椅子を使用しなくてはならない脊髄損傷のある人を対象としたスポーツ大会として始まったこの大会は、徐々にその対象を広げ、現在では四肢の欠損や麻痺をなどの肢体不自由、脳性麻痺視覚障害、知的障害のある障害者を対象としたスポーツ大会となっています。

 知的障害のある人が参加できるようになったのは、1998年の長野冬季大会からでしたが、続く2000年シドニー夏季大会のバスケットボール競技で、スペインチームが知的障害者に混じって健常者をプレーさせたことが発覚し、以降知的障害の参加は見送られていました。その後、夏季大会では2012年ロンドン大会から一部の競技で参加が認められていますが、冬季大会ではまだ参加が認められていません。

知的障害の参加が進まない4つの理由

 では、なぜパラリンピックは、知的障害を積極的に参加させて来なかったのでしょう。その理由は大きく言って4つあります。

 一つ目の理由は、やはり現実に不正があったからです。その不正が可能だったのは、他の障害と比較して、障害の有無、程度を客観的に判断することが難しいことが挙げられます。2012年ロンドン大会で一部の競技で参加が認められたのも、シドニー大会から10年を超える時間の中で、ある程度客観的に判断できる検査方法が確立したからです。

 二つ目の理由は一つ目の理由とも関連がありますが、障害の種類と程度と運動機能への関係がまだまだ客観的に判断できないことが挙げられます。

 パラリンピックでは、障害の種類や程度によって不公平にならないように細かくクラス分けが行われています。例えば陸上の100m走だけで、男女それぞれに11種目にクラス分けされています。その数だけ金メダルがあるのです。

 一方、先日行われていた冬季大会のスラロームなどのタイムレースでは、障害によるハンディキャップを時間に換算し実際のタイムから増減させることで、公平なレースを作っていました。

 しかし、知的障害の場合、障害の程度による運動への影響を具体的に判断するのがまだまだ難しいのが現実です。もしかすると障害が競技にとってプラスになる可能性も否定できないでしょう。

スペシャルオリンピックスパラリンピック以上の規模

 三つ目の理由は知的障害、発達障害のある人のための世界レベルのスポーツ大会、スペシャルオリンピックスの存在です。

 1968年にアメリカで始まったこの大会は、1975年以降オリンピック、パラリンピック同様に2年ごとに夏季大会と冬季大会が交互に世界各地で開催されています。最も最近2019年にUAEで開催された夏季大会には、世界190の国と地域から約7000人以上が参加しています。冬季大会では2017年にオーストリアで行われた大会に107の国と地域から2700人のアスリートが参加しています。つまり、パラリンピック以上の規模の知的障害、発達障害のための世界的なスポーツ大会が行われているのです。

スペシャルオリンピックスのデータは、スペシャルオリンピックス日本の公式サイトによります。

スペシャルオリンピックス日本 公式サイト|Special Olympics Nippon – Official Website

 なお、パラリンピックには聴覚障害のある人は参加できませんが、聴覚障害者にもデフリンピックという世界大会が行われています。こちらの歴史はパラリンピックよりもはるかに古く1924年から始まり、近年はやはり2年ごとに夏季と冬季が行われていて、夏季大会には3000人前後が参加しているようです。

知的障害にこそ多様性の真価がある

 4つ目の理由は、そのスペシャルオリンピックスパラリンピックの理念、目指すものの違いです。

 知的障害や重度の発達障害の子供たちとスポーツをしていると驚かされることがあります。彼等の中にはかけっこで1番になっても、サッカーのような競技でゴールを決めても全く喜ばない子供がいます。私たちが当たり前だと思っている、ゴールを決めたり、かけっこで1番になることが、彼らにとっては必ずしも喜びではないのです。そうしたことが植え付けられた固定概念だということを知らされます。

 ボール遊びをすれば周囲の子供よりずっと上手にできる子が、ちょっと目を離すとグランドの端にしゃがみ込んで、巣を出入りするアリの様子を目を輝かせて見ていたりします。彼らの興味のバリエーションは、まさに多様性そのもので、その重要性を実感できるのです。

 スペシャルオリンピックスでは、1位から3位までのメダル表彰以外に全ての参加者にリボンの贈呈が行われます。かつては入賞者全員に同じメダルが配られていたそうですが、現在は金銀銅に変わっています。

 パラリンピックでは、国や地域で選ばれた選手が競技力を競い金メダルを目指しますが、スペシャルオリンピックスではみんなで楽しむことが目的なのです。同じように障害者を対象としたスポーツ大会でありながら、全く違う理念の大会なのです。

 だからこそ、毎日新聞の記事で紹介されていた山田雄太選手のように、パラリンピックで世界一を目指したいという選手がいても不思議はありません。

 一方で、一番になることだけが偉いのではない、それを目標にする必要がないという価値観の人が多い中で、パラリンピックのような大会を目指す人はどうしても少数派になり、対応が後回しになるのは致し方がないと言えるでしょう。

オリンピックは障害があっても出場できる

 忘れてはいけないのは、オリンピックは競技のレベルさえあれば、障害があっても参加できるということです。もちろん、障害の種類も問われません。パラリンピックは、対象となる障害が恒常的にあることが証明できなければ参加できませんが、オリンピックは誰でも参加できるのです。但し、義足など補助具を競技で使う場合には、その補助具が競技力を高めていないことを証明する必要がありますし、第三者のサポートを受けることもできません。

 近年のオリンピックでは、四肢などに障害のあるオリンピアンを見ることができます。私たちが気が付いていないだけで、もしかすると多くの知的障害のあるアスリートが参加しているのかもしれません。

 ですから、アスリート本人も関係者も、より高いレベルで競い合うことを目指すのであれば、パラリンピックではなく、オリンピックを目指すことができれば幸せなのかもしれません。

オリンピック、パラリンピックだけではない

 今回の記事を読むと、オリンピックに出場できない剣道の選手がおかれた状況に似ているようも思えます。剣道で日本一になった選手がオリンピックに出場できないのは、剣道やその選手がオリンピックから排除されているからではありません。

 剣道の日本国内の競技人口は大学生を中心に柔道や空手よりもはるかに多く、海外でも柔道ほどではありませんが、多くの競技者がいます。

 それでも剣道がオリンピック競技にならないのは、剣道の競技関係者が剣道は武道であると考え、オリンピックスポーツになるとその根本が失われると考えているからです。オリンピックとは別の価値観を持ち、オリンピックへの参加を望んでいないからです。

 ベースボール発祥の国アメリカでは、自国の野球選手が、積極的にオリンピックに参加することを望んでいる人は少ないでしょう。MLBの現役選手はMLB側の判断で原則オリンピックには参加できませんが、少なくともメジャーリーガーでそれに強く不満を言う人もいません。オリンピックで日本が優勝しても、アメリカチームにメジャーリーガーがいないことを非難する人はいないでしょう。国内リーグの頂点を争う試合を自らワールドシリーズと呼ぶ彼らにとっては、アメリカナンバー1がワールドチャンピオンなのです。

 それ以上にオリンピックに興味がないのは、アメリカンフットボールです。プロリーグNFLと大学リーグは圧倒的な人気と集客力を持ち、世界のスポーツの頂点をヨーロッパサッカーと二分する存在です。しかし、彼らはオリンピックに全く興味もありませんし、世界的な普及活動もほとんど手がけていません。アメリカ人のためのアメリカ人のスポーツなのです。

 かつて日本人は、アスリートの誰もが望む最高の舞台がオリンピックだと信じてきましたが、サッカーではそうでないことが多くの日本人にも理解されるようになってきました。

 オリンピック偏重の強い日本ですが、世界のスポーツを見回すと色々な価値観があることをもっと知るべきでしょう。

 そして、多様性への理解が重要な障害者スポーツの場合は、さらに様々な価値観を持ってスポーツに取り組み、またスポーツを楽しみ、周囲も様々価値観の上で支援をする体制を整える必要があるでしょう。

 そういう意味で言えば、新聞などのメディアは、個人個人の希望、夢を取り上げるだけでなく、客観的俯瞰的に多様な情報も加えて、正しい方向に世論を導いていって欲しいと思います。

 

北京パラリンピック雑感3〜驚愕の閉会式〜

閉会式は1時間足らずで終わった

 3月13日夜、北京パラリンピックの閉会式が行われました。それは驚愕とも言えるほどの驚きに満ちたものでした。

 驚きの一つ目は、その長さです。総合チャンネルとEテレで21時から中継したNHKはその僅か55分後に中継を終了していました。事前の番組枠は23時までの2時間。直後の番組こそ埋めましたが、ライブの番組表では、22時30分からの30分間の枠は10分以上に渡って空白のままでした。いかに想定していなかったほど短い時間で終わったかを示しています。

 恒例だった選手入場を旗手だけにしたことが大きいですが、その他の部分でも極めてコンパクトに収められていました。

 今回のパラリンピックの開会式でも、近年恒例だった2時間30分から3時間程度だった長さから2時間を切る長さに集約されていました。さらに振り返れば、オリンピックの開会式、閉会式もこれまでの大会と比較すれば、従来に比べて時間的にかなりコンパクトだったの印象です。

 オリンピックの夏季大会ではありますが、2012年ロンドン大会の開会式でヘリコプターから映画007の主演俳優が会場に降り立ったり、閉会式ではイギリスの世界的なミュージシャンがライブを行うなど演出が行われて、いずれも3時間を遥かに超えるイベントになりましたが、本当にそうしたことがスポーツイベントに必要なのかは、当時から疑問視されてきました。

 昨年の東京大会では、コロナ禍であることや、コロナ対策も含めて予算が膨張したことから、組織委員会は開会式、閉会式の時間も含めたコンパクト化をIOCとIPCに提案しましたが、いずれも拒否され、演出面だけのコンパクト化に止まっています。

 半年後の北京大会でこれが実現できた理由は、東京オリンピックの開会式、閉会式のアメリカの視聴率が驚くほど低く、そもそもアメリカ人にとって地球の裏側で行われる東洋の開会式、閉会式などに関心を持っていないことにIOCが気づいたからなのか、中国の持つ政治力、経済力と日本のそれとの違いから来るものなのか。

 いずれにせよ、華美な開会式、閉会式はスポーツイベントには無用なもので、これからもこの方向性が継続されることが望ましいはずです。

中国を賞賛するIPC会長

 もう一つの驚きは国際パラリンピック委員会(IPC)パーソンズ会長の挨拶の内容です。先に書いたように全てがコンパクト化された閉会式にあって、最も重要かつ注目されたイベントがパーソンズ会長のあいさつだったはずです。

 開会式ではその挨拶の時間の多くを平和の重要性にあて、名指しはしないもののロシアのウクライナ侵攻を非難する内容でしたが、閉会式の挨拶は一変しました。まず、戦争や平和への具体的な言及は一言もなく、その表現は極めて抽象的でした。そして、彼のスピーチの時間の多くは中国への賞賛に使われたのです。さらに、この大会が今後の冬季パラリンピックのスタンダードになるとまで言い切ったのです。

 開会式が行われた10日前から、ロシアのウクライナ侵攻の状況は悪化の一途しているにも関わらず、平和に関する具体的なコメントはなぜ消えてしまったのでしょうか。彼はこの大会がパラリンピックのスタンダードになると語っていますが、コロナ禍で事前大会が行うことができない中で、開催国の選手が極めて有利なコースセッティングに多くの批判の声が上がっていたことを無視しての発言と言えるでしょう。彼は「違いを乗り越え、一つになれた」と賞賛していましたが、兼ねてから西側諸国から批判のあった、新疆ウイグル自治区チベット自治区での人権弾圧や香港の状況に改善があったわけではありません。

 ではなぜ、彼は徹底的な中国礼賛の姿勢を見せたのでしょう。その一つの可能性はオリンピック同様に中国の経済力と将来性にひれ伏した。そしてもう一つの可能性は、開会式でウクライナ侵攻を批判したことによって、ロシアと同調する中国当局による身柄拘束などの自らの身にリスクを感じた。または具体的な警告があった。そのいずれかが想像されます。

 11日に国際オリンピック委員会とバッハ会長が、公式サイトでロシア批判のコメントを発表し、その姿勢を明らかにしたことで、パーソンズ会長が閉会式のあいさつでこれに沿ったメッセージを発することを危惧した中国政府が、パーソンズ会長に圧力をかけた可能性もあります。

 いずれの理由があったとしても、彼の閉会式のメッセージは、多様性と持続可能性を尊重すべきパラリンピックのトップに相応しいとは言えない内容でした。

NHKのコメントの違和感とウクライナ選手団のリスク

 閉会式の中継をしたNHKのアナウンサーのコメントの中で一つ違和感がありました。

 中国のスタッフが製作しているであろう国際映像の中継の映像では、ウクライナの旗手や国旗を出来るだけ映さないようにする作為を感じられましたが、NHKのアナウンサーのコメントでは逆にウクライナ選手の活躍を積極的に取り上げていました。しかしその中で、ウクライナ選手の活躍が試合会場で特に賞賛されたというコメントがありましたが、これは明らかな誤りでしょう。

 選手村などで海外の情報を得ることができる他国の選手やスタッフは、ウクライナ情勢を知っていますが、招待でスタンドにいる中国国民は中国政府の情報統制でロシアのウクライナ侵攻の正しい情報を知りません。その中で彼らが特にウクライナ選手の活躍を賞賛したり、彼らを応援する理由がありません。

 たとえスポーツの1シーンだとしても、こうした加工された情報が、いずれは現在のロシアでのプーチン賞賛のような状況を作り出すということを、この際、メディア関係者は肝に命じておくべきです。

 最後に、この大会で開催国中国に次ぐメダルを獲得する活躍を見せたウクライナ選手とスタッフの今後の安全に注目する必要があります。

 無事に中国を出国し、ウクライナに帰国するかもしくは安全が保証される国に移動できるでしょうか。最悪の場合は、出国前に中国当局に身柄を拘束され、ロシアに強制的に移送される可能性さえあります。強権政治がまかり通る国ではそうしたことは当たり前のことで、スケープゴートとしてはパラリンピック選手はうってつけの存在かもしれません。

 会長が中国政府を賞賛したIPCには、そうした事態を防ぐ手立ては持っていないでしょう。

北京パラリンピック雑感2〜冬季大会に象徴されるパラリンピックの課題〜

人類の二大悲劇の中での開催

 3月4日から10日間の日程で開催されてきた北京パラリンピックも最終日となりました。 1948年、第二次世界大戦傷痍軍人リハビリテーションのための大会としてロンドンで始められた大会が、1960年ローマ大会以降、パラリンピックとして開催されるようになり、今世紀になってからは、現在のように大きく言えばオリンピックとひとつの大会として開催されるようになりました。

 半世紀を超える歴史の中で常に発展を続け、障害者の地位向上や障害への理解の広がりにも貢献してきたこの大会にとって、今回の大会は最大の苦難と直面した開催となったのかもしれません。感染症の流行と戦争という、人類の歴史に何度となく立ちはだかってきた悲劇に見舞われた大会となったからです。

 多く人のサポートを必要とするパラスポーツにとっては、感染症はまさに天敵と言えるでしょう。一般のアスリート以上に厳しい中での準備が強いられ、出場を断念せざるを得ないトップアスリートもいたことでしょう。

 一方、ウインタースポーツ大国ロシアのやはり強国ウクライナへの軍事侵攻は、冬季大会にとってのダメージは計り知れず、何より日々告げられる戦火の報道が人々の心に暗い影を落としています。オリンピックやパラリンピックのような巨大スポーツイベントは平和の中で行われてこそ、その真価を発揮されるのです。

盛り上がりに欠ける北京大会

 それにしても、今回のパラリンピックは盛り上がりに欠けるなあと感じているのは、筆者だけでしょうか。日本で日々のニュースで取り上げられるのは、スキーの女王村岡桃佳選手の金三つを含む4つのメダルの獲得くらいでしょう。それに加えて川除大輝選手の金メダルの活躍ぐらいで、他の競技の報道はほとんどありません。

 ウクライナ情勢にお祭りムードを削がれた上に、その影響でニュースなどでも扱う時間が極端に短くなっていることも大きいはずです。中継をするNHKも含めて、東京大会が決まる以前に戻ったかのような印象です。やはり熱しやすく冷めやすい日本人にとっては、東京パラリンピックまでの数年は徒花だったのかもしれません。

 しかし、観る側にとって盛り上がりに乏しい根本的な理由には、総合スポーツの世界大会としては、競技数も参加人数も少な過ぎることに原因があるのではないでしょうか。今大会で行われている競技は6つで、参加選手は大国ロシアの不在もあって600人台になっています。サッカーやバスケットボール、陸上競技など単独の競技でもこれを上回る参加選手数の世界大会がたくさんあります。

 もちろん、ウインタースポーツの大会の参加国や参加人数が少ない理由には、競技ができるほど雪が積もる国が少なく、そうした国々ではスケートリンクを作るにもコストがかかるために、競技環境が整備できないというオリンピックと共通した理由もあります。

 しかし、その一方で、パラリンピック特有の理由。夏季競技、冬季競技に共通するパラリンピックが抱える、二つの大きな課題が横たわっているのです。

パラリンピックが抱える課題〜国と国との格差

 一つ目は、国と国、あるいは地域の間の格差です。

 障害のある人たちが競技を続け、世界トップを目指していくには多くのサポートが必要です。競技や種目によっては、車椅子などパラスポーツ独特の機材の面でもより高いレベルが求められ、その結果、多額の費用がかかる場合も少なくないのです。

 そのような状況にあるパラスポーツでは、個人個人やチームに、そうした支援を行い、トップレベルの競技環境が整備できる国が限られているのです。アメリカや日本のように企業や個人中心に支援が行われている国々でも、ロシアや中国のように国家レベルを中心に支援が行われてる国々でも、結局はその国の持っている経済力が左右することになります。

 もちろん、オリンピックでも同じことが言えるのですが、より多くの支援を必要とするパラリンピックでは、その傾向が強くなります。その結果、パラリンピックでは一部の国のメダルの寡占化が進んでいるのです。

 特に中国は2008年の夏季大会、ロシアは2014年の冬季大会をきっかけに国家レベルの支援体制を整えて、メダルを獲得しています。

 2008年北京夏季大会の中国は、全473の金メダルの内89個を、1431個の全メダルの内211のメダルを獲得しています。

 2014年ソチ冬季大会のロシアは、全72個の金メダルの内30個を、216個の全メダルの内80個のメダルを獲得しています。

 いずれもダントツのトップです。

 今回の北京冬季大会では、78個の金メダルと234個の全メダルの内、中国が18個の金メダル、全メダルでは61個を獲得して、2位のウクライナの金メダル11個、全メダルで29個に大差をつけています。大国ロシアが参加していない影響は大きいですが、逆を言えば、ロシアが参加していた場合には、この2カ国だけでメダルを独占した可能性が高いでしょう。

 個人のレベルで見れば、参加することだけでも価値のあるオリンピックやパラリンピックですが、国のレベルや企業による支援という点で見た時には、メダル争いができない状況では支援が控えられることに繋がります。特に手厚い支援が必要な割には注目度が低いパラリンピックではこの傾向が強いはずです。それによって、さらに一部の国のメダルの寡占化が進んでいくことになるのです。

パラリンピックが抱える課題〜トップアスリートと一般との格差

 もう一つの格差は、同じ国の中でもパラリンピックに出場できるようなトップアスリートと、一般的なパラアスリートやすべての障害者がスポーツをできる環境との間に生まれている格差です。パラリンピックの競技レベルが上がれば上がるほど、この傾向は強くなります。競技レベルがあがれば、観るスポーツとしての注目はあがるはずですが、するスポーツとしては環境整備に負担がかかり、格差が広がる皮肉な状況が生まれるのです。

 日本でも、東京大会に向けてパラリンピック候補選手に対する支援体制は整い、それまでに比べて手厚い支援が行われました。トップレベルのパラアスリートの雇用なども進んだようです。しかし、候補以外のアスリートに対する支援の体制、競技環境の整備は進んだでしょうか。

 体験型など多くのイベントが行われて、理解が広がり、門戸も広がったかもしれませんが、具体的なサポートの継続性については、まだまだこれからなはずです。

 こうした状況は、日本だけでなく、一部の福祉国家を除いて、世界共通しているです。特に冬季競技の競技は、夏季競技に比べて手厚いサポートが必要なだけに、そうした傾向はより強く、顕著に表れているのです。

 この二つの課題に関して、国際パラリンピック委員会日本障害者スポーツ協会も、パラスポーツ普及の障害となっている重要な課題として捉えています。しかし、いずれも、競技団体などだけでなく、国全体、社会全体で取り組んで行かなければ解決が難しい課題なのです。

北京パラリンピック雑感1〜戦争の中でパラリンピック〜

ロシアの暴挙で注目されたパラリンピックの存在

 気がつくと北京冬季パラリンピックが始まっていました。世界的な感染症の拡大と戦争という、人類が繰り返し直面して来た脅威の中での開催です。おそらく、この二つの脅威の中で行われる初めての世界的なスポーツ大会なのではないでしょうか。

 

 ロシアのウクライナ侵攻によって、世界の視線がそちらに集まる中で、パラリンピックに向ける視線が少なくなったように思う反面、オリンピック開会1週間前からパラリンピック終了1週間後までを世界的な休戦期間とする「オリンピック休戦」の国連決議の違反であることなどから、むしろパラリンピックの存在が世界的に認識されることになったかもしれません。

 サッカーなどの多くの競技団体がロシアの選手、チームを大会、公式戦から排除の動きをする中で、この大会がロシアの選手の出場を認めるかどうかにも注目が集まりました。国際パラリンピック委員会(IPC)は、開会式2日前に一旦はロシアの出場を認めたものの、24時間も経たずにこれを覆して、ロシア選手、役員の出場を停止し、同じく停止されたベラルーシの選手、役員とともに選手村から退去することを求めました。

 ロシア選手の出場に反対し、出場を取りやめると宣言する国があまりに多くなり大会の開催が危ぶまれたことと、選手村が危険な状況になったことがその理由でした。

 本来、オリンピックやパラリンピックで対戦拒否などは許されず厳しいペナルティの対象となるはずですが、それどころではなかったのでしょう。

開会式でのIPC会長の平和の主張と中国の対応

 4日に行われた開会式では、IPCのパーソンズ会長は、自らの挨拶の中で多くの時間を平和の重要性に割きました。これも異例のことと言えるでしょう。

 一方、その挨拶の一部を、中国の中継では北京語に訳さなかったことが注目されました。中国では、こうした対応のために、時間的に遅らせて放送するディレイ放送が珍しくなく、また日本の中継放送を見ていると、同時通訳には見せてはいますが、事前に配布された原稿を元に通訳をしている様子が伺えますので、こうしたことは十分に可能だったでしょう。

 中国では、ロシアのウクライナ侵攻自体は全くと言って報道されていないそうです。平昌大会では2番目に多くのメダルを獲得した大国ロシアの選手の不在は、どのように伝えられているのでしょうか。

 こうした報道を聞くと、一方的な侵攻を行なったロシアと明確に同調する中国の姿勢が明らかになっています。それはまた、オリンピック憲章がかかげるスポーツを通した平和の理念に反する国で、オリンピック、パラリンピックが行われていることを示しているのです。

 このような状況の中で、新中国、親ロシアの姿勢を続けてきた国際オリンピック委員会のバッハ会長は、表舞台に姿を見せず沈黙を守っています。東京大会では、パラリンピックの開会式にも姿があったと記憶していますが、パラリンピックではどうだったのでしょう。

平和の理念と選手の参加する権利の天秤

 ロシアオリンピック委員会は、ロシアの選手を排除したことが不当だとして、スポーツ仲裁裁判所(CAS)に異議を申し立てるとしていましたが、3月5日に申し立てを行わないことを表明しました。

 法的助言に従ったことを理由にしていますが、大会開催を維持することと選手村の安全を理由に行われた排除の判断に、覆ることは難しいと判断したのか、オリンピックから比べればはるかに注目度が低く、10日間で終わってしまうこの大会にこだわっている必要はないと判断したのかもしれません。

 ロシアのチームと代表を、公式戦から排除することを決めた国際サッカー連盟ヨーロッパサッカー連盟に対しては、ロシアサッカー連合がすでに提訴してることと比較するとおのずと理由は見えてきます。

 一方、CASは、胸をなで下ろしているでしょう。もし申し立てが行われていれば、フィギュアスケートのワリエワ選手のドーピング問題に続いて、難しい判断を迫られることになったからです。CASはそもそもアスリート個人の権利を守るために作られた仲裁機関です。競技全体や大会全体のメリットなど全体論よりも、選手の権利、立場を優先した判断をすることが求められているのです。

 今回の問題では、大会の成立と全体的な安全に加えて、平和の理念とアスリートのパラリンピックに参加する権利を天秤にかけるという究極の判断をしなければなりませんでした。オリンピック憲章における二つの根本を比較することにもなります。

 また、今度選手側の主張を受け入れてしまったなら、ロシア擁護、平和軽視の誹りは免れなかったはずです。

パラリンピアンの強い意志とプライド

 大会では、ウクライナの選手が初日から金メダルをとるなどの活躍を見せています。日本のニュースでは、日本選手の金メダルよりもウクライナ選手の活躍が先に紹介されるなど、皮肉な結果となっています。おそらく、他国でも同様のことが起こっているのでしょう。

 パラアスリートの多くは、競技を始めるにも、トップレベルを目指して競技を続けるにも、強い決意や意志を持つ必要があります。一般のアスリートにはない障害を乗り終える必要があるからです。ですから、スポーツへの取り組みも含めて自らのアイデンティティへの意識を持っています。また、自分の競技する環境を守り、意志を伝えるために、そのアイデンティティへのこだわりや強い意志を他者に発信することもいといません。これは、筆者の取材経験の中でずっと感じてきたことです。

 今回パラリンピックからロシア、ベラルーシの選手たちが排除された過程では、そうした彼らの強い姿勢、競技に望むプライドが影響したことは間違い無いでしょう。もしオリンピックで同じことがあったとしても、そのままロシア、ベラルーシの選手たちが参加し、大会が行われた可能性は高いと思います。

 高い誇りを持って競技に臨む彼らの姿が、競技だけに注目されて伝えられる状況であれば良かったのにと思います

スポーツと戦争〜ウクライナ侵攻を考える〜

■2022年3月1日

追い込まれたIOCのロシアへの制裁

 ロシアのウクライナ侵攻は世界に衝撃を与えました。これに対してスポーツ界でもロシアの軍事侵攻に反対して様々な対応が行われていますが、日本時間の3月1日に大きな動きがありました。国際オリンピック委員会(IOC)が全競技団体に向けて、ロシアとその軍事侵攻に協力しているベラルーシの選手、役員の出場禁止を勧告したのです。あくまでも勧告ですから最終決定は各競技団体に委ねられますが、3月4日に開幕を控えた北京パラリンピックもその対象となります。

 パラリンピックを主催する国際パラリンピック委員会(IPC)は、IOCをオリンピズムの精神に同調し、ロシアのオリンピック休戦の国連決議違反についても、IOCと一緒に厳しい姿勢を見せているので、パラリンピックでも厳しい対応が行われることが予想されます。

 

 おそらく、こうしたIOCが厳しい判断をした背景にはサッカー界の敏速かつ厳しい対応が影響したはずです。

 ヨーロッパサッカー連盟は、24日の軍事侵攻からわずか2日後の26日に、5月にロシア国内での開催が予定されていたチャンピオンズリーグの決勝戦の会場を、フランス国内に変更することを発表しました。さらに翌27日には国際サッカー連盟が、ロシア国内での代表選の開催の中止と試合時の国名、国旗と国歌の使用を禁止したのです。この処分では、甘過ぎるという声を数多く上がっているようですが、わずか2日や3日でここまでの決定ができるスピード感は、他の競技団体にはないでしょう。

 世界的に見れば、オリンピックやIOC以上に影響力を持つサッカー界の素早い判断は、他の競技団体のアクションのハードルを一気に下げ、各競技団体が次々と国際大会の中止、開催地の変更などを発表しました。同時に、同様の対応ができない競技団体や組織には、西側を中心とした国際世論からの厳しい批判に晒されることを覚悟しなければならない状況になっています。

 これまでロシアに対して甘い対応をしてきたIOCは、国連の休戦決議に違反したロシアの軍事侵攻に対して侵攻初日に行った非難決議に留めて、厳しい制裁処置は行なわないままパラリンピック開始を待とうとしたのでしょう。それであれば、プーチンにも顔が立ちますし、今回のロシアの軍事侵攻に同調する開催国・中国の立場も保つことができるのです。

 一方でパラリンピックを主催するIPCはこれまでもロシアに対して厳しい態度をとってきました。リオ大会では、IOCが国家レベルでのドーピングを認めながらも、ロシア選手の出場の可否を各競技団体に委ねたのに対して、IPCは全選手の出場を禁止しています。IPCは今回早急に態度を明らかにするようにIOCに迫ったはずです。

 そして、IOCが今回の対応を発表した半日前に、国際サッカー連盟ヨーロッパサッカー連盟はさらに厳しい処分を発表しています。ロシアのクラブチームと代表チームのすべての大会の出場を停止することを公式サイト上で発表したのです。

 影響力でも経済面でも世界で最も影響力を持つ競技団体の問答無用の対応に、IOCと親ロシアとして知られるバッハ会長は追い込まれたはずです。最低でもサッカーと同様の対応をしなければ、反戦に対して後ろ向きだと評価され、100年以上に渡って掲げてきたスポーツを通した平和思想が、虚実だったと自ら表明することになってしまいます。おそらくアメリカ、ヨーロッパの企業を中心にスポンサーからも突き上げがあったはずです。

 もしかすると、EUの中で最も親ロシアだったバッハ会長の母国ドイツが、今年に入ってから対ロシア戦に備えて軍事予算を大幅に増やすなど、ロシアに対する態度を激変させていることも関係があるかもしれません。これから20年をかけてフランスと共同開発するはずだった次期戦闘機も、アメリカの最新鋭機F35を即時購入することに切り替えています。

 ヨーロッパの人々にとって、ロシアとの戦争はすでに現実のものになっているのです。ウクライナを戦場にロシアとまみえることはないとしても、ロシアがいつ自国に攻め入って来てもおかしくない。今回のウクライナ侵攻は、ヨーロッパの人々にそういうモードにさせてしまったのです。IOCもこうした空気を汲み取るしかなかったのでしょう。

 こうして、IOCはロシアの軍事侵攻開始から1週間。もはやギリギリのタイミングでようやく、具体的な対応を表明したのです。

 

 F1(フォーミュラー1)の主催者である国際自動車連盟が、9月に開催予定だったロシアグランプリの開催に否定的な姿勢を見せるなど、影響は戦闘の期間に関わらず長期的なものになる可能性があります。世界的なモーターレースを主催する国際自動車連盟はオリンピックの競技団体ではありませんが、ヨーロッパを中心に、IOC以上に国際的に影響力を持つ競技団体です。

日本政府の厳しい対応とサッカー協会の空気が読めない対応

 岸田総理は日本政府のロシアへの制裁を進めていく中で、何度も「G7と連携して」「国際社会の要求に応えて」などという言葉を使っています。これは、自民党政権内にロシアに対する厳しい措置に反対する勢力がいることを意味しています。

 北方四島の返還という第二次世界大戦から念願を叶えてロシアとの平和条約を締結するという自民党のいわば使命が、岸田政権の強硬な姿勢によって遠のくことは間違いなく、今の段階でも駐日ロシア大使は日本政府に恫喝に近い言葉を投げつけています。

 親ロシア派の自民党幹部は火消しに奔走していたと思いますが、岸田総理が28日にG7など西側諸国とロシアの国際金融システムからの締め出しと日銀の取引停止、プーチン大統領の個人資産の凍結を発表したことで、両国の関係は後戻りができないところまで来ているはずです。

 それは長年平和交渉という名目で、ロシアに言いなりになって交渉を続けてきた親ロシア派への決別宣言であり、また、長く明確な意思表示をしてこなかった中国に対しても、多くの犠牲を払ってでも力による現状の変更を認めないという強いメッセージになったはずです。

 サハリンで続けられている日露共同による開発事業も早晩、ロシア側から中止が告げられることだと思います。

 

 こうした中で、非常に不用意な発言をしてしまった国内競技団体のトップがいます。日本サッカー協会田嶋幸三会長です。彼は28日に国際サッカー連盟が追加制裁を発表する数時間前に、記者団の質問に応えて、現状のサッカー連盟の制裁は「十分重いと思う」と今以上の制裁の必要性を否定し、昨年末に締結したばかりのロシアサッカー連合とのパートナーシップについても解消など見直しの必要はないと明言したのです。ロシアサッカー連合の会長は、ロシアの世界最大の天然ガス会社ガスプロムの社長です。

 サッカー協会幹部は、自民党との幹部との結びつきが強く、自民党の顔色を伺っての発言とも取れなくはないですが、世界の状況を見ると極めて不用意な発言だったと言えるでしょう。

 彼がこのコメントを出した時点での国際サッカー連盟の対応は、ロシアチームのロシア国内での主催試合の停止と、国名、国旗、国歌の使用禁止でした。これに対して、ポーランドスウェーデンなど、ワールドカップ予選でロシアと直接対戦する国を中心に、多くの国々が制裁の強化を求めていた最中だったのです。

 また、ドイツのブンデスリーガでは、シャルケがメインスポンサーであるロシア系企業の胸スポンサーのロゴを外して試合に望んでいます。ヨーロッパのサッカーチームの中には、ロシア系の富豪や企業がオーナーになっているチームがいくつもあり、今後はそうしたチームへ各国のサッカー協会やリーグが厳しい対応をすることになるはずです。

 そうした状況にも関わらず、ロシアの組織との提携関係に問題ないと言ってしまったことは、ロシアの軍事行動を是認すると思われても仕方がないのです。

 平和と人命重視という人類恒久の願いの実現に世界のスポーツ界、中でもサッカーが先陣を切って突き進んでいる時に、そうした空気を読めず、重大さを理解できないトップであることで、この組織は窮地に陥るかもしれません。 

スポーツが空気を変える

 スポーツは、これまで戦争を抑制することは出来ませんでした。今回もIOCをはじめ多くの競技団体が、ロシアの侵略にNOを突きつけ、具体的な行動に出ていますが、これによってプーチン大統領が翻意し、軍を撤退することはないでしょう。

 しかし、空気の大きな変化を作り出すことはできるかもしれません。

 

 ウクライナはボクシングの重量級で多くの世界チャンピオンを送り出してきたボクシング大国です。その歴代の世界チャンピオンたちが、次々と防衛隊に入って母国のために銃を取っているそうです。母国の英雄の参戦に、ウクライナ軍の士気はあがり、兵士たちは勇気付けられているはずです。

 一方、ウクライナの英雄は、平時であればロシア人にとってもヒーローであるはずです。ロシアの前線の兵士にそうした情報がもたらされるかどうかはわかりませんが、もし、若い兵士たちがそれを知った時に受ける衝撃は少なくないはずです。そこから生まれた空気の変化は、ロシア軍にとって厄介なものになるはずです。

 

 国際世論は、ロシア支援派がうかつに発言できない状況になっています。最も近い立場であるはずの中国も、沈黙せざるを得ない状況でしょう。国連の非難決議の採択で、ロシアと一緒に拒否権を行使するのが精一杯です。政治だけでなく、スポーツ界がいち早く反戦、反ロシアに動いたことで一気に国際世論が醸成されたからです。ロシアとは、今までとは同じ関係ではいられないという政治的なメッセージを、スポーツ界が実践したからです。

 また、ロシアへの経済制裁で、エネルギー危機に直面し、その影響が一般国民の生活を直撃するであろう西欧諸国の政府にとっては、国民に人気のスポーツが明確に同じ方向を示してくれることは支援になるはずです。

 発動された世界的な経済封鎖によるロシア包囲網の狙いは、ルーブル通貨危機と物資の不足などによるインフレで、ロシア国民にプーチン離れを引き起こすことにあります。

 そして、スポーツ界が作っている国際世論=空気は、ウクライナ国民を勇気付けると同時に、ロシア国民には、今ロシアが直面している危機がどうしてもたらされているのか、世界の中でロシアの行動が正しいのかということを示すことに繋がるはずです。

 こうした空気がロシア国民やロシア軍に充満することによって、プーチン大統領が追い詰められ、彼に翻意を求めることができるかもしれません。

 いずれにしても、反ロシア、反戦争の波は始まったばかりです。今後も、世界のスポーツ界が一丸となって、平和の実現を目指さなければなりません。そして、日本のスポーツ団体もこれに遅れをとることは許されません。

 日本オリンピック委員会も、1日になってようやく、山下泰裕会長が取材に答える形で、ロシアのウクライナ侵攻を非難し、IOCや他の国際的な競技団体と同調していく姿勢を明らかにしました。

 

3月3日加筆

3月2日、国際パラリンピック委員会(IPC)は、ロシアとベラルーシの選手、役員を中立の立場での参加を認める決定をしました。

IPCは、他の国の選手、役員に理解を求めるコメントを出していますが、ウクライナを中心に対戦拒否、出場辞退者が出るかもしれません。

3月3日再加筆

 3月3日、国際パラリンピック委員会(IPC)は、前日の決定を覆して、北京パラリンピックから、ロシアとベラルーシの選手、役員を大会から排除する決定をしました。

 発表したパーソンズ会長は、選手村の状況は手に負えなくなっていると語っています。ロシアとベラルーシの選手やスタッフと他の国々の選手、スタッフの対立が、かなり深刻な状況になり安全性を優先しなければ状況になっているようでした。また、ロシアの選手が出場する場合は出場を辞退するという申し出が多くの国からあり、大会の開催すら危ぶまれるほどだと発言しています。

 前日の発表は、危機感が不足していたと言わざるをえません。また、パラリンピアンは、オリンピアンと比較しても、自らのアイデンティティに対するこだわりを強い選手が多く、はっきりと意思表示をする傾向があります。こうしたパラリンピアンの姿勢も含めてIPCが現状を甘く見ていたということでしょう。

 また、パーソンズ会長の言葉からは、ロシアとベラルーシが選手団が、選手村から速やかに退去しない可能性を危惧しているようでした。

 4日に行われる開会式で、パーソンズ会長がどのような言葉を発するか注目です。

北京オリンピック雑感9(2/22)〜オリンピックとは何か〜

かつてNHKが報じたオリンピック開催の意義

 2016年夏、リオデジャネイロ大会直後に、NHKの「おはよう日本」と「時論公論」という二つの番組の中で、同局の刈屋富士雄解説委員が、オリンピック開催の意義として、「国威発揚」を一番にあげ、さらに「国際的な存在感」「経済効果」「都市開発・街づくり」があとに続き、「スポーツ文化の定着」が5番目に置く解説を行いました。

 国際オリンピック委員会(IOC)が、自らの行動の目標と内容、オリンピックの意義を記載したオリンピック憲章には、その掲げる理念を「オリンピズム」と称し、スポーツによる人権の尊重や人々の平等、平和などが書かれています。NHKの番組ではこうしたオリンピックの価値に全く触れなかったのです。

 当然、オリンピック関係者を中心に多くの批判があがり、各メディアも大々的に取り上げ大きな話題となりました。さらに、NHKは放送後にこの番組の内容を記載する公式サイトで、「国威発揚」を「国民を元気に」と書き換えたことで、火に油を注いだのです。

 しかし、このNHKの番組はオリンピックの本質を見事に言い当てているのではないでしょうか。

国の代表によって競い合うオリンピック

 オリンピック憲章が、既に有名無実なのは明らかで、それを拠り所にオリンピックの価値を語ること自体、無意味ではないでしょうか。そこに書かれた内容が、現実のオリンピックに即していない顕著な点のひとつが、オリンピックが「国家間の競争」をする大会になっていることです。

 オリンピック憲章では、第1章オリンピックムーブメント6項「オリンピック競技大会」でオリンピックを次のように定めています。

オリンピック競技大会は、 個人種目または団体種目での選手間の競争であり、 国家間の競争ではない。大会には NOC が選抜し、 IOC から参加登録申請を認められた選手が集う。

オリンピック憲章2021|国際オリンピック委員会・日本オリンピック委員会

 本来、オリンピックに出場する選手は、各国の競技団体に登録したアスリートの中から、競技団体の代表を選ぶもので、それを各国オリンピック委員会に承認されてオリンピックに派遣されます。ですから、例えば日本代表やアメリカ代表と呼んでいますが、実際には日本体操連盟代表だったり、全米陸上競技連盟代表なのです。

 オリンピックに出場する選手は国の代表ではなく、また国家間の競争でもないはずにも関わらず、なぜ、メダルセレモニーでは国旗が掲揚され、国家が流されるのでしょうか。

 オリンピック関係者はその理由を次のように語ります。

 選手を選考し送り出しているそれぞれのオリンピック委員会が、そのオリンピック委員会を象徴する旗と曲を大会中の掲揚に使うために提出しているのが、結果的にそれが国旗であり国歌なのであって、IOC組織委員会が指示しているものではない。

 これが詭弁であることは言うまでもありません。

 国旗や国歌であることがセレモニーの本質でないのであれば、最初から旗も掲揚する必要もないし、音楽も共通したファンファーレのようなものにすれば良いのです。

 選手たちが、はためく母国の国旗に栄誉を感じ、聞こえてくる国歌に涙するのもまた、現在のIOC、競技団体や治世者たちにねじ曲がられたオリンピックには関係なく、選手たちの勝手な思いだと言うのでしょうか。

国家を競い合わせるオリンピック

 日本のオリンピック関係者は、国同士のメダル争いは、各国のメディアなどが煽っているもので、IOCや各国のオリンピック委員会が率先して行なっているものではない。その証拠に、IOCやオリンピックの公式サイトには、国別のメダルの数を載せていないと言ってきました。しかし、今回の北京オリンピックの公式サイトにはしっかりと国別のメダル獲得数のランキングがリアルタイムで掲載されています。

 BEIJING 2022 Olympic Winter Games | IOC

 例えば、日本オリンピック委員会は、メダル獲得数を目標に掲げ、その実現に向けて競技団体や選手を鼓舞します。その強化が国の予算を使って政策として行われます。

 日本でも東京大会招致の基盤づくりのために、それまでのスポーツ振興法に代わって2011年に施行された「スポーツ基本法」で、スポーツ振興は国家戦略であると定めた上で、下記のようにオリンピックなどで好成績をあげることを国の政策の目的にすることが具体的に条文化しています。

スポーツは、我が国のスポーツ選手(プロスポーツの選手を含む。以下同じ。)が国際競技大会(オリンピック競技大会、パラリンピック競技大会その他の国際的な規模のスポーツの競技会をいう。以下同じ。)又は全国的な規模のスポーツの競技会において優秀な成績を収めることができるよう、スポーツに関する競技水準(以下「競技水準」という。)の向上に資する諸施策相互の有機的な連携を図りつつ、効果的に推進されなければならない。

スポーツ基本法第1章第1条第7項 

スポーツ基本法(平成23年法律第78号)(条文):文部科学省

 これによって日本でも、オリンピックや世界大会に出場できるトップアスリートを金銭面などで積極的に支援したり、彼らが強化に使用する施設の建設や運営を行えるようになりました。

 世界の国々では、トップアスリートの支援のために様々な政策を行なっています。平昌、北京と2大会連続でメダル数トップになったノルウェーは、彼らに国から給与を支払っています。また、多くの国々で、オリンピックでメダルなどの上位成績者に報奨金が支払われているのです。

 これもまた、オリンピックが国家間の競争であることの証と言えるでしょう。

スポーツは国威発揚の推進力になる

 1979年、旧国立競技場を中心として首都圏で、第2回ワールドユースサッカー選手権が開催されました。現在のU19またはU21の前身の大会です。優勝したアルゼンチンの中心メンバーにはのちに神の子と称されるディエゴ・マラドーナがいました。

 当時都内の高校に通っていた筆者は、サッカー部の顧問の先生から配られた観客動員用のただ券(チケット)を持って、部活終了後に学校から30分くらいの場所にある国立競技場を訪れ、おそらく、ここで開催された試合のほとんどを観戦しました。

 その中には開催国枠で出場した日本代表の試合もありました。試合前には当然、君が代が流され、日の丸が掲揚されました。それまでも、ヨーロッパの強豪クラブとの親善試合やアジア予選で、そうした光景を見てきましたが、ユース年代とは言え世界大会で聞く君が代は特別だったのを記憶しています。

 日本戦でも国立競技場のスタンドは半分も埋まっていなかったと思います。それでも、場内に流された君が代の調べに合わせて自然発生的に生まれた斉唱する声に、不思議な高揚感を感じ、自然に口ずさんでいたのです。小中高を通して学校の行事で君が代を歌ったことのない世代の筆者にとって、初めての経験だったと思います。

 1999年に国旗・国歌法で、正式に君が代が日本の国歌、日章旗(日の丸)が日本の国旗と定められる20年も前のことです。第二次世界大戦を体験をした方々の中には、当時でも日の丸や君が代に対する抵抗が少なくなかった時代です。

 その後、日本でも多くの競技で世界大会が開かれるようになり、日本選手が出場する試合の前や優勝のシーンのたびに、日の丸が掲揚され、君が代が流されました。その様子はテレビでも放送されました。

 今ほど頻繁ではありませんが、時にはJリーグプロ野球などの国内の試合でも君が代斉唱が行われることもありました。

 一時期、サッカーの日本代表戦の前の国歌独唱を誰が歌うかに注目が集まった時期がありましたが、それも日本を代表するアスリートが競うスポーツ現場だからこそで、多くの人たちが違和感なく受け入れ、またそこで歌う人もそれを誇りと思って歌うことでできたのでしょう。

 そして、時の流れの中で、君が代が国歌、日の丸が日本の国旗であることが当たり前になって久しいですが、その間にスポーツシーンが果たしてきた役割は大きかったはずです。そして、その国歌、国旗の下、選手たちは国を代表してプレーすることがオリンピックの現実になっているのです。

オリンピック開催の目的はなにか

 国家がオリンピックを開催するのはなぜでしょう。いまや開催するのは都市だということもまた詭弁であることは明らかです。東京大会でも北京大会でも、IOCバッハ会長の隣に座っていたのは菅義偉総理大臣であり、習近平国家主席でした。そもそも、開会式で開会宣言をするのは国家元首であることが慣例になっています。

 安倍晋三元首相は、2013年に自らIOC総会に出席し、世界的に危惧されていた福島の原子力発電所の放射漏れを「アンダーコントロール」と自ら明言しました。東日本大震災からわずか2年。日本で得ることのできる情報から見て、まだ「アンダーコントロール」と断言できる状況ではなかったはずです。にも関わらず、一国の首相である彼はなぜそこまでして、東京大会の招致を目指したのでしょう。

 その後、様々な政策でオリンピック開催を支援し、競技力強化を図ってきた自民公明党政権は、スポーツを通しての人権や平等、世界平和を願ってそうした政策を進めたきたのでしょうか。

 中国の習近平国家主席は、スポーツを通した人類の幸福や世界平和のために、2度の北京オリンピックを開催したと言うのでしょうか。

 冒頭に紹介したNHKが紹介した通り、「国威発揚」「国際的な存在感」「経済効果」「都市開発・街づくり」が主な目的なのです。さらに中国やロシアのような国では、政権の安定にとっても重要なツールとして利用されているでしょう。

 そして、IOCはそうした各国政府の思惑や国民の競争意識を利用し、それに乗じて一層のビジネス化を進めています。バッハ体制になってからの団体戦=国別対抗戦の種目が急激に増やされていることは、「国威発揚」「国際的な存在感」を煽って注目を高めることに目的があるのでしょう。

 過去最も成功した大会と称された2012年ロンドン大会でさえ、こうした視点で振り返ると「経済効果」「都市開発・街づくり」に重点が置かれた大会だったことがわかります。

 次回の夏季大会2024年大会は、オリンピックの第二の母国であるフランス、パリでの開催です。

 今からちょうど130年前の1892年、近代オリンピックを興したフランス人ピエール・ド・クーベルタン男爵は、オリンピック復興が決議されたパリ国際アスレチック会議の席上で、「スポーツの力を取り込んだ教育改革を地球上で展開し、これによって世界平和に貢献する」というオリンピックの開催理念を説いたと伝えられています。

 いま、自らが掲げた理念がすっかり形骸化したオリンピックの有り様をクーベルタン男爵はどのような思いで見ていることでしょう。

北京オリンピック雑感9(2/20)〜羽生結弦考・アスリートにとっての言葉の力〜

「努力は報われない」羽生結弦

 2月14日に北京オリンピックのメディアセンター内で開かれた記者会見で、羽生結弦選手は決勝の前日の練習で、右足首を捻挫し、歩くにも痛いほどで他の大会であれば棄権したであろう、ドクターストップがかかるほどの状態だったことを明らかにしました。

 オリンピック3連覇を目指して臨んだこの大会の羽生選手は、ショートプログラムの冒頭でジャンプを失敗し8位。フリースケーティングでは、まだ誰も公式戦で成功したことがない4回転半ジャンプで逆転を目指しましたが、このジャンプを含む二つのジャンプを失敗し、4位に終わり金メダルを逸しました。

 さて、その羽生選手は、4位で終えたフリーの直後のインタビューの冒頭で、「努力は報われないんだなあ」と呟いています。

 彼の自然に溢れるように出たその言葉は、この数年の間、世界で最も偉大なアスリートの一人として讃えられてきた彼の言葉としては意外なものでした。怪我の時も不調の時も、明るく前向きな言葉で、世界に語り続けてきたのが羽生選手だったのです。そうした彼の姿勢に感銘を受けて、彼を応援してきた人も数多くいるはずです。

 オリンピック連覇や世界選手権優勝などの結果を残し、世界のフィギュアスケーターの頂点に君臨し、多くの栄冠を手にしてきた彼は、自らの努力が報われた瞬間を他のフィギュアスケーターの誰よりも多く経験してきたはずです。それだけ、3連覇にかけた思いが強かったということでしょうか。

 しかし、インタビューなどを聞くと、彼にとっての報われなかった望みとは、オリンピック3連覇よりも、4回転半ジャンプだったようです。最近の報道で、彼は4回転半ジャンプに、前回のオリンピックの以前から4年以上トライしてきたことが分かりました。

「努力は必ず報われる」池江璃花子

 筆者が羽生選手の「努力は報われない」という言葉に注目したのは、昨年4月、白血病を克服し東京オリンピック代表に選ばれた池江璃花子選手が発した「努力は必ず報われる」という言葉があったからです。

 競技生命を脅かす大病を克服して、いったんは諦めたであろう東京オリンピックの舞台に戻ることができた自分に対して発したこの言葉に、多くの共感の声があった一方で、批判の声も少なくありませんでした。

 それは報われた彼女の努力の陰で、報われなかった努力が数限りなくあるからです。池江選手と同様に東京オリンピック出場を目指していた選手たちは、池江選手の出場によってその道が閉ざされたのです。その数限りない報われなかった努力が、池江選手に比べて劣っていたとは限りません。

 池江選手は、おそらく、メンタルトレーナーなどから、「努力すれば必ず報われる」等と言われ、その言葉をインプットし続けて、厳しいリハビリを乗り越えたのだとは思います。そうした言葉を素直に受け止めて、ポジティブに行動ができるのがトップアスリートの特性でもあります。

 しかし、少なくとも国内の選手選考の場に相応しい言葉ではなかったでしょう。できれば、自分の心にとどめて、その後も自分自身を鼓舞するためにだけ使うべきだったと思います。

 本来世界一を目指すはずの彼女に自身にとっても、この言葉をこの段階で言葉として発してしまったことはマイナスに作用するかもしれません。例え病気の克服という特殊な事情があったとは言え、世界一にいても尚「努力は報われない」と嘆く羽生選手と、日本代表に選ばれた段階で「動力は報われる」と口にしてしまった池江選手との差は歴然としています。

 もちろん、池江選手と同様の病に苦しむ人たちにとって、池江選手の言葉は力強い励ましになったことでしょう。

言葉の力の重みを体現したカーリング女子の活躍

 羽生選手や池江選手のようなトップアスリートが発する言葉が、人々に与える影響が大きいと同時に、彼ら自身にとっても言葉の力は大きいようです。

 カーリング女子で、今大会で準優勝だった日本代表=ロコソラーレは、昨年9月に行われた北海道銀行との代表決定戦で、0勝2敗で1敗もできない危機を迎えました。

 その時彼女らは「自分たちは運が悪いから、運を変えよう」と言ってメンタルのモードを切り替え、その後の3連勝で日本代表の座を射止めました。その様子はNHKでも特番で取り上げられるなど注目を集めました。ネット上にはこの番組の内容を起こしたコラムがいくつも存在しています。

 その内容を見ると、ここでもまたトップアスリートにとって、ポジティブ思考の大切さが再認識されます。と同時に、その前向きな気持ちを言葉にして発してコミニュケーションすることで、切り替えに成功しているように見えます。

 夏冬通したすべての競技の中で、カーリングほど選手のコミュニケーション力が重要視され、競技中の彼らの会話が注目される競技はないようです。日本では今回の大会で特にその点が注目されました。

 一投ごとに変化する氷上にあるストーンのレイアウトから生まれる様々な選択肢を、チームで的確に取捨選択していくには、高いコミュニケーション能力が問われるだろうことは誰の目にも明らかです。

 その中でも、周囲にお構いなく、笑顔を交えて大声でコミニュケーションを続ける日本代表は、今回のオリンピックでも際立っていました。彼女ら自身もそれが自分たちの持ち味であり、自分たちストロングポイントだと認識しているのです。

 中継の映像でも、選手たちの言葉がつぶさに聞くことができますが、イギリスに破れた決勝戦を見ると、日本代表の選手たちの声はそれまでの試合に比べて勢いがなく、話し合って戦術を決める際も守りに入っている印象がありました。また、ピンチのシーンでの鼓舞する言葉も少なく、劣勢をアップセットする力強い言葉も聞こえてこなかったようです。

 イギリスのショットがこれまでの試合以上に高い精度を示したのに対して、日本の精度はこれまでの試合に比べてもかなり落ちていたようです。技術的に分析をすれば、イギリスに比べて氷の状況が掴めておらず、ミスに繋がったというのが敗戦の原因として分析されると思います。しかし、メンタルの要素も大きいこの競技では、コミュニケーションの差、言葉の差も大きかったのではないでしょうか。

 そして、その差を産んだのが、オリンピックの決勝という舞台だったのかもしれません。

言葉によって自分が進む道を作る

 カーリング女子代表の選手たちは、運を呼び寄せようと声を掛け合ってオリンピックの舞台に立つことができましたが、その世界最高峰の舞台では、アスリート自身ではどうすることができない不運に突き当たることがあります。

 その一つが、冒頭にあげた羽生選手のショートプログラムのジャンプの失敗です。予定していたジャンプが飛べなかったシーンについて羽生選手は、「氷に嫌われた」と直後に言ったそうです。これもまた、羽生選手流の切り替え方ではないでしょうか。

 氷の表面に開いた穴にはまるという自分にはどうすることもできない状況を、「氷に嫌われる」と表現することで、諦めと切り替えを自らに促したように思います。

 残念ながら、羽生選手はその後のフリースケーティングでも4回転半ジャンプに失敗して、4位に終わりました。これで大会前から囁かれてきた羽生選手の引退がさらに現実味が帯びてきたように思えましたが、14日の記者会見では「また滑ってみたい気持ちもあります」と、含みを残しています。公言してきた4回転半ジャンプをわずかな差で成功できていないということも、彼の現役続行に対してモチベーションになっているようです。

 

 羽生選手は、この世代の他の日本のトップアスリートたちと同様に、これまで有言実行で結果を残してきました。虚言も混じる少し前の世代とは違って、冷静に自分の実力などを分析した上で、その最大限、最大値を目標として公言するのがこの世代の特徴です。そして、その公言した目標に到達するために必要な道のりを一歩一歩確実に歩んでいきます。もう一人、このスタイルに該当する代表的な選手の名前をあげるとすれば、メジャーリーグ大谷翔平選手です。

 今後の羽生選手も、自分が発した言葉が自らを奮い立たせ、今回体験したような運の悪さをも乗り越えて、挑戦を続けていくのかもしれません。

北京オリンピック雑感8(2/18)〜ドーピングの根底にあるオリンピックの本質〜

1960年から続くオリンピックのドーピングの歴史

 オリンピックで発覚したドーピングの中で最も衝撃的だったのは、1988年ソウル大会の陸上短距離のベン・ジョンソン(カナダ)の事件でしょう。100m走決勝で人類初めて9.8秒の壁を突破し、金メダルを獲得したジョンソン選手は、レース直後のドーピング検査で筋肉を強化する薬物を使っていることが判明し、金メダルと記録を剥奪されました。一般的にまだそれほど認知されていなかったドーピングを知らしめ、その後の監視強化のきっかけにもなりました。

 薬物による肉体の強化は競技力の向上は19世紀から確認されてきましたが、1960年ローマ大会で、ドーピングによる初の死者を出したIOCは、選手の健全な肉体を守り、公平で透明性のある競技大会を守る観点から、その後はアンチ・ドーピングの姿勢を貫いてきました。

 しかし、それからも多くの競技でドーピング事件が発生し、時にはメダルが剥奪されることも繰り返されました。その間、科学的な進歩の中で、検査能力の進歩とドーピングを隠す技術の進歩のいたちごっこがずっと続けられてきたのです。

 

 現在では、国や競技に関係なく一定の基準が設けられていますが、かつては競技や国によって見方の違いがありました。

 例えば、1980年代から90年代のアメリカ・MLBでは、異常にまで巨大化した体を武器にホームランを量産する選手が活躍し、MLBのファンも薬物を使用していることを半ば承知で彼らに喝采を送っています。そのMLBも国際的な世論には叶わず、今世紀に入った頃からは薬物監視を強化し、その結果、年間最多本塁打の記録を持つマーク・マグアイア選手や彼のライバルだったバリー・ボンズ選手らは引退を余儀なくされます。

 

 世界のスポーツのシーンの中で、最も大きな影響を与えたドーピング事件は、自転車ロードレースのランス・アームストロング選手の事件かもしれません。

 欧米でのロードレースの人気と社会的な地位は日本人には想像できないほど高く、特にツール・ド・フランスを含む三大レースの人気は絶大です。

 そのツール・ド・フランスで1999年から7年連続で総合優勝するなど、絶対的な実力と人気を誇ったアームストロング選手に多年にわたるドーピングが発覚し、ツール・ド・フランスの7連覇を含む、1998年以降のすべての記録が抹消され永久追放されました。

 この影響でロードレースはスポンサーが離れ、人気が低迷する時代を迎えることになったのです。

 最近も、自転車の車体に小型モーターを取り付ける「機械的ドーピング」が発覚して、あらたな対応を迫られています。

 

 一方、アスリートの中でもドーピングに対する意識が高まっています。2016年に発覚したテニス界のスーパースターのマリア・シャラポワ選手はドーピングでは、彼女の出場停止の期間が短縮された上に、すぐさま大会主催者が人気の高い彼女を招待枠で出場させようとしたことで、テニスを中心にアスリートから多くの批判の声があがりました。結局、彼女はこうした批判に耐えきれず引退を余儀なくされています。

 

 世界的に見ると、1999年にIOCが独立したアンチ・ドーピング機関である世界アンチ・ドーピング機関(WADA)を設立してから、世界的なドーピング対策が進みます。競技や国の枠を超えてドーピング対策が行われるようになったのはWADAの設立がきっかけと言っていいでしょう。世界各国にアンチ・ドーピング機関や検査施設が設置され、現在ではドーピングが法律的に処罰の対象となっている国もあるほどです。

 

 2014年に発覚したロシアの国ぐるみのドーピングは、こうした世界の流れに逆行するものでした。強化されるアンチ・ドーピングに対抗するには、国レベルの組織が必要だと言うことでしょう。その後、ロシアは国としてのオリンピックの出場ができなくなっています。

 時を隔てずして、同じロシア出身のシャラポワ選手のドーピングが発覚したことも無関係ではないでしょう。少なくともこの国のドーピングに対する意識の低さを証明したことになりました。

誰がワリエワ選手に薬物摂取を指示したのか?

 そうした流れの中で発覚したロシア、カミラ・ワリエワ選手のドーピング。日常的に使用している薬物を国内大会近くになっても使用を止めるのを忘れたのではないでしょうか。それとも、国内大会のドーピング検査であればコントロールできるから、その後オリンピックまでの期間で薬を抜くつもりだったのかもしれません。

 報道を見る限り、ドーピング自体は間違いのない事実のようです。あとは、15歳の彼女に対してどのような処分が適切であるかと、彼女に薬を与えたのは誰かということになります。当然、彼女のコーチであり、今回女子シングルに出場した3選手や、前回平昌大会のメダリストを指導してきたエトリ・トゥトベリゼコーチに疑いの目が向けられます。

 ロシア発の報道として、銀メダルだったアレクサンドラ・トルソワ選手がフリースケーティング競技直後にトゥトベリゼコーチから求められたハグを拒否して「嫌よ、みんな知っているのよ」という言葉を放ったという報道があります。本当にロシア国内でこのような報道がされているとすれば、ロシア側はコーチの犯罪として幕引きを図ろうとしているのかもしれません。

 事態の進展によっては、大きな組織ぐるみでのドーピングとして認定されることもありますし、その場合、例えば今回メダルを取った他のロシア選手たちにも当然疑いの目が向けられることになるからです。

 そして、もう一つ問題なのは、ドーピングが潔白であることが証明されていないにも関わらず、暫定的な出場停止の処置を解除したロシアのアンチ・ドーピング機関のあり方です。あるべき手続きを踏まずに解除の手続きを行なったこの機関は、今回と同様、これまでもドーピングを有耶無耶にしてきたと疑われても仕方がありません。

国家間の競争を煽るIOCの姿勢が根本原因

 一方で、ワリエワ選手の出場を認めたスポーツ仲裁裁判所(CAS)の姿勢にも元オリンピアンを中心に厳しい声があがっています。本来、立場の弱いアスリートの権利を守るために設置された機関ですが、今回示した曖昧な態度は、ワリエワ選手の一時的な救いになったとしても、健康が危惧される彼女の将来や彼女に続く子供達にプラスの影響はないでしょう。今求められている徹底的なアンチ・ドーピングの流れには逆行しているのは間違いなく、アスリート保護の観点から、アンチ・ドーピングを主導すべき組織にふさわしくない判断だと言えます。

 そして、この問題の根底を作っているのは、IOC自身です。彼らはオリンピックをオリンピック憲章の理念を損なう事実上国別の対抗イベントにして、国家間の競争を煽っています。その結果、中には勝利と名誉を得るために手段を選ばない国が現れるのも当然のことと言えます。

 

 フリースケーティングに出場したワリエワ選手が、本来の調子を発揮できず4位に沈んだことで、胸をなでおろした関係者も多いことでしょう。問題を長引かせたくないと考えているのは、ロシア、ワリエワ選手関係者もIOC、国際フィギュア連盟も同じなのです。